26日のお話〜神様はいると思いますか〜




修道士と剣士の場合


宿の一室の床に座り込みながら、剣士は剣の手入れをしていた。
口からは少々音程がずれたクリスマスソングが漏れている。
アコライトは部屋の隅の机に向かい、つまらなさそうに白い紙を埋めていく。
手に握られたペンには、洒落た金字で彼自身の名前が刻んであった。
ふと窓の外を見てみれば、向かいの宿の客がケーキを食べている。
大方昨夜の売れ残りだろうと推測して、再び視線を書面に戻す。
気をつけてはいたのだが、ついついため息が出た。
ひょいと顔を上げた剣士に見られているのを感じて、アコライトは椅子を引いて振り返った。
「あ、終わりました?」
最後の一拭きを終えた剣を鞘に収めて聞いてくる剣士に彼は首を振った。
「ゴールが見えないね」
昨日剣士にもらったペンの書き心地は良いのだが、いかんせん机に積まれた紙は多かった。
クリスマスシーズンは教会の催し物が多いため、どうでもいいような雑事だの神の言葉の清書だのの仕事が冒険者たちにまで回ってくることがある。無論普段から教会に近づかない彼はこんな仕事をする気はなかったのだが、友人とも言いたくない同期の友人にいきなり押しつけられたのだった。
何故にどこそこの犬のタマが教会裏でゴミを漁っていたとかいうくだらない報告をわざわざ清書するのかはわからないが、組織とは得てしてそういうものだ。
クリスマスが終わってから持ち込んだのは彼女なりの配慮だったかも知れないが、期限が迫っている辺り嫌がらせかも知れない。
正直、アコライトの機嫌はかなり悪かった。
「神様っていると思うー?」
だからだろうか、ため息をもう一度つきながらそんな質問をしたのは。
神父だか院長だかの神が神がと声高に叫ぶ演説の原稿清書が嫌になっただけかも知れない。
「へ?」
剣士がきょとんとした顔で首を傾げる。
目の前の人間の職業はアコライトだったはずだが、彼はそのことには触れず答えを返した。
「そりゃあ、いらっしゃるんじゃないでしょうか」
きちんと敬語な辺りが彼らしい。
「クリスマスにぐらい降臨してみせればいいのに」
暗に否定してみせると、眉根を寄せて何か言葉を探しているようだった。
「え、でも、この時期はお仕事で忙しいんでは?」
その答えは予想外で、不意を突かれてアコライトは言葉を失った。
剣士は寝ていたデザートウルフの子を撫でながら考え考え言葉を紡いでいく。
「年末だから、今年の反省とか来年の予定を考えたり、懺悔を聞かれたり、みんなで話し合ったりしてらっしゃいますよ、きっと」
心の底からそう思ってるんだろうな、と思うと何も言えなかった。
子どもの持つ観念であるようでいて、どこか現実的だ。
懺悔は聞いてないと思うけど、ということを喋るのは止めておいた。
「うん、そうかもね」
無難に頷いておくと、彼から逆に聞き返された。
「神様はいると思いますか?」
いたずらっ子のように笑った彼の瞳はきらきらと輝いている。
変わらないなあと感想を抱いてから、アコライトもまた笑顔を見せる。
「君がそう言うのなら、いてもいいかなと思うよ」






暗殺者と吟遊詩人の場合


目を覚ましたバードは、額を軽く押さえながら上半身を起こした。
隣で枕を抱えて眠っているアサシンが起き出す気配はない。
寝起きでぼんやりした顔で周りを見回していると、普段と変わりなくなった町並みが窓の向こうに見えた。
同時に、昨夜カーテンを閉めそこねたことを思い出す。
只今気持ちよさげに眠っている彼がキャンドルの灯りがどうこうと主張し、結局カーテンを閉めるのを忘れてしまった。
おかげで昨夜はいつもより冷え込んだ、と小さく文句を言ってもまだ起きない。
普段はあまり人が留まらない町であるアルベルタだが、クリスマスシーズンは飾り目当てに常より多い人出だった。
しかし『聖なる夜』が開けてみれば飾りはすっかり取り外され、人通りも元に戻っている。
もう一回寝るかなと不健康なことを考えた矢先、バードの視界の隅に緑と赤と白がよぎった。
思わずまじまじと見つめて、きれいに畳んである緑の包装紙と赤いリボンにため息を吐く。
アサシンが畳んだものなら構わないのだが、あれは自分が畳んだのだと思うと昨夜の自分を問いただしたくなる。
そして、その包装紙の端にはしっかりアサシンの名が書いてあることも覚えていた。
今年行われていた『偽サンタの靴下をぶんどってサンタにプレゼントをもらおう企画』にはオプションがついていて、
材料さえあればカプラ嬢たちが心を込めてそのプレゼントボックスを包装してくれたのだ。
包装は、頼んだ人間の実力によって色合いが違う。
おまけに、バードが包装を頼んだとてこの色にはならないだろう。
それだけなら相手は人外だから、ですませられるのだが、入っていたプレゼントボックスが問題だった。
このプレゼントボックス、青箱と同じく開けるまで何が入っているか皆目見当も付かない。
バードは、自分のレア運があまり良くないことを知っていた。
それでも、イブの夜出かけたっきり夜中まで帰ってこないと思ったらバードが寝付くまで窓の外で見張っていた(要するにサンタをやりたかったらしい)アサシンが真剣に馬鹿馬鹿しくも痛ましく思え、一応良いものを出してあげたかったのだ。
その感情を人は、動物に対する哀れみと呼ぶ。
昨夜、自分が出したものを思い出してアンニュイなため息を吐く。
ぱか、と開けた白く縦長の箱の奥底に、ぽつりと置いてあった黒灰色の薄い物体。
クリスマスの夢は、ハエの羽へと姿を変えた。
思わず「神様のばかやろー」と叫んだバードであった。
忌々しい記憶から目をそらすと、じーっと自分を見つめている物体に気が付く。
いっそ無視して寝てくれようかと思ったが、無駄なことはしないことにした。
視線を隣に戻すと、黒い髪のアサシンがにっこり笑っている。
「おはよう」
「……おはよう」
いつもと変わらない笑みに、半身引きながら返事をする。
必然的に引き腰になってしまうのは、昨夜彼が『年始まで休暇だからー』と
攻城戦の傭兵も冒険もしないと宣言したからであろうか。
聞いた瞬間地獄の二週間かと考えたのはバードだけの秘密だ。
「そうだ、一つ聞きたいんだけど」
職業柄か性格か、寝起きからアサシンは頭の回転が速い。
昨夜聞き忘れたんだ、と前置きしてから、軽い調子で問うてきた。
「神様っていると思う?」
「はい?」
あまりと言えばあんまりな質問にバードは驚いた。
いっそ美しいまでに疑問とそれを口にした人物がかみ合わない。
しかし、頬杖をつきながらバードを見上げてくるアサシンは呑気な顔でバードの答えを待っている。
こいつの行動に理由づけようとする方が間違っているか、とバードは諦めて正直なところを口にした。
「別に、いてもいなくてもいいと思う」
神がいようがなんだろうが、自分の置かれている状況が変わることは多分ないだろう。
そして神がいなかろうと、自分の選んできた道が変わるはずもない。
バードは常識人なのかそうでないのかよくわからない思考をしている。
「ふーん」
自分から聞いてきたくせに、答えには頓着しないらしいアサシンが気の抜けた息を漏らす。
それで流されるのもなんだったので、バードも問い返してみることにした。
「あんたは、神様いると思うのか?」
「うん、いると思う」
「え……」
さらりと返ってきた答えに言葉をなくす。
果てしなく目の前の人間に似合わない。
目を瞬かせて絶句していると、深まった笑顔で理由が返ってきた。
「ほら、君とこうしていられるし」
「…………」
バードは完全に沈黙した。
多分、そのカミサマには一対の角と黒い羽と尻尾がついてるんだろうな、と思いつつ。






元怪盗な悪党と騎士の場合


足の位置を変えると、ざくりと雪を踏む音がした。
苛立ち紛れに手に持った槍を何回も雪に刺すが、力の抜ける間隔しか伝わってこない。
年中雪だらけ、おまけに年中クリスマス気分のこのルティエには本番である昨日までは人で溢れていたが、
一日経った今カプラ職員も出張コンパニオンも冒険者たちもあっさりと姿を消している。
雪の中一人で連れを待ち続ける騎士は、華やかな町の印象とは逆に妙に哀愁が漂って見えた。
「寒い」
分かりきったことを口に出してみれば体感する温度が下がったようにすら思われる。
半ば無理矢理連れてきたあげくどこかへ消えたふざけた狩り仲間は影すらうかがえない。
帰りたい、と呟く頃には、すでに日向ぼっこしながら茶を啜る自分の姿が脳裏に浮かんでいる。
しかし、彼は地面におかしな跡を見つけた。
さく、さく、さく、と一定のリズムを刻んで増える足跡。
それ自体はなんてことはないが、足跡の主の姿はさっぱり見えない。
更に注意深く見ていれば、その足跡の上の空間に降る雪が一瞬留まるのが確認できるはずだ。
冷たい目でそれを眺めていた騎士は、手元の槍を自然に構えるとタイミングを見計らって一気に突き出した。
軽いステップを踏むように足跡が半歩横にずれる。
ち、と聞こえないように舌打ちして、騎士は前に一歩踏み出した。
「何やってんだ」
「おや」
スキルを解除したのか、幻のようにローグの姿が現れる。
食えない笑みを浮かべながら肩をすくめて見せた。
「気付かれるとは」
残念、と冗談のようにぼやいてみせるが、騎士は彼が本気になったら足跡すら残さずに歩けることを知っている。
からかっているだけなのだということを察知して、騎士は相手をしないことにした。
「で、何なんだよ、わざわざルティエまで来て」
「知らないのですか?」
くるりとその場で一回転までしてくれる。赤い服が雪によく目立って、恥ずかしいことこの上ない。
「本日はクリスマスです」
騎士の思考が停止した。
その間にもローグはにこにこ笑いながら、感動してますねとかわけのわからないことを言っている。
ここまで馬鹿だとは知らなかった、と自分を棚に上げて騎士は思う。
「……一つ言っておくがな」
「はい」
「クリスマスは昨日だ」
「……はい?」
ローグの表情が笑顔のまま固まった。
本気で言っていたのかと騎士が最早感心していると、ローグは目に見えて慌てだした。
実に珍しいことである。
「え、いや、しかし、昨日がイブで……でも今日は26日……おや?」
「クリスマスは全国的に25日だからな」
「ツリーも飾りもそのままですしっ」
「ルティエは一年中このままだな」
二人の間に、いっそ清々しい風が吹く。
何も言わなくなったローグと騎士の横を、おもちゃ工場に行くらしいパーティーが駆け抜けていった。
「あー……寒いから帰って良いか」
「いえ。どうせでしたら今からクリスマスを楽しみましょう」
「寒いの嫌いなんだよ! 第一冒険者にクリスマスも何もねえ」
昨日ギルメンたちは各々相方や結婚相手と過ごしていたようだし、予定もないからたまにはこっちから誘ってみようかと耳打ちした目の前のローグからも応答無し。
もういいや、と暖炉の前でぬくぬくとお茶を飲んで過ごしていたのである。
「貴方は……」
ローグは目を覆って深々とため息を吐く。
それは俺の反応だと文句を言いそうになったが、ローグの方が早かった。
「……貴方は神がいると思いますか?」
「何だ、それ」
突然の問いに、騎士は答えもせず困惑した様子を隠さない。
怪しげな宗教の勧誘じゃあるまいし、と躊躇していたら、先に話を進められた。
「そうですか、ならばこの私を神だと思ってもよいのですよ」
「いや俺何も言ってないから」
「そう! 私が神なら共にクリスマスを過ごすことに何ら問題はありませんね、さあ行きましょう」
「だからクリスマスじゃないとか前を神だなんて思いたくないとか聞いとけよおい」
ぎゅっと手を掴まれて、そのまま引きずられそうになる。
このまま引きずられては騎士の名折れだと思い、ぐっとその場に踏ん張ると、何とも言えない顔で振り向かれた。
「照れなくても良いんですよ」
「照れてないから」
「寒いの嫌でしょう? 部屋取ってありますから」
「……代金お前持ち?」
「当然ですね」
騎士の手を持ってない方の手で爽やかに前髪をかき上げてみせる。
邪魔なら切ってしまえ、と騎士はどこかずれた感想を持った。
「……茶飲み放題と夕飯付きなら」
「構いませんとも」
それしきで揺らぐような資金を持ってはいないローグは笑んだまま頷いた。
途中経過を除けば計算通りだったのを満足しての笑みだったかどうかは、定かではない。





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