現在地


      ゲフェンタワーの地下には、じっとりと湿った空気がただよっている。
      さわやかな風が吹き、洗練された町並みを持つ地上とは全く異なる雰囲気だ。
      しかしそんなことに構っている余裕などないほどに、剣士は追いつめられていた。
      地下であるが故にこもる湿気、およびその暗さはここにモンスターを生息させる要因になっていた。
      魔術実験の弊害であるのか、ここには毒に汚染されたモンスターが多くいる。
      特に毒キノコと呼ばれるポイズンスポアは人間を見ると無差別に攻撃してくる。
      見た目は可愛いが手強いモンスターの一例だ。
      またポイズンスポアは固まって現れることが多いのだが、特にここは居心地が良い場所らしく、
      来る時は山のように寄ってくる。
      今回、剣士はそんなたまり場の一つに足を踏み入れてしまったのだ。
      何匹かは倒した、それは確かだ。
      しかし、それよりも多くの紫色のかさに囲まれている。
      剣士は目の前のポイズンスポアを斬り倒すと、手先に力を集中させた。
      「バッシュ!」
      横手にいたポイズンスポアはその一撃を受けて地に倒れた。
      途端にばらける胞子を、どことなく嬉しそうにポポリンが集めていく。
      いつもの彼ならば回収していただろうが、今そんなひまはない。
      もう一撃バッシュを繰り出そうとして、体の中の魔力が足りないことに気がついた。
      意識して威力を落としたバッシュを放つと、体が重くなった気がする。
      もとから魔力は少ないのだが、使い切ってしまうと疲労におそわれることがある。
      (まずいな……)
      まだ年若い剣士は顔をゆがめた。
      左脇腹に鈍い痛みが走る。ポイズンスポアが体当たりしてきたのだ。
      数が多いために、普段なら避けられる攻撃が避けられなくなってくる。
      じきに体力も尽きるだろう事は容易に予測がついた。
      (死んでたまるか!)
      「クァグマイア!」
      自分に渇を入れたちょうどその時、自分の後方から声が飛んだ。
      それと同時に、彼の周りの地面が変化する。
      地面が陥没するような音と共に、モンスターの足下が泥へと変わった。
      いきなり足場が悪くなったためか、心なしか彼らが焦りだしたように見える。
      この呪文はウィザードが使う攻撃補助魔法である。
      ということはこの近くにウィザードがいて、彼の援護をしてくれたということだ。
      (絶対に負けられないじゃないか)
      援護の気持ちに応えるために、何よりもここで自分が倒れたらそのウィザードにモンスターが襲いかかるだろう。
      それだけは避けたい。
      何せウィザードは接近戦は不得手なのだから。
      片手剣を構えなおして前を見据える。
      しかし彼は、聞きたくなかった音を聞いた。
      ばっさばっさばっさ…
      ダンジョンに生息するコウモリ、ファミリアーの羽音だ。
      彼らは自分に向かってくる、と剣士は妙な確信をしていた。
      彼は何故かコウモリに好かれるのだ――むろん、嬉しくなどないが。
      遠くを飛んでいる奴でも寄ってくるし、他人に寄っていこうとしていた奴も自分を襲ってくるのだ。
      しかも羽音からして、最低でも三匹ぐらいはいるのではないだろうか。
      クァグマイアの効果もじきに切れてしまうだろう。
      「すいません、まだいたら逃げてください……!」
      後ろを向くわけにはいかないので、前を向いたまま声を張り上げる。
      すでに去っていてくれれば一番いい、と彼は考えていた。
      しかし、聞こえてきた声は思いの他近かった。
      「手伝うか?」
      落ち着いた声に、剣士は思わず頷いた。
      「下がっていろ」
      す、とそのウィザードが前に出る。その手に握られた、短剣。
      (あれ?)
      剣士は違和感を感じた。何か、何か違うと。
      短剣はよく手入れもされているようだし、刃の輝きから見て精錬してあるに違いない、見事な武器だった。
      確かに短剣を使っている魔術師もさほど少なくはない。
      だが、普通のウィザードは後方から魔法を撃つものではないのかと。
      彼は素早くポイズンスポアの群れのうち、一匹の胴体を切り裂いた。
      見事な手並みで、向かってきたファミリアーも退治してしまった。
      (……あれ?)
      ウィザードの背中と、次々と地に伏すモンスター達を彼はただ呆然と眺めていた。


      「大丈夫か?」
      モンスターを殲滅したウィザードは、呆然としていた剣士に話しかけた。
      剣士は我に返ったように反応する。
      「はい、大丈夫です! その、ありがとうございました」
      「気にするな、冒険者として当然のことだ」
      格好良い人だ、と剣士は素直に思った。
      ぴんと伸びた背筋、無造作にのばされた茶の髪。
      少々きつい目つきも、とりたてて気になると言うほどでもない。
      「ではな」
      彼は軽く手を挙げるとその場から立ち去ろうとした。
      「あ、ちょっと待ってください!」
      慌てて駆け寄り、マントをつかむ。
      無意識にやってしまったことなので、彼が振り向いたと同時にぱっと放した。
      「これ、受け取ってください」
      小袋に入れた回復アイテムを差し出す。
      「わかった、遠慮なくもらっておこう」
      断ったら剣士が困ると思ったらしく、素直に受け取る。
      袋を手放した剣士は安心してほっと息をついた。
      「たいした物じゃないんですけど」
      そう言われて、ウィザードはちらりと袋の中身をのぞき込んだ。
      予想と異なる物が入っていたのか、彼はちょっと目を丸くした。
      「……これは」
      「ニンジンジュース&リンゴジュース50本セットです」
      「何でまた」
      普通、回復には赤ポーションや人参が好まれる。
      剣士は少し照れたように頭を掻いた。
      「果物強化月間だったもんで」
      その言葉にウィザードはふっと笑いを浮かべた。
      いやみでもなく、面白いから笑ったようだった。
      「どこへ行くんです?」
      ウィザードへの興味がわいてきたのか、剣士が問う。
      「少し、ウィザードギルドに用があってな」
      「へ?」
      「ウィザードギルドに行こうと思っているのだが」
      剣士の記憶が確かなら、ここはゲフェンタワーの地下ダンジョン一階だ。
      そしてさっき彼はさらに奥へと進もうとしていなかったか?
      「あの、ウィザードギルドって、ゲフェンタワーの最上階じゃ……」
      しばし、彼は考え込むように目を閉じ――ぽん、と手を打った。
      「そうか、最下層ではなかったか」
      がく、と剣士がこける。
      「そんな所にギルドあっても、誰も行きませんって」
      「なるほど、助かった。では私は行く」
      「はい、気をつけて……ってちょっと待った。」
      「何だ?」
      再びマントをつかまれて、去りかけたウィザードが振り向く。
      彼の体は先程と同じ、洞窟の奥の方へ向いている。
      「何でそっちに行くんですか」
      「出口はどっちだった?」
      「あっちです」
      彼が行こうとしていた方と逆方向を指さす。
      「忘れていた、礼を言う」
      「礼はいいですから、地上まで一緒に行きませんか」
      この人は放っておくと何処に行くか分からないと考え、剣士は彼を誘った。
      どっちみちアイテムの補充のために地上に戻るつもりだったのだ。
      「好きにするといい」
      そう言うとすたすたと歩き出してしまう。
      歩幅の違いか、彼は剣士よりも大分歩くスピードが速い。
      小走りでついていきながらも、さりげなく進む方向を示唆することは忘れなかった。



      「……じゃあ、後はここを上がっていけば着きますから」
      「そうか、手間をかけさせて悪かったな」
      「いえいえ、ちょうど外の空気が吸いたかったんです」
      助けてもらったのは俺だし、と言って剣士は軽く頭をかいた。
      「またいつか、会えるといいですね」
      剣士は軽く頭を下げると、そのまま塔の外へ出ようとした。
      しかし、ウィザードの声によって彼は足を止めた。
      「少し時間はあるか?」
      くるり、と振り返る。
      「はい、まあ」
      「……外で少し話さないか」
      「え? いいですけど」
      彼の声に照れが混ざったのを聞き取って、剣士は二、三歩彼に近寄った。
      「でも、ギルドに用事だったんじゃ?」
      「さして急ぐものでもない」
      剣士は三回瞬きをする時間だけ考えて、彼に提案した。
      「じゃー、ちょっと歩きますけどフィールド行きましょう。あんまり人来ないとこありますよ」
      「どこでも構わない」
      ついてきてください、と言って、剣士は塔の外へと歩き出した。
      ウィザードがついてくるのを横目で確認しながら。


      先程までとは違う、草原の匂いをふくんだ風が吹いている。
      湿気た空気を肺から追い出すかのように、剣士は丘の先端で大きく深呼吸した。
      ゲフェンから少し歩いた所にある丘の頂上だった。
      少し下方に視線を転じれば、なだらかな水面が見える。
      ウィザードはしばらく周りを見渡した後、おもむろに地面に座った。
      「ここ、来たことあります?」
      彼の斜め前に腰掛けながら剣士が問う。
      ウィザードは少し考えてから首を横に振った。
      「湖の向こうなら通ったことはあるが」
      「ま、何にもない所ですから。子供の頃、母親にしかられてはここに来たもんです」
      「ゲフェンの出か?」
      「はい、まあ」
      そう答える時、剣士は何処か複雑そうな表情を浮かべていた。
      それに気づいているのかいないのか、ウィザードは話題を変えた。
      「それで、お前は私のことをおかしいとは思わなかったのか?」
      「……最初はちょっとびっくりしましたけど。でも別におかしいとは感じませんよ。
       人それぞれでしょう」
      「そうか」
      そう言った彼の顔はなんとなく嬉しそうだった。
      「この世界に魔法を使わずに魔物と戦うウィザードなど、滅多にいないからな」
      「確かに、今まで出会ったことはありませんね」
      だろうなと言い置いて、彼は前髪をかき上げた。
      そこに見えたものに、剣士は息をのむ。
      「な」
      声を上げてしまってから配慮が足りなかったかと気づく。
      しかし彼は気にした様子もなく、それを指で示した。
      「すまない、驚かせたか」
      まぶたのほんの数ミリ上、爪痕と思われる古傷が横に走っている。
      「はい……すいません。大丈夫ですか?」
      「ずいぶん昔の傷だ、気にするな。目をやられなかっただけでもありがたい」
      魔術師ギルドでは短剣を使う術は教わらないしな、と小さく笑う。
      「あの、失礼かもしれませんが、一つ聞いても良いですか?」
      「なんだ」
      剣士は顔を上げた。
      「何故魔術師の道を選んだんですか?」
      ウィザードは強い目で彼を見据える。
      彼もその視線を受け止めた。
      「あれは、ノービス時代のことだったか」
      ウィザードが視線を空に移す。
      「あの時は自分が何になるか悩んでいてな。漠然と魔術師になりたいとは思っていたが、
       魔力が乏しかった」
      その言葉を聞いて剣士の表情が曇る。
      だが、空を見ていたウィザードはそれには気づかなかった。
      「そんなときにあいつに出会ったんだ」
      「あいつ?」
      「そう。あいつはどんな局面も切り抜けられるマジシャンになると言っていた」
      彼の目には懐かしさと、挑戦心が同居しているように見えた。
      「凄い人、ですね」
      「あえて自分で過酷な道を目指すような奴だからな」
        さらりと言われた台詞に微笑ましさを感じて剣士は笑いを漏らした。
      「で、どうせなら魔法を使わずとも戦えるマジシャンになってやろうと思ってな」
      「なるほど」
      「魔法も学んだが……魔力が伴わないのでな。あまり使うことはない」
      そう言いながらも悲愴的にならず、むしろ誇らしい態度に好感を覚えた。
      思いこんだら一直線、とでも言うような瞳の輝きはどこか少年じみていた。
      「おれ……小さい頃は魔術師になりたかったんです」
      その目につられるように剣士は、誰にも言ったことがないことを話し出した。
      ウィザードは何も言わず、ただ彼を眺めている。
      「適性検査受けた時に、魔力が低くて使い物にならない、って言われちゃって。
       いくらあがいても、どうにもならない現実に気づいたんです」
      剣士はあの時の自分を振り返るように目を閉じた。
      「でも、それでも良かったんですね。やろうと思えばそういう道もあったのか」
      少しの間ウィザードは考えるそぶりを見せていたが、やがて言った。
      「だが、剣士であることに後悔はしていないのだろう?」
      目元を細めた優しい笑顔は、今まで見たこともない表情だった。
      剣士は二、三回目をしばたかせる。
      「もちろん! 人を守りたいと思ってこの職業についたんです。
       今さら後悔なんかしませんよ」
      「騎士になるのか」
      「はい。引退後は、親のない子供達が安心して住める家をつくろうと思ってます」
      夢なんです、と人生設計を語る剣士の姿はとても生き生きとしている。
      「そうか、がんばれ。生きていたら様子を見に行くことにしよう」
      ぽんと剣士の肩を叩いて、ウィザードは立ち上がった。
      ぼちぼち西の空は赤い色を帯びてきている。
      「またいつか、話がしたいものだな」
      「じゃあ、おれが騎士になったらまた会いましょう」
      そして剣士も立ち上がった。
      「そうだな。では、またな」
      「はい、また」
      別れの言葉はいらなかった。
      また会った時には、お互いさらに成長していることだろう。
      大分傾いた赤光を背中に浴びて、ウィザードは町の方へと消えていった。



      ――数日後、またしても道に迷ったウィザードが剣士と出会うことを、二人はまだ知らない。



      End.







小説へ