雪の街


      俗に雪の街と呼ばれる、ここはルティエ。
      その二つ名が示すように、ここでは一年中雪が止むことはない。
      そればかりか、ミッドガルド大陸、ミッドガッツ王国に近い場所で雪が降る場所はこの近辺だけだ。
      王国の住人の中には、一生雪を見ない者もいる。
      ゆえに、初めてこの町を訪れる人間が驚くのは毎度のことだった。
      しかしその中でも、彼の反応は特に顕著だったといえよう。

      「すっげー、家の屋根に雪がつもってる!」
      ルティエにたどり着いて開口一番に彼が言ったのはそれだった。
      後ろからその様子を見ている騎士はどこか冷たい目をしている。
      まあ、ルティエに着くまでにえんえんと隣で騒ぎ続けられれば冷たい目になりたくもなるだろう。
      二、三歩駆けていく彼の紫色の服装は、闇の中でこそ目立たないが純白の雪の中ではかなり目立つ。
      髪は白く、雪と同化して見えるから尚更だ。
      「雪ってこんなに柔らかいんだなー」
      しゃがみ込んで雪をすくってみたり、子供っぽくはしゃぎまわる様子はとてもアサシンとは思えない。
      来る途中ではしゃぎまくり、白熊に囲まれていた人間とは同一人物であるといえるが。
      空から降ってくる雪も珍しいらしく、上を向いたまま口を開けている。
      ……雪でも食べているつもりなのだろうか、あの馬鹿。
      そんな姿を淡々と眺めていた騎士は、そう心で思いため息をついた。
      息は白く曇り、彼の口元に少しの間ただよって消えた。
      「よおーっし、行っきまーす!」
      無意味に大きな声が人の姿も見えない街に響きわたる。
      いくら外に人気が無くとも、家の中で生活している人はちゃんといるのだと思い出し、とがめようとそちらに
      目をやった瞬間。
      アサシンが向こうの方まで転がっていくのが見えた。
      それも前転、世に言うでんぐりがえしで、である。
      何で前転なんだお前仮にも暗殺者だろせめて側転にしろよと即座にツッコミが思いつくが、
      奇妙な倦怠感が体を覆っていたため口に出すことはしなかった。
      体を小さく丸めて、雪の上を転がっていく固まり。
      まさに紫色のダンゴムシである。
      と。
      「いっ…てー!!」
      アサシンが転がるのを止めて、雪の上に寝っ転がった。
      石段があるのに気づかず、したたかに頭を打ち付けたのだ。
      「おい、どうした」
      流石に少しは心配になったのか、騎士が早足でアサシンの所まで様子を見に行く。
      やや蛇行気味の太い線の横に、騎士の足跡が増えていく。
      「頭ぶつけた…いってーよもー…」
      「何だそんなもんか」
      未だ雪の上に転がったまま頭をおさえているアサシンに彼は冷たく言い放った。
      「何だとはなんだよ! コレでもめちゃくちゃいてーんだぞ」
      「ああうるさい」
      ごすっ、と、自分の骨が悲鳴を上げる音をアサシンは確かに聞いたような気がした。
      「い…………っ」
      騎士が思いっきりアサシンの足を踏んだのだった。
      脳髄まで達した痛みに、先程のように大声を上げることすらできない。
      「ほら、頭の痛みなんか気にならないだろ」
      「それ以前の問題じゃボケっ!」
      ついいつものように突っ込んでしまうが、それは逆効果だったようだ。
      「人の好意を無にするのか」
      顔色一つ変えずに、先程踏んだのと同じ箇所を今度は靴の踵で踏みつける。
      余談だが、騎士はペコペコに騎乗する者が多い。
      騎士しか乗ることを許されておらず、移動に便利ということで冒険者の間でもよく見かける。
      ペコペコ用の拍車は少しばかり変わっていて、尖った雪の結晶のような形をしている。
      普段は乗らない者でも、いざというときのために騎士の靴には拍車をつけることが義務づけられている。
      つまり、この騎士の靴にもそれはついているわけで。
      羽毛の厚いペコペコにはっぱをかける拍車は当然のごとく丈夫なわけで。
      「…………! ……!!」
      そんなもので容赦なく踏みつけられては、足を抱えて悶えるしかないだろう。
      「ああ、ようやく静かになった」
      加害者の騎士は、雪を降らせ続けている空を見上げて爽やかに汗を拭うふりをする。
      アサシンの方はしばらく痛みに耐えていたものの、寝転がってばかりでは解決しないと思い座り直した。
      計二回踏まれた箇所を見ると、背中を丸めてひっそり応急処置を施す。
      プロンテラに行った際、気まぐれに実習を手伝って覚えたものだ。
      しかしながら、アサシンが小さくなって延々と応急処置をしている様はどことなく哀愁が漂っている。
      というよりみじめだ。
      いい加減鬱陶しくなったのか、騎士が彼の足をのぞき込む。
      すいと手をかざすと彼はたった一言、言った。
      「ヒール」
      柔らかな光が一瞬彼の傷に降り立ち、吸い込まれるように消えていく。
      効果は駆け出しのアコライトとどっこいどっこいだが、アサシンは何故騎士がこんな事が出来るのかと
      目を丸くした。
      改めて騎士の姿を見てみる。
      ヘルムに少し薄汚れたマント、鎧と、腰元に見慣れない紫色の物体を見つけた。
      高額で取引されているクリップだろう、多分。
      半ばもぎ取るようにしてそれに顔を寄せると、うっすらと蟻の絵が見える。
      はっきり言って自分たち貧乏人には縁のないはずの、ビタタカード。
      まさかこれは、あの。
      「……ヒルクリ…?」
      呆然と呟いたアサシンに騎士は頷いた。
      「この間ポポリン叩いたら出てきた」
      「なんっじゃそりゃーー!?」
      ビタタカードはアクセサリーに差し込んで身につけると、聖職にない者でも癒しの力が使えるという代物で、
      冒険者の中でも特にマジシャン、ウィザード等に人気のカードである。
      魔物は滅多にカードを落とさないため、売ればかなり高値が付く。
      それがポポリンから出てくるとは。
      「ち、近くに落とし主とかいなかったのか?」
      「さあな。拾ってすぐにその場から離れたから」
      その言葉に、思わず半眼で騎士を見てしまう。
      「お前、ひっでーの」
      「何を今さら」
      「……まあいいや。で、どうするんだよ、それ」
      売らないのかと言外に尋ねてくるアサシンに、騎士は薄く笑った。
      「どうせだから使ってみようと思ってな。さっきお前に使ったのが最初だ」
      「えー、じゃあさ、俺にも使わせてよ。いっぺん使ってみたかったんだ」
      両手を出してねだるアサシン。
      しかし、彼に貸す気は無かったようであっさりとその手を無視する。
      「なんだよ、ちょっとぐらいいいじゃん」
      「お前が使ったって回復しないだろ」
      その意味がすぐには判断できなかったアサシンは顎に手をやり、少し考えた。
      ふと騎士の意図に行き当たり、アサシンは顔を赤くして怒鳴った。
      「遠回しに俺が馬鹿だって言ってるだろ!!」
      「今の間がそれを証明してる」
      「う……」
      びしりと指を突きつけられ、アサシンは二の句が継げなくなる。
      「ほら、ぼちぼち行くぞ。寒い」
      「わーったよ」
      言い負かされた悔しさで渋々ながらも立ち上がり、雪を軽く払う。
      そこでアサシンは、服がじっとりと濡れているのに気が付いた。
      「あれ?」
      雪はさらさらしていて、あまり湿っぽくないのに変だなと首を傾げる。
      「そうだ、言い忘れてたが」
      少し先に行っていた騎士が立ち止まり、振り返る。
      「雪は溶けると着てるものが濡れるからな。人間の体温なら雪ぐらい確実に溶けるぞ」
      「……そーなのか?」
      「常識だ、ボケ」
      「んな…最初にいっといてくれよ!」
      「何でそこまで気を遣う必要がある」
      そう言い捨てると、さっさと先に行ってしまう。
      アサシンは憤りを感じつつも、初めて来た町で騎士と離れるのは得策ではないと思い、
      少々慌てて彼の後を追った。
      さすがにここで転ぶようなへまはしない。
      騎士はそっと背後を伺い、ついてきているアサシンを確認して小さく笑った。
      どうしようもない馬鹿だが、それでも一応相棒なのだ。


      この後、ルティエまでの道中アサシンがどんなにピンチでもヒールをかけてもらえなかったことに気が付いて
      騒ぎ出したとかしなかったとか。



      End.





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