おまけ〜従者の苦悩〜

      「俺だって……俺だって若い男なんだーっ」
      心から叫んだシーフは、一気にグラスの中の液体を飲み干した。
      そのまま勢いに任せてそれをテーブルにたたきつけるように置く。
      裏通りに面したこぢんまりとした酒場は、夜半を過ぎてもそこそこ賑わっている。
      大抵のテーブルが数人連れでうまっているのに対し、彼は酒場の喧噪に背を向けて一人で飲んでいた。
      「アイリィちゃん、おかわりお願い」
      ちょうど横を通りかかったウエイトレスに注文を追加すると、彼女はちょっと微笑んで見せた。
      異国風の衣装、シニョンキャップを頭につけたセクシーな女性だ。
      「はあい。同じのでいいの?」
      「うん」
      すでになじみの客となっているシーフの最も親しいウエイトレスだ。
      赤く紅を塗った唇が厨房のマスターに注文を伝える。
      「マスター、ウーロン茶一杯追加でーす」
      さっきから彼が飲んでいたのは酒ではない。
      彼にやけ酒をするような財力があろうはずがない。
      もうすでに、ウーロン茶を二杯ほど空けた後だった。
      「はい、おまちどう」
      ことりとシーフの目の前にグラスが置かれる。
      アイリィはお盆を小脇に抱えたまま彼の隣の席についた。
      「仕事はいいの?」
      運ばれてきたグラスに軽く口を付けてシーフが問う。
      「うん、マスターがね、おつまみぐらい頼むように言えって」
      「はは」
      耳に痛い言葉は乾いた笑いで返す。
      「っていうか……今日荒れてるでしょ、どうしたのかなって」
      魅惑の唇の両端がきゅっと上がる。
      「んー…たいしたことじゃないよ、ただあまりにもね、こう……」
      ぐちぐちとはっきりしないシーフの様子を見て、これは聞き出せると判断したアイリィが身を寄せてくる。
      肩と肩が触れ合った時、ちょっと幸福感を得た。
      女の子って柔らかいよな、と彼の人とつい比べてしまう。
      だいたいシーフは生腕が好きだった。


      「だからそんなこと言ってさあ、ほんっとに触れさせてもくれないんだよ!? ひどいと思わない?」
      至らないところがないよう努力してんのにさ、と続ける。
      結局、シーフはすっかりできあがっていた。
      ウーロン茶で。
      安上がりな男である。
      「へえ」
      一方彼女の方は、男同士のほにゃららを聞いても全く動じた様子がない。
      「アナタが不甲斐ないとかじゃないの? ほら、転職できる力があるのに転職しないし」
      「う……」
      グラスを傾けていた手が止まった。
      確かに彼にはさらに上の職業に就くことができるだけの力はある。
      「まあ、色々あってさあ」
      適当にお茶をにごしておく。
      さすがにその理由は他人に教えたいものではない。
      シーフの脳裏に、出会って間もないころのウィザードが浮かんできた。
      あの時彼はまだマジシャンで、ローブに着られているような様は何とも言えなかった。
      無論のこと、あの性格は一片たりとて変わっていなかったが。
      「ちょっと。ちょっと、おーい」
      「えっ!? あ、ご、ごめん、何の話だっけ?」
      ひらひらと目の前で、きれいな細い手が振られる。
      慌てふためいたシーフを見て、アイリィは婉然と微笑んだ。
      「注意力散漫ね。どう? 今晩、私相手に発散しない」
      「……アイリィちゃん、まじ?」
      思わずシーフは彼女の顔を凝視してしまった。
      「マジよ」
      小作りの顔、均整のとれた体つき、ももまで見える切れ込みが入ったスリット。
      男ならこんな相手に一度は言われてみたい台詞だろう。
      きっかり三分、彼は悩んだ。
      「ごめんね、遠慮しとく」
      断りの台詞は簡潔にして単純だった。
      「あら、そう? こんなチャンスめったにないのに」
      「わかってるよ。でもねー、ばれたら俺地獄行きだし?」
      それだけの理由ではないが、地獄行きというのも真実だ。
      本当に殺されるか、何処かに売り飛ばされるだろう。
      実験動物程度ですんだら幸せかも知れない。
      「それにほら、俺って純情だから」
      「大嘘つき」
      ぺし、と額をはたかれた。
      「私をフったことはこれで勘弁してあげる。女に恥をかかせるもんじゃないわ」
      「心得ておきます」
      シーフが深々と頭を下げると、アイリィは厨房の方へと去っていった。
      「いい人なんだけどなあ…」
      ここでしかつけないため息を一つ。
      「せめて30代がいいよな」
      恐るべき海の彼方の神秘であった。



      End.


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