新しい歩み
今日はいよいよクルセイダーへの転職の日とあって、剣士は少々どころではなく緊張していた。
幾度も道具袋を覗き、試験が滞りなく済むだけのアイテムはあるかと確認している。
「……少しは落ち着け」
流石に呆れた表情で、プリーストが息を吐いた。
転職するとのことで冷やかしに、もとい応援しにプロンテラ城までついてきている。
別名が聖堂騎士と言うだけあって、クルセイダーギルドと大聖堂の仲は表向き良好だ。
「はい、今度こそ大丈夫です!」
今は、先に転職に来ていた女剣士が試験を終わらせるのを待っている状態だ。転職試験は有事以外はいつでも行われてはいるが、基本一人用のものなので重なった時はこういうこともあり得る。
ふと、剣士の襟元を見てプリーストが気が付いた。
「ロザリーはどうした」
神への祈りを表すための十字架が、その首には掛かっていない。聖職に就いているといっても常に身につけていなければいけないものでもないが、クルセイダーへの転職試験を受けるためには神への証を身につけていなければならない。
そう指摘されて、さあっと剣士の顔が青ざめる。
「わ、忘れてました……!」
クルセイダーギルドが配布しているパンフレットをそれこそ穴が開くように読んでいたが、それでも目に入っていなかったらしい。プリーストに非難の目で見られるのを恐れた剣士は、慌てて踵を返した。
「ちょ、ちょっと買ってきます……って、ぐ」
「待て」
言葉よりも先に剣士の襟元をひっつかんでおいて、プリーストは平然としていた。
剣士の足が止まったのを見て、手を離す。数回咳き込んだ剣士の様子は軽く無視して、自分の懐を探った。
ようやく顔を上げた剣士の首に、ちゃらりと鎖の音を立ててロザリーがおさまる。
「え……?」
それがプリーストの手によってかけられたものだと知って、余計に混乱が加速したらしい。目を何回もまたたく様を見て、プリーストは言う。
「貸してやる」
「え、でも、いいんですか?」
普段プリーストがロザリーを身につけていないことは知っていた。彼が身につける装飾品といったらグローブかクリップぐらいだったが、そのグローブは剣士が装備しているものとは違い、古代の技術によってカードの魔力を引き出せるものだった。
無論聖堂で祈りを捧げる場面にも遭遇したことはなく、携帯しているかすら怪しいとまで思っていたのだが。
「よくなければ貸さん」
「それもそうですが、なんだか悪い気が」
「しつこい」
確かにこれ以上言うのも失礼に思えて、剣士は素直に礼を言った。
「はい、ありがとうございます」
プリーストはそういえば、と思い出したふうに口を開く。
「それは転職時に使ったものだ」
「えっ」
そう言われると少しロザリーの重さが増した気がして、剣士は手にとってまじまじと眺めた。
確かに、少しばかり古びていて、よく見ると小さく傷が入っていたりする。
それが逆に剣士には嬉しかった。目の前のプリーストのアコライト姿、は少々想像できなかったが。
ふむ、とプリーストはなにやら頷く。
「せっかく貸したのだから」
小さく、小さくプリーストは口の両端を上げた。多分に挑戦的な笑み、とも言えるその表情に剣士はしばし見とれる。
「合格してこい」
「……はい」
幸せなものを見た、と言わんばかりの笑顔で剣士は頷く。手の中のロザリーと、少し高い位置から贈られた笑みに応援されていると思う感覚は悪いものではなかった。
次、と声がかかり、前の受験者が試験を終わらせたことに気が付く。クルセイダーの叙勲を受けた彼女に二人して祝いの言葉を贈ってから、剣士はマスタークルセイダーの元に進もうとした。
が。
ぐっとポニーテールに束ねた髪を掴まれて、剣士の首が後方に傾く。
ぎょっとして振り向くと、珍しく目を丸くしたプリーストが剣士の髪を掴んでいた。
しばし無言で見つめ合った後、プリーストは剣士の顔と自分の手に収まったままの髪の間で数回視線を往復させた。どうやら無意識だったらしい。
さてどうしたのだろう、と剣士は掴まれたままで思う。
少し時間が経ってから、ふいに一つの言葉が剣士の脳裏に浮かんできた。
「行ってきます」
クルセイダーになろうと決めた日に、彼の元から去る時に発した言葉だった。
それを聞いて、プリーストも納得したように髪から手を離した。するりと彼の手をすり抜けて、剣士の背中をぱさりと叩く。
「……ああ、行ってこい」
軽く手を上げたプリーストに見送られて、剣士は新しい職業に就くべく歩み出した。その先には、マスタークルセイダーがちょっと呆れた表情で待っている。
真剣な表情で話を聞く剣士の後ろ姿を見ながら、上げたままだった手をその視線の先に置いてみる。
プリースト自身、なぜ髪など掴んでしまったのかわかっていなかったのだ。
それがなぜかは知らない方がいい気がして、それ以上自分を追求するのは止めてしまった。
今は少しでも剣士の合格を祈ってやろうと思い直し、またその考えにらしくないなと首を傾げる。
剣士が見ていたら心の中で喜びに打ち震えるような姿だったのだが、あいにく剣士は未来の上司の話を聞くので精一杯である。
どちらにせよ剣士は合格するだろう、とプリーストは自身の葛藤に折り合いをつけた。
後のことは、それから考えればいい。
剣士が戻ってきた時、おめでとうとおかえりと、どちらの言葉を言うべきかプリーストはまだ決めあぐねてはいたが。
End.
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