また会う日まで


丘の上には、涼やかな風が吹いていた。
風はプリーストの長めの髪を弄んでは去っていく。鬱陶しげに、彼は髪を押さえた。
傍らに立つ剣士はといえば、こちらの方がずっと長い髪をポニーテールに結んでいるというのに、頓着した様子もなくそのまま風に遊ばせている。それでも、決してプリーストに髪が触れることのないような位置に剣士が立っているのを、彼は気が付いただろうか。
じめじめしたゲフェンダンジョンの地下にうんざりして、ここで休憩を取るのはよくあることだった。そして、ふとしたことで知り合った剣士がふらりとここに来て話をしていくのも、よくあることだった。
ところが今日に限って、剣士は少し話があるんです、と言ったきり黙ったままでいる。沈黙は嫌いではなかったが、なにかいつもと雰囲気が違うようで、プリーストは口を開くかどうか少し迷った。
その逡巡を悟ったか、また自分の中でなにかに折り合いをつけたのか、剣士は二言目を口にした。
「俺……少し、実家に帰ることになったんです」
本当に困った、寂しげな顔でそう切り出す。
プリーストの反応をうかがうように、優しげな目がゆるりと動いた。
「実家……」
プリーストは少々眉をひそめる。大抵の冒険者は親元を離れて、色々なところをさまようものだ。現に、剣士も様々なところをふらふらと見て回っているようだった。今までにもプリーストの前に数週間姿を見せないことはあったが、こんな顔をしていたことはなかった。
「それで、しばらく戻ってこれないと思うんです」
「……そうか」
一抹の寂しさを感じたような気がしたが、それを無視したプリーストは頷いた。
思えば、互いの兄弟の話などはまだ話題に上ることはあったが、故郷のことなどは話したことはなかった。その話題を持ち出すほど、会話に困ったことはなかったのだ。最初こそ不機嫌ととらえられたプリーストの寡黙さを、剣士は一年余りのつきあいの間に読みとる術を身につけていた。何十分も狩りにも行かず一言も喋らず、ぼんやりと過ごしたこともある。酒の好みでしばらく話し込んだこともあった。
「お元気で」
ふいに、引き締まった表情で剣士が口にした。
「なんだ、もう会わないような言い方だな」
「え、いや、そんなつもりじゃ」
なかったんですけどね、と剣士は微笑む。
それが口調の慌てぶりとはうらはらに、実に穏やかなものだったのがなぜかプリーストには気になった。
そのゆるやかな笑みが気にくわなかったのだ、と自覚した瞬間に、その言葉が口をついて出た。
「……待っていてやらんこともない」
「え」
「二度も言わせるな」
プリーストにとっても剣士にとっても、予想外の言葉だった。
言うつもりのない言葉だったし、聞けるとは思っていなかった言葉だった。
虚を突かれた剣士は、一瞬泣き出しそうな顔になったが、泣きはしなかった。
まっすぐに見つめてくるプリーストの視線がどこかくすぐったかったので、剣士は笑った。
剣士はプリーストの所に押しかけているだけで、自分を待っていてくれるわけではないと思っていたために、無性に嬉しくなっていた。戻ってこない気は全くなかったけれど、忘れられても仕方がないとは思っていたのだ。忘れられても出会えばいいけれど、そうするには少しこの場所は剣士に馴染みすぎていた。
プリーストは、それが見慣れた、少し困ったような笑顔であることに少しだけ安堵を覚える。
「……ありがとうございます」
少し困った笑顔を見せるのは、剣士の癖だった。剣士に自覚はないらしいと、一度指摘したときにわかったことを今さらながらに思い出す。
「礼を言うようなことか」
「嬉しかったので」
プリーストのぶっきらぼうな物言いにも、大分慣れた。剣士は積み重ねた時間と会話は決して無駄ではなかったと気が付く。
全て覚えていた。
ふとした時に触れた指の感触を、自分が酩酊したのと同じ量だけ酒を呑んだはずなのにけろりとしていた顔を、優しくはないが自分のことを考えてくれていた言葉も。
そして今、新しい声を記憶に刻み込んで、剣士は初めて風にはためく髪を押さえた。
「俺、クルセイダーになろうと思います」
「……ほう」
「今決めました」
ずっと悩んでいたことだった。何も考えずに剣士を志したあの時から、道は常に二つに分かれていた。
そして今、プリーストと同じく神に関わる道を選んだのは、癒しの力に憧れたからだ。
いつだって一人で立っていられる彼の、せめて隣に並びたかった。
今のままでは己の方が守られてしまうというのが情けなくて、共に狩り場に行ったことはなかったのだ。
いつかその隣に並んで、そしてまたいつかは背中を守れるようになりたい。
その夢を、剣士はそっと心の中にしまった。
プリーストに言ったら、阿呆かと言われるのは目に見えていたので。
足踏みをすることにはなるが、いつかは必ず。
「では、今日はこれで」
「……ああ」
プリーストはなにかを言いかけたように見えたが、すぐに止めてしまった。
剣士はいつも別れ際にするように手を軽く上げて、いつもと違う言葉を口にする。
「行ってきますね」
「…………」
真意を掴もうとするかのように、プリーストは黙った。
目の前では剣士が、少し困ったような笑顔で頬をかいている。
少し迷って、間違ってはいないだろうとプリーストは思いついたことを言った。
「行ってこい」





剣士がプリーストの前に顔を出さなくなってから、半年以上の月日が流れていた。
プリーストの生活に特に変わったことはなく、退魔の術がますます鋭くなったくらいだった。
よく休憩に訪れていた場所に行く頻度が減ったことが、変化といえば変化だった。
それでも薄暗い地下に飽いたときは、しばしそこで新鮮な空気を吸っていたが。
その日も、そこに座ってブルージェムストーンの数を数えていた。
背後から自分の名前を呼ばれて、プリーストが振り返る。
懐かしい顔が立っていた。
少し背が伸びて、ついでに後ろ髪も伸びている。
記憶の中にある姿と少し変わった剣士は、あのころと同じように、少し困った笑顔を見せていた。
「……ただいま、戻りました」
それがあの日の続きであることに、プリーストは気付いていた。
それは改まって言うには少しばかり気恥ずかしい言葉ではあったが、今でなくては意味がない。
「……おかえり」
そして剣士はまた、ありがとうございますと礼を言う。



End.



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