賭と罰ゲーム
二人の青年が、テーブルを挟んで対峙していた。
一人は椅子に深く腰かけ、腕を組んでもう一人の手元をじっと見ている。片手には、扇形に広げたカードを持っていた。赤く丈の短い上着、腕輪やら首輪やらで身を飾ったローグである。
もう一人は黒い装束のプリーストだ。椅子から身を乗り出すように、テーブルの真ん中に置いてある山からカードを引き抜こうとしている。
その空気はどことなく緊張感を漂わせていた。
ぴっとカードを抜いて、胸に押し抱くようにして確かめる。
必死に顔に出さないようにしているらしいが、ぴくぴくと片唇が動くのをローグはしっかりと見ていた。それはしまったな、という表情に少し似ていた。
「……下りなくていいのか?」
「い、いいよっ」
ことさら余裕を見せて笑ってみせれば、強がりに聞こえなくもない返答が返ってきた。
よし、と声を上げて、ローグは手元のカードをテーブルの上に広げた。
「だあああああ! マジかよー!!」
かくして数秒後、ローグの叫びが安宿の一室にこだましたのだった。
「さーて、なにしてもらおうかなー」
語尾にハートマークがつきそうな浮かれ具合で、プリーストは何故か部屋の中をくるくる回っていた。
一方、げっそりとしたローグは力無く椅子にうなだれている。
「嘘だろ……いくらイカサマしなかったからって、何でポーカーで俺が初心者に負けるんだ……ああくそっ、あそこでエースさえ引いてりゃ……」
ぶつぶつと言ってはいるが、プリーストの方は全く聞いていない。
最初は、サイコロ運が悪いからと落ち込んでいたプリーストを励まそうと、ついでにちょいとカモにしてやろうと、ローグがカードゲームに誘ったのだった。最初から金を賭けるのはあんまりだったので、お約束で負けた方は一日言うことを聞く、とかいう罰ゲームを作って。
負ける気がさっぱりなかったローグは、一日アイテムでも拾ってきてもらおうかなーと思っていたのだが、あっさり負けてしまったのだった。
「よーし、決めたっ!」
ホムンクルスのように歩き回っていたプリーストは、自分の荷物を漁るために立ち止まった。ごそごそと漁る姿を、口元を引きつらせてローグが見ている。
はっきり言って、聞きたくなかった。
罰ゲームを言い出してきたのはプリーストの方で、また彼がポーカーフェイスなど出来ないことを知っていたからそれを受けたのだが、騙されたようだ。表情が読みとれなかったことも、ローグのショックに拍車をかけていた。
ややあって、プリーストは目的のものを見つけたようだった。
じゃーん、と目の前に差し出されて、ローグは嫌な予感に目をつぶった。
「これつけて一日デートねっ!」
ぽすっとローグの腹の上にそれを放り投げて、プリーストは乙女が祈るようなポーズで手を組んでそう言い放った。その顔が非常に楽しそうで、ローグはこの野郎と罵りそうになる口を必死で押さえた。
腹の上のそれに視線をやっても、姿が変わるわけではない。つまみ上げても、見たまんまの肌触りである。
そう、人呼んで黒い猫耳が、プリーストの言い出した罰ゲームだった。
確かに、前々からこれをつけてくれ、と言われ続けてはいた。だが断っていたのは、自分には似合わないとローグが思っているからである。
あのなあ、とローグはため息混じりで切り出した。
「俺がこんなのつけて何が楽しいんだよ?」
「楽しいよ! 絶対似合うって!」
「似合わねーよ! こういうのは女の子とかお前みたいなのがつけるもんだろ!」
ローグは抜きんでた長身というわけではないが、人混みを歩いていて流されないぐらいの身長はある。支援の技を磨くプリーストに比べれば、体つきもずっとがっしりしていた。別段他の男がつけていても気にならないが、自分がつけるのは嫌だ、というのがローグの主張であった。
「絶対かわいいもんっ」
「かわいくない!」
常日頃から自分のことをかわいいかわいいというプリーストが、ローグは心底不思議だった。
かわいいと言われる要素は鏡のどこを見ても見つからないし、何より、自分が人から好かれるような人間でないことを知っていたからだ。
「とにかく! 別のにしろ、別のに」
「えー、やだー」
「えー、じゃありません!」
むむ、とふくれた顔をしたプリーストは、一転にこやかな笑顔になった。言ってしまえば何かが吹っ切れたような、ローグはその笑みに寒気を覚えずにいられなかった。
「そんなに触手プレイがしたかったんだね!」
「なんじゃそりゃー!」
「いいんだよ、俺ハイドクリップ持ってるしね、ペノに嬲られる様子をずーっと見てるね!」
きっぱりはっきり言い切られて、ついでに彼の頬が紅潮しているのを見て、これは本気だとローグは悟った。いくら回避が得意だと言っても、ペノメナの攻撃をかわしきることは到底出来ない。毒を含んだペノメナの触手は、かなり痛いのだ。
しかも、罰ゲームをすることを承諾してしまったのだから、今さら無しにするわけにもいかない。
ローグは悩んだ挙げ句、黒い猫耳を握りしめた。
「わかった! わかったよ、明日一日だけだからな!」
はっきり言ってやけくそである。
だがプリーストは嬉しかったようで、ぱあっと表情が明るくなった。
「わーい! ペノメナの方が良くなったらいつでも言ってねっ」
それだけは絶対言わねえ、とぼそぼそ口の中で言うと、ローグは底知れない疲れを感じてベッドへと移動した。サイドテーブルに猫耳を置き、早々に潜り込む。
「お休み、また明日な」
「うん、楽しみー、お休みなさーい」
ひらひらと手を振って、プリーストは自室へと戻っていった。きわどいことは口にするが、未だに彼と同じベッドはおろか同じ部屋でも寝たことはない。つまりはそういうことなのだ、とローグは一人目を閉じた。
翌日は快晴だった。
それはもう、嫌になるぐらい晴れていた。
プリーストの表情も、同じぐらいに晴れている。
「楽しいなー、デートデート」
デートじゃない、と否定する言葉も出てこず、ローグはこころなしかうなだれて歩いていた。
別に通行人の頭装備なんて誰も気にしないとはわかっていても、あまりにも自分に合わないと思っているのである。頭の上には約束通り、黒い猫耳。いつも火はつけずにくわえているタバコは取り上げられたので、妙に口寂しい。プリーストの方は、頭に垂れ猫をのっけて上機嫌である。
その様は似合っている。どことなく抜けているような表情をしているのだが、遠目に見ればかなりまともそうな人間に見える。口さえきかなければもてるだろう、とはプリーストを知る人間の大体の意見だ。
「さあどこに行こうか! ご飯はまだだからー、露店見て、ゲフェンの展望台とかっ」
「ああ……もーなんでも好きにしてくれ……」
黒い猫耳をつけた姿を、朝姿見に映したのが失敗だった。
絶賛するプリーストを余所に、ローグは海より深く落ち込んだものだ。
「はっ! それともいっそ大聖堂に行ってこのまま結婚式とか!」
「謝れ。自分の職と神様に謝れ」
それでなくても大聖堂など鬼門である。男同士での婚礼は、この国では認められていない。その前に、恋人ですらないということを突っ込もうかと迷い、結局その辺のことはローグは捨て置いた。
結局そのままプロンテラの大通りを南下する。露店が立ち並ぶこの通りは、冒険者の姿が多いが一般市民も買い物に歩いていることが多い。
欲しいものはそれこそ山ほどあるが、金はほとんど持っていない。どこの町でもスリの類はいるもので、ローグは職業上大金を持ち歩くことはしていないのだ。プリーストの方はどうかはわからないが、特に買い求める様子もなく、それでいて楽しげに露店を見て回っている。ちょろちょろと向こうの方に行ったかと思うと、たちまち戻ってきてローグの見ている武器を覗き込む。立ち止まっているのが苦手とでも言うような行動に、ローグは苦笑した。
ふと、通りの向こうで今までと違ったざわめきが起きているのに気がついて、ローグはそちらに目を向けた。人垣が割れて、男が走ってくる。嫌な予感がして、無意識にプリーストの姿を探して視線を動かすと、どんっと男にぶつかられた。
その腕を咄嗟に掴む。
もうそのころには、向こうの方からひったくりだ!と叫ぶ声が聞こえていたからだ。
「おいおい……逃走中にもう一件、ってか? 随分欲張りだな」
懐を探られても軽い財布しか入っていないのだが、流石にあっさり盗らせてやるほど間抜けではない。ついでに、ぱっと見冒険者ではなさそうな男の手には、不釣り合いなバッグが握られていた。
モグリか、とぼそりと呟く。
尤も、シーフギルドに入ったからといってスリや盗みを働いていいわけではない。冒険者としてシーフ並びにアサシン、ローグが認められた背景には、ギルドマスターがある程度監視することによって犯罪率の減少を狙ったことがあるとも言われている。
実際ローグはモンスター以外から盗んだことはないし、しょっぴかれた同業者も見たことがない。
と言っても、やはりスリなどの犯罪をするものはいる。大抵が正規ギルドではなく、都市ごとの犯罪組織に属してシマを守っているのだが。
そういう人間は続けて盗みをしないことをローグは知っていた。
「まあ、それ返して詰め所に行ってらっしゃーい」
「くそが……!」
男は必死で振りほどこうとしているが、伊達に冒険者などやっているわけではない。これは跡が残るだろうなあと思うほど、ぎりぎりと相手の腕を握り続けた。
このまま行けば、持ち主は荷物が帰ってきて万歳、詰め所の連中にちょっと事情を説明して終わった話だった。だが、そうは上手くいかないのが人生というものだ。
「あーっ! 俺以外の人と手繋ぐなんてっ!?」
そのすっとんきょうな声が、聞こえるまでは。
騒ぎに気付いているのかいないのか、連れのプリーストは非難の色を表情に滲ませて立っていた。ちょうど、ローグと男の周りからは人混みが引いていたので、そこに人垣から出てきたのだ。
ぎょっとして、そんなことを大声で叫ぶな、と怒鳴り返そうとしたせいで――ローグに隙が出来た。
その一瞬に、男はローグの手を振りほどいて走り出した。
しまった逃げられる、と追おうとしたローグはしかし足を止めた。止めざるを得なかった。
素直に逃げればいいものの、男が懐から取り出したナイフを片手に、プリーストをはがい締めにしたからだ。
どこからどう見ても人質である。
「え? え? 何これ?」
プリーストはきょろきょろと辺りを見回して、ナイフを見、見物人の青ざめた顔を見、最後にローグの真剣な眼差しを見て、さあっと血の気を引かせた。
「動くんじゃねえ」
低く抑えた声で男に言われ、かきんと固まる。
修羅場の一つや二つは乗り越えてきているのだが、如何せん相手が人間ではタチが悪い。
ちっ、とローグは相手に聞こえない程度に舌打ちをした。
ひっそりと腰に提げた袋に手を伸ばしたが、男の声がそれを制した。
「てめえもだ! 動くな!」
「……多分すぐに騎士団が動くぜ? 無駄なことしない方がいいんじゃねーの?」
こちらこそ無駄だとわかっていながらローグはそんなことを口にする。
案の定、男はじりじりとローグから遠ざかるように後ずさる。
「うるせえ、てめえのせいで失敗したじゃねえか!」
「知るか、自分の腕に怒れよ」
しまった、とローグは表情には出さなかったが思った。うっかり人質のことを忘れて思った通りのことを言ってしまった。相手はかっと頬に血が上る。
「やかましい! 似合いもしねえもんつけやがって!」
「うっせー! これは好きで……」
すっかり忘れていた猫耳のことを指摘されて、ローグはさっき失敗したことも忘れて怒鳴ろうとした。しかし、好きでつけてるんじゃない!と否定しようとした言葉を咄嗟に飲み込む。
何故なら、男にナイフを突きつけられながらも――プリーストがじーっとローグを見ていたからである。ついでに言うなら、なんだか今にも泣き出しそうな顔で。
それが恐いとかそういう感情から来ているのではないことを、ローグはわかっていた。彼は単純に、猫耳を気に入っていないということを聞くのが辛いのだ。何回もいやだって言ったということなど、プリーストの頭の中からは綺麗に消えていることが想像出来る。
しかしここで上手くいけば、この状況を切り抜けられるかも知れない、とローグはひらめいた。
だがそれには、自分の多大な羞恥心が邪魔をする。せめてギャラリーさえいなかったら、と心から思うが、平和な日に突如現れた事件の種を人々が放っておくはずもない。しかも枝テロより安全ときた。
ただ、このまま放っておいても多分男は捕まるだろうが、それまでにプリーストが無事という保障もない。いくら癒しの力を持っていても、切られれば痛いのだ。
ええい、とローグは腹をくくった。
「……好きでつけてるんだよ! 悪かったな!」
顔が赤くなるのがわかったが、そんなことに構ってはいられない。
人垣から『えー、そんな趣味?』とか『人それぞれか……』とか聞こえてきているのは気のせいだ、とローグは自分に言い聞かせた。
男は呆気にとられた顔をしたが、すぐに噴きだした。
「ははっ! なんだよ変な趣味しやがって!」
やかましい、とは口にしなかった。男の腕の中で俯いているプリーストの様子を見ていたからだ。
ふふふ、とどこからともなく笑い声が聞こえる。男がぎょっとして人質の様子を見るのと、彼が顔を上げるのとは同時だった。
「本当ー!? きゃーやだ嬉しいー!!」
火がついたようにテンションが上がっている。一目で興奮していると知れる赤い顔をして、今にも男の腕から飛び出しそうだ。慌てて男はナイフをちらつかせるが、プリーストはそんなもの見てすらいない。
男の目がローグから離れた隙に、今度こそ石袋からローグは石を取り出し、素早く投げた。
それは狙い違わず、男がナイフを持っている右手の甲に当たる。
「がっ!?」
ナイフを落とした男がしゃがもうとした時、左腕の上で光がはじけた。
「ホーリーライトっ!」
素早い詠唱で、プリーストが己を戒めていた腕をほどく。たっと男と距離を取った。
舌打ちして走り出そうとした男は、振り返る直前にローグがすでに姿を消していたことには気がつかなかった。そのまま、地面に倒れ込む。
頭には大きなたんこぶが出来ていた。
ハイディングで身を隠したローグが、男の後ろから素手バックスタブをかましたのだった。
男を殴った手でひらひらと空気を混ぜながら、倒れた男を一瞥する。
こいつのせいでかかなくてもいい恥をかいてしまったと思うと、もう二、三発殴ってやりたい気分になる。だが、それは叶わなかった。
横手からすっ飛んできた物体にフライングアタックをかまされて、その場に倒れたからだ。
「手加減しろー!」
いくらプリーストが細身と言っても、全体重をかけられては支えきることは出来ない。
彼は至極嬉しそうな顔で、ローグの腰側面にしがみついたまま離れようとしない。
「それ気に入ったんだよね! そうだよね?」
きらきらした目で見上げられて、違うあれは嘘だ、と言えるほどローグは人生経験が多くはない。
あー、うー、と適当に唸っていると、どうやらプリーストは勝手に納得したようだった。
「えへへー嬉しいなっ、これからずっとつけてようね!」
「いやそれだけは勘弁」
ふと気がつけば、詰め所から騎士団の人間が出てきたようだった。数人が男を立たせ、その中の一人がバッグをひったくられたと思しき人に渡している。となれば、最早自分たちは用済みだ。
そう判断すると、ローグはプリーストを促して立ち上がった。
二人に気がついたのか、荷物の持ち主がありがとうございましたと頭を下げている。いえいえどーいたしまして、と軽く会釈を返しているうちに、王国騎士が声をかけてきた。
「ご協力、感謝します」
「あーいえいえ」
冒険者に与えられる騎士の装束とは少し違う鎧を身に纏っている。冒険者からの騎士ではなく、国仕えの騎士なのだろう。中にはシーフ系の職の連中を疑う者もいるが、目の前の彼はそうではないようだ。
二、三質問に答えると、詰め所に同行することもなくあっさり解放された。
その場を足早に去る。
ずかずかと歩きながら、ローグは当分プロンテラに顔を出すのを止めようと心に誓っていた。日々様々な話題が提供される首都では大したニュースにもならないだろうが、せめて自分が猫耳趣味であることを見物人が忘れてくれるぐらいの時間が経ってから、と。
そのまま南門をくぐってから、ようやくローグは立ち止まった。
後からついてきていたプリーストは、まだしまりなく笑っている。
「……恐くなかったか?」
ローグは油断した自分に責任を感じていた。そもそも隙さえ作らなければ、プリーストが人質になることも恥ずかしいことを口走ることもなかったのだから。
プリーストは聞かれてびっくりした顔をしたかと思うと、少し違った笑顔になった。
「大丈夫だったよ、いてくれたからね」
誰が、というのは聞くまでもなかった。
「そーか」
適当に返して、ローグは再び歩き出した。小さくごめんなと呟く。
「どこ行くのっ?」
その足は西に向かっていた。プロンテラ内に戻る気はなかったので、少々遠回りにはなるが。
「……ゲフェンの展望台に行くんじゃねーの?」
そしてまた、プリーストは笑う。ローグの頭の上で揺れる猫耳を見上げながら、とびきり元気に頷くのだ。
「うん!」
End.
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