偽りも愛
「俺の恋人になってくれ!」
「……はぁ?」
いきなり訪れた友人の突飛な発言に、ローグのくわえていたタバコがぽろりと落ちた。
「とりあえず落ち着け、水飲むか?」
「あ、いや、いらない……悪いな、突然」
息すら上がっていた友人を椅子に座らせて、ローグも向かいの椅子に座った。
こうして見た感じ、彼はいつもと変わらなく見える。
きっちり着こんだクルセイダーの装束、身から離さないロザリオは服の外側に出てきてしまっている。
普段なら脇に置く長剣も腰に提げたままで、床の木に傷を付けている。
訂正しよう、大分違うようだ。
かといっていきなり自分に恋したわけでもあるまい、と冷静に判断したローグはまず事情を聞くことにした。
「まず事情を聞かせろよ、答えはそれからだ」
答え、と聞いたところでふっとクルセイダーの頬に赤みが増した。駆け込んできて開口一番にあんなことを
言ったのは決心が鈍らないようにだったのかとローグは納得する。良くも悪くも一本気なこの友人の性質を
ローグは気に入っていた。
「ああ、そうだな……」
ごほん、とわざとらしい咳を一つ。それから実に言いにくそうに、クルセイダーの事情説明が始まった。
それはつまり、こんなことだったらしい。
以前魔物に襲われているところを助けた女性が、無事に転職したので会って欲しいと言ってきた。
快く応じて会いに行ったところ、何故かその場で求婚されたのだという。
流石にそれに応じるわけにはいかない、ときっぱり断ったのだが、相手は諦めてはくれない。
困り果てた末に恋人がいると言ってしまったが、女性にはとてもではないがこんなことは頼めない。
ならば気心の知れたローグに頼めば、相手に自分が同性しか愛せない人間だと思わせることもできるのではないか。
と。
「なぁるほど……」
よくある話だがな、とローグは内心呟く。しかし自分の回りでこういう事が起こるとは面白い――もとい、
珍しいとも思う。
「いくらお前にだって失礼なこと頼んでるとは思ってるけど……もう手がないんだよ」
確かにクルセイダーはほとほと困り果てているようだった。
「相手ってえのはどんな子よ?」
クルセイダーに目を付けたところからしてセンスはいいが、人を見る目はない。
恋愛より剣を振るっているか教典を読んでいる方が楽しいと公言してはばからない男に必死になっても
仕様がないからだ。
「綺麗なひとだよ、職業はハンター」
「ふーん」
自分で聞いたくせに、さっぱり興味がないような風のローグに焦らされたのはクルセイダーだった。
彼にしてみればかなり人生の瀬戸際に立たされているのだ。
「綺麗ならいいじゃん、結婚しちまえば?」
「馬鹿言えっ」
口を開きかけたところにそんなことを言われて、飛び出したのは別の言葉になった。
「ただでさえ俺一人食っていくのに精一杯なのに……この上貯金と修行の時間が減ったら俺は何を楽しみに
生きていけばいいんだ!?」
「いや……悪かった」
真っ向から主張をぶつけられてローグはいささかひるんだ。
「だいたいお前はいつも『結婚は人生の墓場』とかなんとか言ってるだろ」
「いんや、今のところ本気になれるようなやつは相手してくんねーだけ」
ローグは絶世の美男子というわけではないが、少々粗野な部分が女性には男らしく映るらしい。
今まで女性に不自由しているところをクルセイダーは見たことがない。
へえと相づちを打ってから、本題から随分離れてしまったことを思い出した。
「それで……引き受けてくれるのか」
「あー」
どーしよっかなあなどと言っておちゃらける様はどう見てもからかっているようにしか見えないが、
クルセイダーはどこまでも真剣だ。
「まさか本命がいたりするのか?」
その真剣さの延長線上でそんなことを聞かれて、あまりにもタイミングをはずされたためローグは
笑い飛ばすことすらできなかった。
「さっき言っただろーが、今はフリーだよ」
ひらひらと手を振って否定した拍子に、不自然にならないように目を逸らす。
「んで、お前俺に断られたらどーする気よ?」
「そりゃ……」
言いかけてクルセイダーは言葉を切った。頭の中で必死になって考えているのが外からもうかがえて、
わかりやすい奴と言いたくなるのをローグは辛うじてこらえた。
「……考えてなかった、けど! お前以外にこんなこと頼める奴いないし……どうしよう?」
どうしよう、とローグに聞いてくるさまがあまりにも可笑しくて、とうとうローグは腹を抱えて笑い出した。
もちろん、むっとしたクルセイダーが剣の柄に手をかける前には笑いを納めたが。
「わーったよ、やってやる」
「本当か!」
「ただし」
承諾の言葉に勢い込んで上半身を乗りだしたクルセイダーの目の前に、ぴんとローグは一本指を立てた。
派手な腕輪やドクロの指輪たちよりも、クルセイダーの視線はただその指だけに注がれる。
「『恋人』やってる最中は俺のやることに文句いわねーこと、それが条件だ」
「あ、ああ……その方がいいだろうな」
恋愛も女性との別れ話も経験豊富だろう相手に任せた方がいいと、クルセイダーもそれに頷く。
かくして決戦は明日、にわか仕込みの恋人たちの完成だった。
その日は嫌になるほど晴れた日だった。
あまり人の来ないイズルードの路地裏が女性が指定した待ち合わせ場所だ。
大分前から来て他愛のない話をしていたクルセイダーの顔が不意に引き締まる。
ローグが振り返ってみれば、路地裏に一つ影が増えていた。正確に言うなら、二つ。
頭上に鷹を従えたハンターが悠然とそこに立っている。スタイルは上々、とローグは素早くチェックした。
「こ、こんにちは」
多少引きつった笑みを浮かべて、クルセイダーが挨拶をする。それに反応して顔を上げたハンターは、
稲妻のような早さでクルセイダーに近づいた。流石に男二人はぎょっとする。
「来てくれたのねありがとうこれはもうおっけーってことねさあ結婚しましょう結婚!」
連れの鷹は、と言えば屋根のひさしに陣取って傍観の体制に入っている。心底羨ましいなあと思ったのは
クルセイダーかローグかあるいは両方か。
「あの……悪いけど」
「こいつに気安く触るんじゃねーよ」
何か、恐らく断りの言葉を言いかけたクルセイダーを制してローグが口を開いた。
ぐいとクルセイダーの腕を掴んで自分の方に引き寄せる。
邪魔をされて、大きな目でハンターがローグのことを見た。
「あなたなに?」
遠慮も何もなかった。どうやら、直感で相手を障害だとみなしたようだ。
「これの恋人」
いけしゃあしゃあと言ってのけたローグは、これ見よがしに肩に手を回してみたりする。クルセイダーも
嫌がっていない様子だったのが、ハンターに火を付けた。
「はあ?なに言ってるのよあなたこの人はねえ私の旦那様になると決まってるのええそうよこれは運命よ
どんなに逆巻く波も嵐も二人を引き裂けはしないのよ!」
「うわぉノンブレス」
ローグは一言感想を言って肩をすくめた。クルセイダーの方は、嵐なんて来ないよなあと空を見上げている。
「ウンメイとやらで俺とこいつの愛を止められると思ったら大間違いだな」
さくりと至近距離でそんな台詞を言われて、クルセイダーは鳥肌が立つかと思った。余裕を見せるためか
薄ら笑いを浮かべてはいるが、声音は真剣な色を帯びている。凄いな、と呑気な感想を抱く。
「あらよく見たらあなた男ね」
「今気付いたのか!」
ハンターの一言にかなり驚いてクルセイダーが思わず声を上げる。すかさずハンターが畳みかけた。
「ええそうよだって私の前に立ちはだかる障害って事には変わりないんですものでもねこの変な男が
あなたのことを好きでもあなたがこの男のことを好きだとは思えないのねえそうでしょ愛してるのは
私だけだって言って?」
果てしなく思いこみが強い上に、思ったことは一気に口に出さないと気が済まないタチらしい。
こりゃ結婚したかねえな、とローグは判断を下した。
「いや……君のこと愛してないし」
「ほら、きっぱり言ってやれよ」
ごにょごにょと言ったクルセイダーに、わざと耳元に唇を寄せてローグが囁く。
もちろん、ハンターに聞こえるような音量だ。
「え、と……その、俺、こいつのこと、あ、愛して……るから」
どもりまくりではあるが、恥ずかしげに頬を染めて視線をそらせている様子を見ると、
そのぎこちなさっぷりがいっそう真実味がある。
実際恥ずかしいのと言い慣れてない台詞のせいで袖の下が鳥肌だらけなのは内緒だ。
「がーん」
流石に彼女もショックを受けたようだった。わざわざ効果音を口に出して一、二歩よろよろと下がる。
「げ、幻聴かしらそうなのよきっとそうねだって彼が私のこと愛してくれてるなんて目を見れば分かる
じゃないはっそうねつまりこれは愛の試練!」
が、さっぱり懲りてはいないらしくぶつぶつぶつぶつと例の調子で呟き続けている。
ちょっと不気味だった。
ついでに現実認識能力もかなり欠けているらしい。
「どうするよ……俺こわいよ」
肩を抱きかかえられたままの体勢だったので、内緒話をするのは容易だった。
俺もこええと同意しておいて、ローグは素早く視線を走らせて人目の有無を確認した。
人はいない。ただでさえ中央通りから外れているし、そもそも首都に比べればこの町は人が少ないのだ。
剣士ギルドへのルートも船着き場へのルートもかすりもしない、そんな場所だ。
「……しゃーねえ、荒療治だな」
ぼそりと呟かれた言葉の意味をクルセイダーが聞く間もなく、ローグがやおら声を張り上げる。
「おい、嬢ちゃん!」
天からの導きがどうの悲しみに埋もれた愛の羽根がどうのと最早危ない世界と交信しているとしか
思えない領域に足を踏み入れていたハンターは、その呼びかけに顔を上げる。
その身を覆う雰囲気はどんよりと薄暗いのに、顔だけが輝かんばかりの笑顔なのはかなり恐かった。
しかし一瞬後には、クルセイダーにそんなことを考えている余裕はなくなった。
彼女の方を向いた顔を強引にローグの方へと向けられ、突然その唇を塞がれたからだ。
「…………!?」
突然のことに目を開くことしか出来ず抗議も忘れていたが、今までにないほど間近に見るローグの目が
閉じられているのに気が付いて、そういうものなのだろうとクルセイダーも目を閉じた。
自分は彼に約束したじゃないか、と自分に言い聞かせて。
ローグのやることに文句を言わないこと、と。
確かに彼はクルセイダーのためにこんなことをやってくれているのだから。
これもお芝居の一つなんだと必死に言い聞かせていると、なんとなく寂しいような感じがした。
クルセイダーはその自身の感覚を無視して、ひたすらに目を閉じていた。
何とも言えない、表記どころか発音すら出来ないような奇声をらしきものを上げているハンターの声と
足音、遠ざかっていく気配と鷹の羽音を聞いてから少し経って、ようやく唇は離された。
「……割と早かったな」
その言葉を聞くまで、なんとなく恐くてクルセイダーは目を開けられなかった。
ゆっくりと開けてみると、体を離してハンターが去っていった方角を見るローグが見える。
ちっ舌までいかなかったか、とローグがぼやいているのはクルセイダーには聞こえていない。
「……お前の目、紅茶の色なんだな」
「ん?」
思わず言ってしまった言葉が自分でも信じられなくて、ごまかすように口元を覆った。
それと同時にさっきの感触までが蘇り、ぱあっと顔が赤く染まる。
ローグの方はそれを知ってか知らずか、きょとんとした顔でクルセイダーを見ている。
何故か見られていることにクルセイダーが居心地の悪さを感じだしたころ、ローグは言った。
「謝らないかんな」
「なにを」
「キスしたこと」
言葉に出されてぐっと現実味を帯びたようで、クルセイダーはそのまま黙る。
どうせ演技だったのだから、何も謝られるようなことではない、と決めつけそうになっていた。
「ついでにもう遠慮しないことに決めたからよ」
さて、次の言葉の意味をクルセイダーは真剣に悩みそうになる。一体何を遠慮しないというのか。
「本命を作ることにした」
「あ? ああ……おめでとう」
彼女の長台詞でも聞いて結婚したくなったんだろうかとあり得ないことをクルセイダーは思う。
そんな人間がいたらお目にかかりたいものだ。
ローグは底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「お前にも協力してもらうから」
「そうだな、俺に出来ることならなんでも」
世話になったことだし、と言いかけた言葉は相手の口の中に消えた。
瞬きする間にクルセイダーの広い肩を抱きしめたローグは、今度こそ深いキスを仕掛けたのだ。
耳に湿った水音が響くようになると、クルセイダーが鼻から抜けたような息を漏らす。
楽しそうに舌先を弄ぶローグは目を閉じてはいなかった。
胸元に手を突っ張るような動きを感じて身を引く。
「な、な、な……!?」
濡れた唇をぱくぱくさせるクルセイダーは心の底から混乱していた。
見せる相手もいなかったのに、と。
「どうも相手にしてもらえそうだったんでな」
一方ローグの方は飄々としている。
「一生言う気もなかったが……愛してるぜ?」
とうとうクルセイダーは唇を動かすことすら止めてぽかーんと口を大きく開けてしまった。
これがタチの悪い冗談なのか、本気なのかの区別が全くつかなかったからだ。
「……んな顔してっとまたキスするぞ」
「!」
クルセイダーは慌てて口元をおさえる。
その様子に、ローグは心底楽しそうに笑った。
End.
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