料理
今の生活に不満があるか、と聞かれれば、俺は力一杯頷くだろう。
せめて同居人さえいなければ、まあまあマシな生活であっただろうに。
しかし、そんなことは今言ってもしょうがない。
自分の家を持つということは、家事というものがつきまとうのだということを、俺は忘れていたのだ。
「ただいまー」
「あー、お帰り」
台所に飛び込んできたアサシンに、振り返らずに答えてやる。
どうも最近、この『家に帰ってきた時のやりとり』が殊の外お気に入りのようで、つきあってやらないと
しばらく拗ねるのだ。なんなんだこの成人男性。つーかどんどん精神年齢下がってないか。
「ご飯なに?」
そう言ってちょろちょろ人の後ろから鍋を覗き込むのなんてまんまガキの仕草である。
じゃあなんだ、俺はこいつのお母さんかなんかか。
「肉と野菜炒め」
「……フライパンは?」
「いいんだよ、油はねるから」
文句は自分で作ってから言え。いや、あんたの作ったものは金輪際口にしないと決めてるが。
俺の大事な指に火傷でも出来たらどうしてくれる。
実を言えば、先日フライパンが恐ろしく焦げ付いて使い物にならなくなっただけなのだが。
あんなに火柱が上がるなんて、狩り以外の時で初めて見たぞ。
ああ、こんな所で毎日のように料理してる俺の姿を見たら、故郷の両親は泣くのか喜ぶのか。
少なくともお祖母ちゃんは笑ってくれる気がする。
「……飯がいらないのか」
牽制してやったら、腰の辺りに伸びてきた手がぴたりと止まる。
訂正する。
こんなことを考える子どもはいない。
「両方欲しいな」
「阿呆、皿取ってきてくれ」
適当にアサシンを棚の方に追いやってから、塩が入っている箱に手を入れて、適当に鍋に入れる。
なんだか手触りが変だったのに、奴を遠ざけて安心していた俺は気付かなかった。
「はい」
皿を差し出されて、ちょうど良い具合に炒められたので、味見をするのをすっかり忘れていた。
鍋を半ばひっくり返すように皿に盛る。
昼の残りのそうめんを茹でておいたので、それも持っていってもらおうとすると微妙な顔をされた。
「何か文句でも?」
「いや……そうめん好きだよね」
「楽だし」
ミスマッチだというのはわかってるが、パンが切れてるんだからしょうがないじゃないか。
おかずがあるだけでも感謝してほしいもんだ。
久々にイズルードの魚料理屋に行きたい。アマツの寿司も食いたいなあ。
何で俺、こんなに所帯じみた生活送ってるんだろう。
気分が落ち込んできたあげくに冒険者になったことさえ嫌になりそうだったので、
考えるのを止めて飯にすることにした。
向かい合わせに座ると、何が楽しいのかにこにこと笑いながら手を合わせている。
うちのお祖母ちゃんがよくやってた仕草を教えてやったら、何だか妙に気に入ったらしい。
「いただきます」
「……いただきます」
自分が作っておいて言うのも変なことかも知れないが、小さいころからの習慣はそう簡単に抜けない。
とりあえずそうめんから手をつける。乾麺の技術って凄いな。
さて炒め物でも食べるか、と顔を上げたら、何だか変な顔で固まってるアサシンと目が合った。
「なに?」
「いや? おいしいよ」
すぐに笑顔に戻ったので、気のせいかと思って炒め物を口に入れた。
「ぐ……!」
あ、甘っ!
何だこれ、あからさまに野菜の甘みとかいう生やさしいもんじゃないぞ!
肉にからみつく甘みが下味と抜群の相性の悪さを引き出し、野菜に染みついて大変なことになってる!
なんでいきなり料理解説者になるのかわからないが、とにかく必死で咀嚼して飲み込んだ。
置いてあった水を一気に飲み干す。
「大丈夫ー?」
「だ、大丈夫も何も……! って、食ってんじゃない!」
平然と目の前でこの極悪な品を食うな。いや、作ったの俺だけどさ。
「なんで? 美味しいよ」
「……いや……絶対不味いから」
塩と砂糖を間違えたに違いない。くそ、砂糖の箱と塩の箱隣り合わせで置いてあるからな。
「食べられるって」
「食うな」
食ってるの見てるだけで口の中に味が蘇るじゃないか。
それなのに、にこにこしながら食べる男の気が知れない。
「美味しいよ」
「だから、んなわけない」
「君が作ったのに、まずいわけないでしょ」
「…………」
この男、今なんて言ったんだ。
何だその新婚一週間目の奥さん慰める旦那みたいな言葉は。
俺だって出来ることなら言う側に回りたかった、ってそうじゃない。
「……はあ、さいでっか……」
ずるる、と力無くそうめんを啜る。
一体どんな言葉を返せと言うんだ。
「ああ、明日は麻婆豆腐食べたいな」
「マーボードウフ……? ああ、あんたが定食屋で美味そうに食ってた」
赤い汁と挽肉と豆腐が入ってたことしか覚えてないな。ちょっと辛かったっけ。
「作り方知らない」
「食べたいな」
なおも悪夢の野菜炒めを食べながら言ってくる。それは無意識に脅してんのかあんた。
「だから、作れないって」
「食べたいなー」
「作れな」
「食べたいな」
まかり間違ったら人一人殺せ……もとい、惚れさせそうな笑顔で要求してくる。
口に運ばれてるのは俺の失敗で人間の食べ物じゃなくなった夕飯。
わかってたさ、最後には俺が折れなきゃいけないってことぐらい。
変なもの作った責任もある。
「わーったよ、作り方聞いてくるから」
「ありがとう、大好き」
大皿一杯入った甘い炒め物食べて、よく頭がどうにかならないものだ。
すっかり食欲が失せたので、そうめんを適当に食べていると、唐突にアサシンが席を立った。
なんだ、やっぱり吐くのか?
「忘れてた」
一言落として、そそくさと玄関の方に向かう。まあ、奴の行動が突飛なのは今に始まった事じゃない。
胸に去来する悪い予感なんてきっと気のせいだ。
「これ、お土産」
素早く戻ってきて、なにやら紙に包まれた柔らかげな物体を押しつけられた。
「……開けるのか?」
「うん、あげるから」
さっきより少々嬉しさが増した笑顔を向けられて、しょうがないから開けてみて。
見たくないものを、見た。
「なあ、これは何の冗談だ」
「定番でしょ?」
「……俺に、これを、着ろと?」
信じたくなかったので、一言一言区切って言ってやったら、臆することなく頷いた。
確かに定番だろう、女の子限定だが。
奴の顔を見ていたくなくて視線をおろすが、その先には妙な物体しかなく。
それはほんのり薄いピンク色だった。
あくまでも柔らかい生地、肩ひもと思しき部分には無駄にフリル。
何のためについているかわからないポケットは物が入るのかと言いたくなるハート形、無論フリル。
丈は短く、本来の用途には見合わない装飾。
俗に言う新婚さん用エプロン――色はピンク、多分3kぐらい。
「あのねー、裸エプロンが見たい」
「ふざけんな」
誰でもいいからこいつの存在を闇に葬ってくれませんか。
というかこんなもの一体どこに売ってるんだ。いや聞きたくないけど。
「一度で良いんだけど」
「絶対しない。返してこい」
「返却不可なんだけど……」
横に立っていたアサシンに包みごと投げ返し、そうめんに集中することにした。
なんだか悲しそうにエプロン見たまま何か考えているようだったが、無視だ無視。
こういう時に甘い顔見せるとつけあがるからな。
がたん、と、唐突に視界が横転した。
勢いで引っかけてしまったそうめんつゆの器が倒れて、テーブルのはしからぽたぽたとつゆが垂れる。
椅子ごとひっくり返った状態で、俺はアサシンの顔を見上げていた。
「ちょ……なに」
「傷ついたから賠償してもらう」
あんたのどこにそんなやわな心が眠ってるんですか。
「馬鹿か! そもそもあんたが勝手に……!」
だああ、そんなとこ触るんじゃない、ここをどこだと思ってやがる。
「あれは人にあげるから」
腰に加えて背骨まで痛くなった状態でそんなことを言われた気もするが、よく覚えていない。
「……顔色悪いですね」
「気にするな」
翌日、麻婆豆腐の作り方を聞ける相手、ということで俺が向かった先は友人の騎士の元だった。
子どもの相手をする気分でも体調でもなかったので、裏口からこっそりと。
開口一番そんなことを言われたが、頼むから触れないで欲しい。
「麻婆豆腐は……さすがに作ったことないです」
「あー、そっか」
普通に料理上手なことは知っていたので期待していたが、やっぱり難しいか。
「でも、豆腐屋の奥さんなら知ってるかもしれないから、聞いてきますよ」
言うが早いか、かたんと立ち上がる。
「や、そこまでしなくても」
「どうせ買い出しに行こうと思ってたんで……あ、お帰りなさい!」
後半は俺の後ろのドアにかけられた言葉だった。振り向くと、何か袋を持ったウィザードが立っている。
「ただいま、と、いらっしゃい」
「どもー」
すっと背の高いこのウィザードは、あのアサシンと張れる腕前の持ち主である。
現在ここアルベルタに滞在し、騎士と仲良くやっているらしい。円満で羨ましいことだ。
「……じゃ、買い物行ってくるんで、洗い物頼めます?」
「了解した」
ぼんやりと眺めている間に会話は終わったらしく、騎士はこちらに一つお辞儀をして出かけていった。
さて何するか、やっぱり子どもたちと遊んでくるかな、と思った時だった。
袋から出した物を身につけているウィザードその人を見て、俺は固まった。
「……あ、あのー……おにーさん?」
「なんだ」
「…………それ、どうしたんですか」
つい敬語になってしまった。ああ、しかしその見覚えのある物体!
「いつものエプロンが洗濯中なもので、先程もらった物を使おうと……どうした、何か問題でも?」
がくっとテーブルに突っ伏してしまった俺を覗き込んで訪ねられるが、答える元気があろうはずもない。
重ねて言うが、このウィザードのお兄さんはすらっと背が高いし、薄着になればわかるぐらい筋肉もついている。
顔の美醜は俺が気にしないんでよくわからないが、少なくともアップに耐える顔だと思う。
まあ、しかし、しかしだ。
……ピンクの可愛らしいエプロンは、少々身の丈にあってない気がします。ていうか丈短すぎ。
「……それ、燃やした方がいいと思う……」
むしろ昨夜燃やさなかった自分を悔いて、俺は体を起こす気力すら失っていた。
今日の麻婆豆腐は力一杯辛くしてやる、と誓うことしかできない自分が少し悲しくもあったが。
End.
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