7月7日を、七夕と呼ぶらしい。
東の果ての、アマツに似て非なる国の古い習慣で、
天の恋人たちが年に一度だけ出会えることを祝う祭りである。
笹に飾りを施して、短冊に願いをかけるとそれが叶うともいわれている。






七夕ホリデー






アコさんと剣士くんの場合


「さーさーのーは、さーらさらー」
少しばかり調子が外れた歌を歌いながら、剣士は呑気に墨を擦っていた。
どこから手に入れたのか黒い硯を使っているが、色とりどりの紙を切っていたアコライトには
何をやっているか判断が付かなかったようだ。
「それは……なに?」
ひゅっとナイフを走らせると、見事な切り口の短冊ができあがる。
十数枚できたことを確認して、彼は別の紙を手に取った。
「あ、これですか?」
ちょいと持ち上げた硯は見た目より重たい。手に持っている墨の先端は水に濡れ、
へこんでいるところの水は薄く黒の色が滲んでいた。
何回か紙を折りたたみながらアコライトが頷くと、剣士は少し照れくさそうに笑った。
「今日の朝露を集めて、それで墨を擦って願い事を書くと字が上手くなると聞いたもので」
古い言い伝えだそうですけど、一式借りてきましたーと言っている間にも手を動かし出す。
幾度も往復するたびに黒の色が濃くなっていった。
「色んな事を考えつくんだね」
字より歌が上手くなった方がいいのではないかという言葉は勿論口にしなかった。
何回も丁寧に折りたたんだ紙の端を何箇所か切って開くと、細い格子状の飾りができる。
次の紙で何故か鶴を折りながら、アコライトは剣士の手元を見つめていた。
明け方出かけていたのはこのせいだったのかと思いながらも手順を間違えることはない。
「本当は短冊も糸を編んで作ったそうですよ。何でも、裁縫が上手になるとか」
「……それもやりたかったの?」
「まさか、流石に無理ですよ」
硯の中の水はどんどん濃くなっていくが、一人や二人分にしては多い気がしてアコライトは聞いてみた。
「で、もしかしてそれは持っていくつもりかな」
「当たりです! たまにはインク以外も良いでしょう」
あまりにも楽しそうに剣士が言うものだから、アコライトはこしらえた鶴の頭をこづいただけで
何も言わなかった。どことなくしつこい汚れになりそうな墨のおかげで会場や洋服が汚れても、
全てどこかのアサシンのせいにしようと決めていたので。
それから剣士は墨を擦り続け、アコライトは色紙で細工をこしらえ続ける。
墨が充分な濃さと量を確保した頃には、アコライトは真剣にカブトを折っていた。
作業に没頭しているうちに目的を見失ったらしい。
あれは時期が遅い気がするなあと剣士は考えたが、とりあえずできあがるまで待つことにした。
「おや、もういいの」
アコライトが声をかけたのは、カブトを折り終わって紙細工の一番上に乗せ、一汗拭いた後だった。
「初めてなんでわからないけど、こんなものかと」
空き瓶に黒い液体が半分ほど入っているのはどこか異様である。
アコライトは、短冊の中から薄青い一枚を選んで手渡した。
「試しに書いてみたらどう?」
「そうですねー……でも、失敗しそうだなあ」
「また切ればいいよ」
私も書こうかな、と薄い星色の一枚を手に取れば、剣士の顔が面白いようにほころぶ。
硯に残っていた墨を、これまた借り物の細い筆につけて、そうっと紙面に下ろした。
ほとんど抵抗なく滑る筆の感触に剣士は内心感嘆する。
アコライトの方は、頼りない感触に苦闘したようだったが。
「最後に名前を書くんですよ」
書き終えた剣士は、布の切れ端で筆先を丁寧に拭っていた。
紙面を見つめたまま数回頷いて、いささか墨を飛ばした跡が残った短冊ができあがる。
アコライトの筆圧はなかなか高い方だったので。
自分の短冊から目を逸らして、彼は剣士の前に置いてある短冊を見た。
そして、少し呆れた風に笑った。
「あれ、何か変ですか?」
「いや……君らしいな、と思ってね」
丁寧に書かれた願い事は『みんなの願いが叶いますように』で、あまりにらしくて笑ってしまった。
アコライトの願い事も、半分は彼の協力で叶えられるだろう。
『穏やかな日々』とだけ書かれた短冊を机の上に置いたまま、アコライトは立ち上がった。
「さて、そろそろ出た方が良い」
「はーい」
紙袋に紙細工を詰めていく剣士を見ながら、本当に自分の願い事は叶っているようなものだと考える。
残り半分、人騒がせな昔なじみが関わりさえしなければ、とも。








ケミさんとセージの場合


「のーきーばーにゆーれるー」
珍しくもアルケミストが歌を口ずさんでいたので、セージはしげしげとその顔を眺めた。
熱はないようだ。
「……今、失礼なことを考えませんでしたか?」
「気のせいだ」
片眼鏡の向こうの瞳が瞬間きらりと光り、長身でどことなく無愛想に見えるセージは
さりげなく彼から目を逸らす。
アルケミストが歌いながら見ていたものは、セージが作った星図表だった。
夜見える星の位置を克明に記録した、それだけと言えばそれだけのものだし、似たようなものは
図書館にでも行けば見つかったが、アルケミストが好んで使うのはこれだけだった。
「星を神に例えるとは、昔の人の発想は凄いと思っただけですよ」
言葉が言い訳じみているのは自分でわかっていたが、セージは何も言わずただ頷いてくれた。
それに気をよくして、実験机ではない方の机に星図表を大事にしまう。
「そろそろ行きましょうか」
「だな……持っていかないのか?」
今日の目的の一つは星の観察だったのでセージはそう聞いたが、アルケミストは頭を振った。
「なくしたくないですから。第一、大人しく星を見ている暇はありません」
楽しいサンプルがたくさん来ますからね、と一つ笑うと、セージの顔が少し困惑に動いた。
しかし持ち前の好奇心と観察心には負けるらしく、こっそり懐のメモ用紙と筆記具を確かめる。
再会する恋人たちを眺めるよりも、目の前の人間の方が面白いに違いない。
地下の研究室から並んで地上に上がり、この日のために改良した笹の前に立つ。
しゃらしゃらと涼しげな音を立てて風に揺れる笹は、フェイヨン近くに生える竹よりは頼りなげだった。
しかし、しなやかな性質を持っている方が折れにくいことを二人は知っている。
実例を見たことがあった故に。人間で。
「今日は留守番でしたっけ」
「夜活動するには向いていないからな」
もう一人の居候を指して言えばセージがすぐに答える。
早いところ切って行こうか、とアルケミストが笹を指さしたので、セージはすっと剣を抜いた。








騎士とウィザードの場合


「おーほしさーまーきーらきらー」
酒瓶やジュースが入った袋を抱えて歩きながら、騎士は上機嫌で歌っていた。
隣を歩くウィザードは果物や菓子の袋を下げて聞くともなしにそれを聞いていた。
「しかし、七夕とやらを祝うのは初めてだ」
歌が終わったところでウィザードは口を開く。長く伸ばした前髪が目にかかったのを退けようとしたが、
両手が塞がっているため上手くいかない。その仕草に気付いた騎士は、片手を差し出して前髪を横に
流してやった。指先が額に触れる。
「すまない」
「いえいえ」
袋を抱えなおして、騎士が話を戻す。
「俺も初めてですよー」
「子どもたちには良いのかも知れないな」
「そうですね、良い思い出になるかも」
本日、七夕をきっかけにちょっとしたお祝いをすることにしたので、二人は買い出しに出ていたのだ。
料理やら笹やら飾りやらは友人たちに任せて、代わりに場所を提供したというわけだ。
尤も、子どもたちがいるので放っておく訳にもいかなかったという理由もあるが。
夕暮れのアルベルタは人気も少なく、石畳や塀を橙に染めて佇んでいる。
「願い事、何にするか決めました?」
「いや……具体的なものはなかなか浮かばないものだな」
実際、思慮深げな様でいて無鉄砲さがあるウィザードは今まであまり願いを叶えたいと思ったことがない。
ないというより、願いを叶えたいな、と自覚するより早くいつも行動してしまっていたので。
「俺はやっぱり、月並みだけどみんなの健康とかかなあ」
お互いに天の恋人たちに願いをかけるほど若くもなく、
小さな期待を押し込められるほど年輪を重ねてもいなかった。
「そうだ、金物安全生涯繁盛という異国の願いを聞いたことがある」
「……確かに、金物は安全に扱って欲しいところ、かな……?」
正確には家内安全商売繁盛なのだが、そこにつっこめる者はここにはいない。
二人は他愛のない話を続けながら、のびた影法師を連れてアルベルタの片隅へと歩いていった。








シーフと剣士と姐さんの場合


「きーんぎーんすーなーごー」
孤児院の台所で、鍋でお湯を沸かしながらシーフは踊っていた。
今のところ待つぐらいしか仕事がないからである。
「うざい」
「何っ!?」
しかしすっぱりと逆立った髪の剣士に言われ、ばっとそちらに向き直り――硬直する。
その鼻先に包丁が突きつけられていたために、動くことも出来ず相手の顔を見た。
普段の槍ではなく包丁だというだけで、怖さが三倍増しだった。
視界に入ってくるまな板の上には、綺麗に切られた野菜が並んでいる。
別のボールには下ごしらえまで済ませた肉があるし、何故かいかそうめんが皿の上にあったりもする。
要するにここ二名は料理係なのである。
「暇ならこっちを手伝うとかできないのか、お前」
「俺が切ったら大きさ揃ってないとか文句言うのお前だろ!」
なんとか剣士が包丁を下ろしてくれたので、シーフはこっそりと胸をなで下ろした。
台所の片隅のテーブルでは、姉御肌なブラックスミスが金属片を加工している。
「大きさを揃えて切ればいい」
「うっわむかつ……いやなんでもないっていうか包丁を人に向けるのは止めた方がいいと思うなうん」
正論を言われて腹は立ったものの、刃物を向けられては降参するしかない。
台所に立つ時まで帯剣している者など、ここの院長の友人のウィザードか首謀者のアサシンぐらいだ。
そうこうしているうちに湯が沸いたので、シーフはこれ幸いと鍋の方へ移動した。
用意してあったダシを入れる、が。
「あっれおかしいなー、分量間違ったかなー」
さっぱり色が付かないので、醤油を入れてみた。
「おー、いい感じ。よっしゃこのまま煮込んで……あれ? 肉が先だっけ後だっけ」
まあいっかーといいながらもその辺にある調味料まで適当につっこみはじめた。
何やら大きめの星を二つほど作っていたブラックスミスは、その時点で溶接マスクを外して
鍋の様子を眺めていた。パイプタバコを取り出しかけて、向こうの部屋に子どもたちがいることを
思い出して止める。代わりに鈍い金色に光る星を手の中で転がす。
眉間にしわを寄せてシーフの後ろ姿を見ていたブラックスミスは、そっと剣士に手招きをした。
ちょうど野菜を全て切り終わった剣士は手を洗ってから彼女に寄ってきた。
ブラックスミスはぐいと耳を引き寄せて、鋭く吹き込む。
「ちょっと、あれほっといて平気なの?」
シーフはその間にももう一つの熱源で揚げ物まで始めている。
鍋は一言で言うなら混沌といった有様だった。
「ああ……安心していいです、あれだけ酷いくせに何故か完成品の味は良い」
何故か、を異様に強調して剣士が言う。
料理は基本に忠実が大事だと思っていたブラックスミスは首を傾げる。
うわあ味濃いなーと言いながら水を足すシーフを見ているとまともな味になるとは思えないのだが、
かといって自ら動くのも面倒なので口を出すのは止めておく。
剣士の味覚は普通だったはずであるし。
彼はシーフの料理風景を見たくないのか、皿を並べたりまな板を洗ったりと、以外にまめまめしい。
「まあ、今日は七夕だしねえ……」
自分でもよくわからない理由をこぼしてから彼女は立ち上がった。
そろそろ笹も届くだろう。








アサシンとバードの場合


「ごーしーきのたーんざくー、わーたーしーがかいたー」
子どもたちが遊び場で七夕の歌を歌っているのを横目で見ながら、バードはこよりを作っていた。
その歌を教えたのは勿論バードである。
「おーほしさーまーきーらきらー、そーらーからみーてーるー」
祖母譲りの技で、白く薄い紙をするりと糸状にしてみせながらも、違和感を感じて顔を上げた。
テーブルの短い方の辺に座っていたので、角を挟んだところにアサシンが座っている。
何か変だと思ったら、彼も同じ歌を低く歌っていたのである。
「でもさあ」
歌っていたことに気付かれたのを知ってか知らずか、唐突にアサシンがバードに話しかける。
そうしていながらも、手元のナイフで色紙を短冊よりも細く切る作業を止めてはいない。
よく自分の手を切らないものだとバードは感心した。
「星って見られるものじゃなくて見るものだよね」
「あ? ああ……」
生返事をしながらも、また一枚の紙を一本の糸にする。
こよりがなければ、いくら短冊や笹だけがあってもしょうがないだろう。
「まあそうだろうけど、見守られてると考えた人が作った曲なんだろ」
アサシンが切った紙を一つ一つ輪にして繋げていく飾りを作っているのは子どもたちだ。
のりぐらいしか使わないので危険は特にない。
今も一人ぱたぱたと走ってきて、紙を受け取って戻っていった。
「それにしても、年一回しか会えないなんてつまんないよ」
「なんだ、七夕好きじゃなかったのかよ」
少々聞き捨てならなかったのでバードは尋ねてみた。
なにせ、みんなで七夕のお祝いしようとよくわからないことを言い出したのはアサシンだったのだから。
「嫌いでも好きでもないよ、一度してみたかっただけ」
してみたかった、でこれだけの人数を巻き込んだのかとよっぽど言ってやりたかったが、
現在楽しんでいないとは言い難いので止めておく。子どもを寝かせたら飲み会になるのは見えていたので、
夜が楽になると考えなかったと言ったら嘘になる。
「じゃああんただったらどうすんだ、年一回しか会えなくなったら」
答えはわかっているような気もしたが、何とはなしに聞いてみた。
「年365回会えるようにするよ」
あっさりと返されて口をつぐむ。それは毎日とは言わないだろうか。
「願わくば年720回は会いたい気もするけど……あ、願い事それにしようかな」
「いやそれは止めとけ。何でいきなり倍になるんだ」
物理的に不可能な上、年一回しか会えない恋人たちに見てもらう願いとしては残酷に過ぎるだろう。
それを聞いて、バードは願い事をさっぱり考えていない自分に気が付いた。
幾つか案が浮かんでは消え、最後に残ったフレーズに苦笑いを浮かべる。
「平穏無事な日々……」
ぽつりと呟いた途端、台所の方から何やら物音と悲鳴に似たものが上がる。
そうかと思えばいきなりドアが開いて、笹が中に入ってきた。
窓の外にワープポータルの出口である光の柱が立つのが見える。
これでもかと騒動の元がいっぺんにやってきて、ふ、とバードは達観した笑みを口元に刻んだ。
「……そうだよな、今ないものだから願うんだよなあ」
もしくはずっと続けたいことか。
少なくともアサシンと出会ってしまった時点で失ったものの一つではあった。
その代わりに手に入れたものは、多いのか少ないのかバードには判断できないが、
退屈はしないだろうと無理矢理結論づけて、そのままテーブルに突っ伏した。






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