風の吹く場所2
人々のざわめき。
道行く人を呼び止める商人の声。自前の看板を出して、アイテムを求める冒険者達。
道路にあふれんばかりの人混みに混じりながら、彼は数日前に出会った人のことを思い出していた。
「ちょっと、剣士クン! そう、そこの白い髪の君!」
後ろから澄んだ女の声が聞こえる。
聞き覚えのある声だと思い振り返ると、プリーストが人波をかきわけてこちらに向かってきていた。
薄紫の長い髪をおしげなく風にさらし、看護帽をかぶっている。
彼の記憶は、足下に引きずられている金髪のシーフを見た時に確定した。
「あのときのアコライトさん、ですか?」
「そう! 無事プリーストになれたの」
あでやかに微笑む。
濃い紫の神官服は、彼女によく似合っていた。
「転職されたんですね、おめでとうございます」
「ありがとう」
祝いの言葉に礼を返し、彼女は裏路地を指さした。
ここでは人が多すぎるので、移動して話そうというのだろう。
剣士は彼女に導かれるまま、その路地へと入っていった。
「話があるのよ」
路地に入り数歩歩いた所で彼女は振り返り、こう切り出した。
「はい」
相づちを打つ剣士に軽く首肯して、彼女は掴んでいたシーフの服から手を放した。
放した途端、シーフは俊敏に立ち上がる。
「こいつのことなんだけどね」
今にも怒鳴り出しそうなシーフを軽く無視しつつ、彼女は剣士の目をじっと見つめた。
「私プリーストになったでしょう。それで、司祭様からこいつのお目付役を解除されたの」
「ああ、それは」
おめでとうございます、と言いかけて剣士は言葉を切った。
プリーストの目の奥に、なにやら不吉なものを感じたからだ。
「でも、まだこいつを自由にするわけにはいかないのよ。それで、私考えたんだけど」
「はあ」
何の根拠もなく、剣士はこの場から逃げ出したい衝動に駆られていた。
シーフも彼女をにらみつけたまま一言も発しない。
「貴方にお願いしようと思って」
たっぷり三秒、間があった。
『…………はい?』
期せずして男二人の声がハモる。
「だから、こいつの子守り。やってくれるわよね?」
相手に断られることなど微塵も考えていないような口振り。
特に理由もないのに逆らう気にさせない、奇妙なオーラ。
端的に表現して、女王様という言葉が一番しっくりくる。
「おいてめえ! なんでったってこんな…」
先に我に返ってくってかかったのはシーフだった。
「どうしても、私の方がいいってわけ?」
言って髪をかき上げる仕草まで見せると、シーフは完全に沈黙した。
このプリーストと先日の剣士――どちらがマシかはさして考えなくともわかる。
「剣士クンも反論はないみたいだし」
呆然としていた剣士は意味ありげなまなざしを向けられて急に慌てだしたが、今となっては遅すぎた。
「じゃあ、二人とも仲良くね。私は忙しいからもう行くわ。
剣士クン、そいつ逃がしたら神の裁きが下るからね♪」
明るい声でさらりととんでもないことを言って、彼女は身を翻した。
こちらに向かって手を振ってくるのに合わせて力無く手を振りながら、
剣士は彼女が消えていくのを眺めていた。シーフは壁に額をつけてぶつぶつ何かを呟いている。
彼女が完全に見えなくなってからしばらくして、やっと彼らの体は動き出した。
「で、きみさあ」
「あんだよ」
「あの人に逆らったらまずいと思う?」
返事が返ってくるまでに大分間があった。
「この世でやっちゃいけねーことのひとつだな」
「そうか…やっぱり」
剣士ははあとため息をついた。
「じゃあ、逃げないで。君もただじゃすまないと思うけどね」
「……わかってるよ。この若さで人生棒に振れるかっての」
あーあ、とシーフは空を仰いだ。
空は青く澄み渡り、遥か上空に薄い雲が一筋見える。
まるであの日の空のように。
「ね、君の名前は?」
「てめーから言えよ、んなもん」
空から視線を外しもせずに言う彼に腹を立てたのか、剣士はすねたような声を出した。
「じゃあいいよ、僕も教えてあげないから」
声と共に気配が遠ざかっていくのを感じる。
シーフが慌てて剣士を見ると、彼は大通りに向かって歩いていく所だった。
「お、おい、どこ行くんだよ!」
「昼食食べに行く。名前教えてくれたら、おごってあげるけど」
先程の意趣返しのつもりか、シーフの方を見ようともしない。
とっさに返す言葉が見つからないうちに、剣士はすたすた歩いてしまっている。
「おい、ちょっと待てって!」
昼食、と聞いて慌てて剣士の後を追う。
路銀は全てプリーストが管理していたため、今彼は無一文なのだ。
「わかったよ」
ぐい、と肩を掴んで振り向かせる。
「俺の名前は――」
また、ひときわ強い風が吹いた。
草原で感じたそれよりもほこりがまじり、人や町の気配をのせて吹く風だったが、剣士はそれを
あの日の風と同じように受け取った。
今日も、彼らの傍で風が吹いている。
決して止むことのない、風が。
End.
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