それぞれのバレンタイン?



馬鹿アサシンと逆毛な騎士と、姉御


 「今日はバレンタインっすね!」
 「そーね、チョコは完売よ」
 意気込んだ台詞をあっさりかわされて、アサシンはその場に撃沈した。
 露店中のブラックスミスは、パイプタバコをゆっくりとふかしている。
 「チョコなら食っただろうが」
 「や、食った、食ったけどな……」
 呆れたような騎士の言葉に、アサシンは更に肩を落とす。
 騎士を背中から下ろしているペコペコは、同情するように彼を見た。
 興味を持ったのか、ブラックスミスが身を乗り出してきた。
 「なに、どっちかもらったわけ?」
 「違いますよ、こいつ」
 「わーっ、言うな、言うんじゃない!」
 「うるさいわよ」
 騒ぎ出したアサシンをデコピン一発で黙らせて、彼女は騎士の方へと向き直った。
 一つ息をついてから騎士は話し出す。
 「自分で材料集めて自分で作ってもらって、自分で食ったんす」
 「はー……情けないわね」
 「あ、姉御までそーいうこと言うんすか!?」
 だったら一欠片ぐらいくれたって、といじける情けないアサシンは、とんでもないことを呟いた。
 「いいさ、俺はぺこぽんと二人で仲良く寂しいチョコを食ったんだもん……」
 「何!?」
 その言葉に、騎士はいち早く反応した。自分の名前を呼ばれて、騎士のペコペコが首をもたげる。
 ちなみにぺこぽんは騎士のペコペコの名前である。
 「お前、ペコペコにチョコ食わせたのか!?」
 「別にいーじゃん、ちょっとぐらい」
 「良くない! ペコペコは元々鳥の仲間だぞ、草食だ!」
 「チョコだって元を質せば植物だろー!」
 「お前にそんな知性ある発言は似合わないんだよ!」
 あっという間に口論だか漫才だかを始めた主人とその相棒にペコペコはうろたえ、
 交互に首を動かして彼らを見つめる。
 自分の店の前で始められたブラックスミスは、深い深いため息を吐いた。
 こめかみにうっすらと青筋が浮かんでいる。
 「あんたら……余所でやってちょうだい……」






ローグとクルセ


 ローグは一人、ギルド砦のテラスで景色を眺めていた。
 正確を記すなら、そのあたりから見えるであろう人影を探していたのだ。
 今日はバレンタインデーということで、ギルドの女性陣はこぞってチョコ作りに勤しんでいる。
 正直ローグにとって一ヶ月後が怖いので、あまり歓迎できる状態ではないのだが。
 ところが、ギルド全体が何となくせわしない雰囲気だった中、
 クルセイダーがふらりと買い物に出かけたらしいのだ。
 いつもなら出かける時は大抵誰かに伝言を頼んでいくような律儀な彼が何も言わずに
 出て行ったということは皆に知られたくない用事なのかとローグは内心どきどきしていたのだ。
 そもそも大抵行動を共にしているため、自分に何も言わずに出て行くこと自体が珍しい。
 ならば、自分へのチョコでも買ってきてくれるのではないだろうか――と淡すぎる期待をしていたのだった。
 期待しすぎると後で反動がでかいよなと自分に言い聞かせても、悲しいかな胸のときめきは押さえがたい。
 柵にもたれかかった時、待ち人の姿を発見したのだった。

 「よお、お帰り」
 さりげなく通りかかったように装って、表扉から入ってきた彼を出迎える。
 「ああ、ただいま」
 件のクルセイダーは軽く手を上げて挨拶した。そのまま部屋に戻ろうとするので、さりげなくついていく。
 「何買ってきたんだ?」
 いささか期待を込めて彼に聞いてみる。
 「今日は砥石の特売日だったことに気付いてな……どうした? お前も欲しかったのか」
 隣を歩いていたかと思ったら急に立ち止まって頭を抱えたローグに、彼はずれた問いをした。
 そうだよ期待する方が間違ってたんだよなははは、と一息に呟いたローグは、気を取り直した。
 「いや、ちょっとな……うん、お前が気にするこっちゃねえよ」
 ただちょっとチョコがね、と心の中で呟いたつもりだったのだが、実際は口から漏れていたらしい。
 「チョコ?」
 「えっ、あっ、いや!? 別に欲しいとかそんなんじゃなくてだな!」
 面白いほどに狼狽している。
 そんなローグを不思議そうに見たクルセイダーは、手に提げていた袋から板状の物を取り出した。
 「後で食べようと思ったんだが、食べるか?」
 飾りっ気のない板チョコを目の前に差し出され、ローグは動きと思考を止めた。
 それを答えだととったのか、クルセイダーは包み紙をはがすと銀紙に包まれた板チョコを半分に割った。
 半分になったチョコを半ば呆然と眺めたローグは、おそるおそるそれを受け取る。
 「……欲しかったんだろう?」
 「おう、そうなんだ……あ、ありがとな」
 わかってやっているのか違うのかの判断が付かず、ローグはこみ上げる嬉しさを押さえて礼を言った。
 いっそ食べないで取っておこうかという思考がよぎったのを、女々しいなと自嘲して。
 ホワイトデーにはこっそりお返ししようと決めたのだった。






妖しいアサシンと不幸なバード


 「これ、バレンタインのチョコレートね」
 笑顔と共に目の前に置かれたそれを、バードは未確認物体でも見るような目つきで見つめた。
 朝から宿の台所を借りて何をしているかと思ったら、これを作っていたらしい。
 丸いテーブルの上、銀色のトレイに載せられた、ビンの形を模したチョコレートが4つ。
 形から察するに、俗に言うウイスキーボンボンだろう。
 形にも色にも変なところはないが、何よりもアサシンが作ったというだけでバードにとっては危険物だった。
 「……俺、何もないからな」
 流行のカカオなど取りには行けないし、そもそも彼にとってバレンタインデーとは恋人たちの財布の紐が緩い
 稼ぎ時でしかない。今年は路地でムーディーな曲を奏でて小銭を稼ぐということは出来なかったが。
 「構わないよー」
 アサシンはいつものごとく笑顔を崩さない。
 「なんか入ってるんじゃないだろうな」
 「食べられるものしか入れてないよ、中身はウイスキーだし」
 近頃彼がとみに大人しかったので、油断をしていたのかも知れない。
 後から振り返るとあれは確かに油断だった、とバードは後悔することになる。
 「……いただきます」
 無言の『早く食え』プレッシャーに負けて、彼は端のチョコを持ち上げてかじった。
 チョコレートの内側には砂糖を固めた器があり、その中から確かにウイスキーが出てくる。
 用心深く噛み下して、安堵と共に感心した。
 「うん、まあまあいける。つか、こんなん作るの大変なんじゃないか?」
 「そうでもないよ、教わった通りに作っただけだしね」
 「へー……」
 誰に教わったのか、など藪蛇になる質問は控えておいた。
 食べないのか、とトレイを押し出したが、僕は味見で満足、と断られた。
 菓子など作ったことがないバードはそんなものかと納得してしまったが、ここで怪しんでおくべきだったのだ。
 チョコに罪はないし、と思いながら食べていって、3つ目のチョコを半分ほどかじった時だった。
 酒の刺激に紛れてわかりにくいが、舌先に妙な違和感を感じた。
 しかし時すでに遅く、中身の液体はほとんど飲み込んでしまった後だった。
 どくん、と心臓が脈打つ。
 まずいと察知したバードは、咄嗟に手に持っていたチョコをトレイの上に放り出す。
 銀のトレイに、わずかに残っていた液体がこぼれ落ちた。
 「どうしたの?」
 銀紙でも入ってた? と聞いてくるアサシンの笑顔が、どこか嬉しそうだとバードは感じ取った。
 「な、な、何入れたっ!?」
 近づいてきた顔から逃れるように、座っていた椅子ごと後ろに下がる。
 足と椅子がこすれ、しゃがみたくなるような間隔が体を駆けめぐる。
 「何……って、ウイスキー」
 嘘吐け、と叫ぶ元気が出てこなかった。
 心臓の鼓動は早く、うっかり椅子の背もたれに当ててしまった右手の甲から熱が広がる感覚さえある。
 トレイにこぼれた液体をちょいと指先につけ、軽く舌先に触れたアサシンはぽんと手を打った。
 実にわざとらしかった。
 「この味は……ああ、これか」
 ふところから妖しげな小瓶を取り出す。
 何の変哲もない透明な小瓶に、入っているのはこれまた無色の液体なのだが、
 アサシンが持っているだけで怪しい。ラベルには緑のインクで『試作品』と書いてある。
 「これね、知り合いのアルケミストが作った薬なんだけど」
 首の所を持って振ると、たぷんと液体が揺れる。
 わざとゆっくりと彼は説明を進めた。
 「神経と筋肉の連結を素早く行うことによって潜在能力を引き出すっていう、
 まあバーサークポーションの一種かな」
 アサシンを睨むバードは、こころなしか息が上がっている。肌が逆立つような感覚で、
 椅子に腰掛けていることすら耐えきれなくなりそうだった。
 その上、身じろぎすることで服と肌がこすれるのにすら違和感がある。
 高熱の時の感じに似ていると推測できたが、風邪を引いて寝ている時の比ではなかった。
 「どうもアプローチを間違えたみたいで、表皮からの刺激を伝える速度が飛躍的に上がっちゃうんだって。
  見た感じ……」
 かたん、と音を立ててアサシンが立ち上がる。
 空気の流れですら今のバードにとっては毒にも等しい。
 「これが混じっちゃったみたいだね」
 確実に故意だ、とバードは確信した。
 伸ばされた手から逃れようと椅子から立ち上がろうとして、その足を払われた。
 「……っ!」
 躓いて床に転がる、それだけのことも刺激が倍増されて伝わる。
 脳が痛みを感じるのを麻痺しているのか、本来感じるはずの痛みが感じられない。
 ゆっくりと近づくアサシンから遠ざかるように下がるも、むきだしの手を床につくことすらままならない。
 未知の感覚に襲われて、バードはアサシンを見据えて叫んだ。
 「く、来んなっ」
 「やっぱりお酒と一緒だとまわりが早いね」
 全部計算尽くか、と言ってやりたかったが、アサシンの手の方が早かった。
 「ひ……っ」
 頬に手を添えられただけで何とも言えない感覚が伝わり、バードはぎゅっと目を閉じた。
 ふっと顔が近づいてくる気配がする。
 「ハッピーバレンタイン」
 アサシンは、バードの耳元にそう吹き込んだ。
 この世で一番に不幸じゃなくても、二百番目ぐらいには不幸かな、と何もかもを諦めたバードはそう思った。





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