アコさんと剣士くんの場合
「さーさーのーは、さーらさらー」
少しばかり調子が外れた歌を歌いながら、剣士は呑気に墨を擦っていた。
どこから手に入れたのか黒い硯を使っているが、色とりどりの紙を切っていたアコライトには
何をやっているか判断が付かなかったようだ。
「それは……なに?」
ひゅっとナイフを走らせると、見事な切り口の短冊ができあがる。
十数枚できたことを確認して、彼は別の紙を手に取った。
「あ、これですか?」
ちょいと持ち上げた硯は見た目より重たい。手に持っている墨の先端は水に濡れ、
へこんでいるところの水は薄く黒の色が滲んでいた。
何回か紙を折りたたみながらアコライトが頷くと、剣士は少し照れくさそうに笑った。
「今日の朝露を集めて、それで墨を擦って願い事を書くと字が上手くなると聞いたもので」
古い言い伝えだそうですけど、一式借りてきましたーと言っている間にも手を動かし出す。
幾度も往復するたびに黒の色が濃くなっていった。
「色んな事を考えつくんだね」
字より歌が上手くなった方がいいのではないかという言葉は勿論口にしなかった。
何回も丁寧に折りたたんだ紙の端を何箇所か切って開くと、細い格子状の飾りができる。
次の紙で何故か鶴を折りながら、アコライトは剣士の手元を見つめていた。
明け方出かけていたのはこのせいだったのかと思いながらも手順を間違えることはない。
「本当は短冊も糸を編んで作ったそうですよ。何でも、裁縫が上手になるとか」
「……それもやりたかったの?」
「まさか、流石に無理ですよ」
硯の中の水はどんどん濃くなっていくが、一人や二人分にしては多い気がしてアコライトは聞いてみた。
「で、もしかしてそれは持っていくつもりかな」
「当たりです! たまにはインク以外も良いでしょう」
あまりにも楽しそうに剣士が言うものだから、アコライトはこしらえた鶴の頭をこづいただけで
何も言わなかった。どことなくしつこい汚れになりそうな墨のおかげで会場や洋服が汚れても、
全てどこかのアサシンのせいにしようと決めていたので。
それから剣士は墨を擦り続け、アコライトは色紙で細工をこしらえ続ける。
墨が充分な濃さと量を確保した頃には、アコライトは真剣にカブトを折っていた。
作業に没頭しているうちに目的を見失ったらしい。
あれは時期が遅い気がするなあと剣士は考えたが、とりあえずできあがるまで待つことにした。
「おや、もういいの」
アコライトが声をかけたのは、カブトを折り終わって紙細工の一番上に乗せ、一汗拭いた後だった。
「初めてなんでわからないけど、こんなものかと」
空き瓶に黒い液体が半分ほど入っているのはどこか異様である。
アコライトは、短冊の中から薄青い一枚を選んで手渡した。
「試しに書いてみたらどう?」
「そうですねー……でも、失敗しそうだなあ」
「また切ればいいよ」
私も書こうかな、と薄い星色の一枚を手に取れば、剣士の顔が面白いようにほころぶ。
硯に残っていた墨を、これまた借り物の細い筆につけて、そうっと紙面に下ろした。
ほとんど抵抗なく滑る筆の感触に剣士は内心感嘆する。
アコライトの方は、頼りない感触に苦闘したようだったが。
「最後に名前を書くんですよ」
書き終えた剣士は、布の切れ端で筆先を丁寧に拭っていた。
紙面を見つめたまま数回頷いて、いささか墨を飛ばした跡が残った短冊ができあがる。
アコライトの筆圧はなかなか高い方だったので。
自分の短冊から目を逸らして、彼は剣士の前に置いてある短冊を見た。
そして、少し呆れた風に笑った。
「あれ、何か変ですか?」
「いや……君らしいな、と思ってね」
丁寧に書かれた願い事は『みんなの願いが叶いますように』で、あまりにらしくて笑ってしまった。
アコライトの願い事も、半分は彼の協力で叶えられるだろう。
『穏やかな日々』とだけ書かれた短冊を机の上に置いたまま、アコライトは立ち上がった。
「さて、そろそろ出た方が良い」
「はーい」
紙袋に紙細工を詰めていく剣士を見ながら、本当に自分の願い事は叶っているようなものだと考える。
残り半分、人騒がせな昔なじみが関わりさえしなければ、とも。
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