バックステップは危険なかほり 2
俗にオーク村と呼ばれる場所に彼らがたどり着いたのは、日が中天にさしかかる頃合いだった。
「あー、まだ微妙に眠い……」
ゴーグルをつけたアサシンが大きなあくびをする様を、逆毛の騎士は呆れた顔で見た。
「もーちょいしゃきっとしろよ、だらしない」
「だってゆうべ遅かったしさあ」
どんなに疲れていようともしゃっきり立っている騎士の逆毛を羨ましそうに見る。
オークダンジョンに向かいながら話している途中で、アサシンは何かを思い出したように笑った。
「そうだ、これ見せようと思ったんだ!」
満面の笑みを見せられて、騎士は気持ち悪そうに一歩引く。
「こないだ覚えたんだよなー」
そう言うと、くるっと進行方向に背中を向ける。
何をやろうとしているのか察して、騎士は止めようとしたが、遅かった。
「馬鹿、止め」
「バックステップ!」
ごす。
硬い物同士がぶつかるような、実に痛そうな音が人気もオーク気もない村に響く。
「……だから言っただろ、ばーかばーか」
騎士の冷たい視線の先には、そこにあった柱に後頭部をぶつけてうずくまっているアサシンの姿があった。
気を取り直して、彼らはダンジョンへと入っていった。
ここオークダンジョンはオークのゾンビやスケルトン、ドレインリアーなどがひっきりなしに徘徊している場所で、
今彼らがいる一階層を素通りしていく冒険者も多い。
第二階層にはオークロードという凶悪な魔物が潜んでいると思われ、討伐に赴く人間が後を絶たないのだ。
しかし、彼らはそこまでの腕はなかったので第一階層で経験を積むつもりだった。
そして人があまり来ないような、奥まった場所に行ってみたのが失敗だった。
「おい、新手だ!」
「まじかよ!」
二人は、それぞれ5、6匹ほどのオークゾンビを相手に戦っていた。
その中にちらほらと細いシルエットのオークスケルトンが見える。
人が通りかかっていなかったのが悪かったのか、ここはちょっとした溜まり場になっていたのだ。
これでも何匹かは倒したのだが、次々に新手が来るため休んでいるヒマもない。
「いい加減しつこいんだよっ」
アサシンが、目の前のオークゾンビの体に右手の短剣を突き立てて横に引く。
とどめとばかりに左手に持った短剣が首筋を切り裂いた。
そのオークゾンビは地面に倒れ伏すと、もう二度と動かない。
動かなくなったのを確認する間もなく、次の魔物に向かっていく。
「バッシュ!」
騎士は手に持った槍に精神力を込めて突き刺す。
通常以上の攻撃に、たまらず一体のオークゾンビが倒れた。
なんとか壁を背にして戦っていたため後ろから攻撃を食らうことはないが、彼はあまり打たれ強くはなかった。
かといって、攻撃がたやすく避けられるほど身のこなしが早いわけでもない。
必然的にその場からほとんど動かず来た敵をしとめることになるのだが、アサシンの方はそうではなかった。
敵の攻撃を半数ほどは受けながらも、回避に命をかけるアサシンとは違う耐久力がある彼はあまり堪えていない。
中途半端な回避技術と耐久力と引き替えに、その攻撃にあまり正確性は見られないのだが。
一応避けられるだけ避けつつ移動してしまうものだから、彼は周りを囲まれていた。
と、緊迫する戦場に一匹のハエが飛んできた。
ハエは地面に近寄ると、そこいらに散らばっている収集品を拾い集めていく。
無論ただのハエではなく、スチールチョンチョンという魔物の一種で、アイテムを拾い集める習性がある。
ちなみに、大きさは人間の頭ほど。
「あ、てめ!」
必死で倒した魔物から手に入れられる収集品は冒険者達の生活費になる。
持って行かれてはたまらないと、アサシンはその後ろ姿に短剣の一撃を見舞った。
巨大バエの目の色が変わり、彼を狙ってきたが羽根を切られて地面に落ちた。
落ちたハエにとどめを刺してからまわりのゾンビ達の攻撃を避けつつ収集品を拾っていく。
ざくり、と右腕に刃の食い込む音が聞こえたような気がした。
痛みに一瞬気を取られていると、すかさず肩口をドレインリアーに噛みつかれた。
「ってーな、てめーら!」
左手の短剣でドレインリアーの顔面を突き刺し、返す刀で右腕に刺さっている斧の持ち主を斬った。
「マグナムブレイク!」
後ろから騎士がそう叫んでいるのが聞こえてきた。
彼の方が通路の奥まった場所にいるので、すぐ近くに新たな敵が現れない限り切羽詰まった状況にはならないだろう。
一度立て直そうと、彼は移動の準備を始めた。
後ろに体重をかけるように、それでいて体の力は抜く。
足を踏み切る方向は後方、ステップは腰から。
騎士はさほど離れたところにはいないはずだった。
「バックステップ!」
ちょうどその時、騎士は目の前の敵を殲滅して彼の方を向いた。
そう、その手にある槍も彼の方に向いていたのだ。
――最初に、熱いと感じた。
何か熱く、それでいて冷たいものが自分の体に食い込んでいる。
その感覚は背中からだと、そこまでを認識した後彼の意識は遠ざかっていった。
後ろに下がった勢いよりも前に向かって受けた衝撃の方が強いのか、前向きに倒れ込んでいく。
「……の、馬鹿! ……」
騎士の罵声が、どこか上の方から聞こえてきているような気がした。
「――というわけで、気が付いたらカートの上でした」
アサシンが語り終えると、ブラックスミスは果てしなく呆れかえった表情を作った。
プリーストももはや聖職者の皮をかぶるのは止めたらしく、同じような顔をしている。
「つまり……バックステップで奴が持っていた槍に突っ込んだ、と?」
「いえっさー」
ブラックスミスは頭痛を抑えるかのようにこめかみに手をやった。
「……馬鹿は死ななきゃ治らない、って言うけどアレは嘘ね」
「?」
「あんたの馬鹿は死んでも治らないわ」
「うわひどっ」
がーん、と大げさに言ってのけるその姿からは反省しているのかいないのかさっぱりわからない。
「そういえば、連れの騎士はペコペコに乗っていなかったの?」
プリーストの声にも冷たさが混じっている。
最初のイメージとの変わりように少し戸惑ったが、姉御の知り合いだしと心の中で納得する。
「あー、騎兵修練真っ先に取ってたんすけど、金が無くてペコペコ借りれなかったらしく」
「この馬鹿阿呆コンビ」
「今のは俺じゃなくてあいつのせいですってば!」
彼の言葉を無視し、まったく、とぼやきながらブラックスミスはパイプタバコに火をつけた。
煙を吸って、吐き出す。
「そういえば」
プリーストが口元に指を当てながら、何でもないことのように言った。
「その騎士君はどうしているのかしら」
「あ」
アサシンが一言発し、そのまま固まる。
ブラックスミスは一瞬パイプタバコを落としかけた。
そこへ、商人と剣士の二人連れが通りかかった。
「さっき倒れてた騎士、すごかったなー」
「ああ、流石に槍も剣も盾も持ってない騎士は初めて見た」
「……金無かったのかな」
貧乏は辛いよな、と剣士。
「さあな。明日は我が身、って言葉忘れんなよ?」
カートを引いていない商人の歩みは早く、剣士と共にすたすたと去っていってしまった。
ゆっくりと三人の視線が動き、一点で固まる。
そこにはアサシンと共に首都に送られてきた、騎士愛用の槍があった。
しばし、沈黙だけがその場を支配した。
「うっどわあああ!?」
いきなり我に返って奇声を発すると、アサシンは立ち上がった。
「そういやあいつ、盾も剣も予備の槍も何も持ってない!」
「素手の上避けない堅くない騎士がソロでOD……」
「まだ生きてるみたいで良かったじゃない」
身も蓋もないプリーストの言葉が引き金となり、アサシンが血相を変えて走り出す。
鬼気迫るその様子に、思わず通行人も身を引く。
殺される、と口から漏れる言葉を聞き取った者は少なかったが。
後ろで再び交渉を始めた女性二人を置いて、とにかく一刻でも早く行こうと彼は走り続けた。
その日一日、首都では槍が刺さったアサシンと素手の騎士が死にかけていたという話で持ちきりだったという。
End.
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