すれ違い


      商人は、剣士が彼女を好きなことを知っていた。
      ちょっとしたことで話が出来たんだと嬉しそうに話す剣士の顔を覚えていた。
      一緒に狩りに行ってくれと頼み込まれた時の必死な声も、実際会ってみた彼女の姿も鮮やかに蘇ってくる。
      そして、自分の気持ちもわかっていた。


      ある昼下がり、商人と剣士は丘の上でのんびりとくつろいでいた。
      午前中荷物運びを手伝った疲れを癒している最中である。
      「あー、いい天気だなあ」
      ごろんと寝っ転がって空を眺めていた剣士はゆっくりと口にした。
      「それ、三回目だぞ」
      「……いいじゃないかよ、ホントなんだから」
      からかいをふくんだ商人の言葉に、頬を染めながら拗ねたように言う。
      子供のような反応に、彼は声に出さずに笑った。
      それもまた気にくわないのか、むくれた顔をして頭の下で手を組む。
      空を見上げて考えるのは、たった一人の人。
      「会いたいって顔、してるぜ」
      「なっ!」
      剣士の顔をのぞき込んで言うと、面白いほど頬が朱に染まった。
      「な、な、なんでそんなこと」
      真っ赤な顔で、自白しているに等しい台詞を吐く。
      見てればもろバレだ、とは言わずに軽く肩をすくめる程度にしておいた。
      「そんなに好きなら、告白してみたらどうだ?」
      「こ、告白?」
      「告白。心中を隠さず打ち明けること。この場合は好きだという気持ちを相手に伝えることをさす」
      「それぐらいわかってるよ!」
      そう叫んで、剣士は勢いよく上半身を起こした。
      「……それができれば苦労しないって」
      起きあがった勢いとは裏腹に、しゅんと下を向いてしまう。
      「そんなもんかねえ」
      あくまでも他人事、と呑気な商人に剣士は言う。
      「そういうもんなんだ。お前にはわからないのか?」
      「わかるといえばわかるし、わからんといえばわからん」
      「何だよそれ」
      むっとした顔で睨みつけてくるのに負けて商人は話し出した。
      「俺の場合はだな、相手に好きな奴がいるってわかってる」
      「え? お前、好きな人いたのか!」
      初耳だと食いついてくる剣士に、彼はしまったと顔を手で覆った。
      「……まあ、それはいいんだ。でも、彼女には好きな奴もつきあってる奴もいないんだろ?」
      「うん、そう言ってたけど」
      「だったら当たってみたらいいじゃないか。いつまでも『友達』から抜け出せないぜ?」
      剣士は、少し悲しそうな目をしてから顔を伏せた。
      「……ああ、わかってるんだけどさ」
      怖いんだ、と彼は口の中で呟いた。
      それを耳ざとく聞きつけた商人が尋ねる。
      「怖い、ってのは?」
      少々ためらってから剣士は言った。
      「嫌われたらどうしよう、とかもう会えなくなっちゃうよな、とか色々考えるんだ。
       しかも、最悪な想像しか浮かばない」
      「それは、どうにもならねえよ」
      商人はふっと空の方へと目をやった。
      「誰だってそう思ってる。俺も、俺のお袋と親父も、お前の両親もだ。そういうのを乗り越えたから、
       今ここに俺たちがいるのと違うか?」
      「そうか」
      剣士も、誘われるように空に視線を移した。
      誰にも作り出せないような、空の青。
      「悩んでるのがばかばかしいぐらい、いい天気だなあ」
      「ああ、そうだな」
      しばらく、二人何も言わずに空を眺めていた。
      と、唐突に剣士が立ち上がる。
      「よし、おれもがんばってみるか!」
      「行くのか」
      「うん。やっぱ悩むのはおれのキャラじゃないし。今なら……そんなに傷つかないだろうし」
      傍らに置いてあった剣を腰に帯びる。
      一瞬見せた横顔は、今までのものよりは大人びていて。
      「話つきあわせて悪かったな」
      「気にすんな、いつものことだ」
      「せんきゅ」
      礼を言って笑った顔は、いつもの子供っぽいそれだったけれど。
      「俺、ここにいるから」
      「?」
      文脈が読めない剣士は不思議そうに商人を見た。
      「終わったら、戻ってこい」
      そうつけ加えられて初めて意味がわかったのか、軽く頷いて走り出す。
      去り際に、こんな言葉を残して。
      「お前も、上手くいくといいな!」


      「……最低だな、俺」
      一人になってから、商人はそう呟いた。
      剣士が上手くいくようなら、自分が上手くいくはずはないのだ。
      そして心のどこかで、上手くいかないのを願っている。
      「最低だ」
      もう一度低く口にして、彼は剣士がしたようにその場で寝転がった。



      剣士が戻ってきたのは、夕暮れだった。
      相手の顔がわからなくなってくる、黄昏時。
      彼女を捜すのに手間取ったのか、予想していたより帰りは遅かった。
      その足取りから駄目だったかと想像はついたが、駆け寄りたい気持ちを抑えてその場に立ち上がるにとどめる。
      商人の前まで来て、うつむいていた顔を上げた。
      唇をかみしめて、今にも泣き出しそうな顔。
      「……フラれちゃった……」
      ぽつんと一言、それだけ言うと思いだしたのか眉が何かに耐えるように寄る。
      精一杯の力を込めた口がわなわなと震えている。
      「そ、そういう対象に見られないんだって。友達じゃ駄目かって…言われ……」
      無理して話しているのが見てとれるようだった。
      「わかった、わかったから」
      商人は、静かに彼の肩に手を置いた。
      「……もう、泣いていいんだ」
      「あ、」
      そう言われて、ぷつりと糸が切れたかのように剣士の表情が変わっていった。
      みるみるうちにたまった涙は止められることなく流れ、頬が赤くなっていく。
      口からはおさえられない嗚咽が漏れて、風にながれて消えていく。
      それでも声を抑えて泣く剣士を見ながら、商人は彼を振ったマジシャンの姿を思い浮かべていた。
      どこか儚げに見えて、それでいて気丈な彼女は剣士が惹かれても何らおかしくない相手だった。
      しかし、目の前の剣士には頼れる男の風格などはあまり感じられず、いつまでも子供のような印象の方が強い。
      おそらく彼女は、自分が甘えられる相手を欲していたのだろう。
      寄りかかったら諸共に倒れてしまいそうな彼ではなく、振り向いた時にそこにいてくれるような。
      友達でいようと言うのは、一種残酷な言葉だ。
      近くにいるのに手をさしのべられない、最も近くには行けない存在だと思い知らされてしまう。
      いつもそのもどかしさを味わってきた商人には、そのつらさがよくわかった。
      そして剣士を気の毒に思いながらも、何処かで安心する自分に気が付いていた。
      告白できないもう一つの理由を教えてやろうかと、彼は心の中で思った。
      それでも、今自分の思いを伝えるわけにはいかない。
      それは何処か卑怯だ。
      だから商人は、抱きしめてやりたい衝動を抑え、ただ彼を見守っていた。


      もうすぐ夕日が落ちきり、丘に涼やかな風が吹く。
      またたく幾つかの星と、柔らかな光をその身に帯びた月が彼らを照らすだろう。

      明日、再び歩き出すために。



      End.





小説へ