弱点

      彼は苦悩していた。
      人よりもずっと頭が回る彼がここまで悩むのも珍しい。
      その原因はただ一つ。
      夕食時、冒険者たちが集まる食堂のお勧め料理。
      彼の意見も聞かず連れの騎士が勝手に注文した代物にある。
      円い卓の上に乗っかった大皿の白に映える赤い食べ物。
      ゆであげられたかににっぱのうまみと、キムチ等に使われる赤い香辛料の辛さが絡み合う。
      細かく切ったネギも入って、香りもそそるピリ辛の一品だった。
      そしてそれを実に美味そうに食べている騎士を、ウィザードは信じられないものを見るような目で見ていた。
      「あれ、食わねーの? めちゃくちゃ美味いぜ、これ」
      ぱきぱきと身を引きずり出し、赤いタレにつけて食べる。
      彼の前の皿に殻が山盛りになっているのに対して、ウィザードの取り皿は綺麗なままだった。
      「身とるのめんどくさいんだったら、俺が取ってやろうか」
      箸の反対側を使ってウィザードの取り皿に入れようとしたその手を、彼はすんでの所でつかんだ。
      「……どったの?」
      騎士が目をぱちくりさせて驚く。
      「いや……今日は胃の調子が良くない。香辛料のものは食いたくない」
      先程から考えていた言い訳を口にすると、騎士は半ば納得したらしく手を引っ込めた。
      その隙を見逃さず、ウィザードは近くにいた店員に声をかけた。
      「追加、薬膳がゆ一つ」
      「はーい」
      何故かガスマスクを被っている店員は返事をすると奥の方へと消えていった。
      何かの美容健康法だろうか。
      そのうち、厨房に注文を伝える声が店中に響いた。
      実に良く通る声だ。
      「ってことは、この大皿俺に一人で食えってか!?」
      「まあ、そういうことになるな」
      しれっと答えるウィザード。
      「最初に言っといてくれよ……」
      騎士ががっくりと肩を落とすのを見て、ウィザードは言い捨てた。
      「確認しない奴が悪い」
      「…………」
      もはや何を言う気力も失ったらしく、騎士は目の前の料理に専念し始めた。
      やがてかゆも運ばれてきて、隠し通せたことにウィザード様は大変ご満悦だった。
      彼が相方にまで隠していること、それは辛いものが苦手だということだった。


      その夜、宿でのこと。
      湯浴みもすませさあ後は寝るだけ、といった刻限になって、騎士はウィザードを抱きしめた。
      髪からほんのり石けんの香りが漂う。
      半分眠そうなウィザードの目はいつにもましてキツかったが、それすら可愛いと思うようではもう末期だ。
      そのまま顔を上向かせて、唇を重ねる。
      と。
      ウィザードの頭に、夕食時の光景が浮かんできた。
      ――確かこいつは、『辛いもの』を沢山食べていたはず……。
      イコール、こいつの口は辛い。
      無論のこと、騎士だってエチケットには気を遣っているからもう味など残っていないはずだ。
      しかし、先人の言に曰く。『病は気から』。
      時に精神は肉体を超越する。
      舌が入ってきた瞬間、とっさに彼はそれを噛んだ。
      「っな……」
      驚いて口を離す騎士。そしてその腹部には、短剣がぴたりと押しつけられていた。
      「え、あの」
      曲がりなりにも戦闘職である騎士にすら見切れぬほどの素早さだった。
      加えて騎士は身を守る鎧も何も身につけていない。
      動いたら死ぬと彼は悟った。
      「……そのまま」
      地の底から這うような低い声が聞こえる。
      「そのままゆっくり下がれ。三歩」
      腕力なら負ける気はしない。
      しかし、目が完全に据わっているウィザードに逆らう気は起きなかった。
      床をするように下がっていく。
      三歩目で、椅子に足が当たった。
      思わず振り返って確認すると、前方から毛布が飛んできた。
      「これ、ナニ」
      「毛布だ。見てわからんのか?」
      手にとってみても、紛う方無き毛布だ。
      「それはわかっけどさ、なんで」
      「今夜はそこで寝ろ」
      「え」
      宿屋。柔らかいお布団。ついでにウィザード。
      何が悲しくてここまで条件がそろっていて椅子で寝なければならないのかと騎士は混乱した。
      「ちょっと待てよ、落ち着けって」
      何とかなだめようと一歩踏み出す。
      床と水平にウィザードの手が上がる。無論のことその先には輝く短剣が。
      「半径3メートル以内に近づくな」
      「いや待て無理言うな!」
      「わかった。1メートルに負けといてやる」
      「ってあんまり変わってねーよ!!」
      「……何か文句でも?」
      目は口ほどにものを言う、とよく言われる。
      今の目を訳すならば、『これ以上ぐだぐだぬかすとファイアーウォールで焼くぞオラ(騎士訳)』
      といったところであろうか。
      「……オヤスミナサイ」
      「わかれば良い」
      騎士が椅子の上で丸くなったのを見届けて、ウィザードはベッドに潜り込んだ。
      短剣は持ったままでは危ないと思ったらしく、枕元に置く。
      十二分に危険だ。
      横目でその様子を眺めていた騎士は、ばれないように小さくため息を吐いた。
      そして、自分が何か怒らせるようなことをしただろうかと考える。
      騎士にとって眠れない夜は、まだ始まったばかりだ。

      こうして騎士を犠牲にしながら、今日もウィザードの秘密は守られている。



      End.


      『辛いもの嫌い』のネタはあの時にゲット。
      ……このやりとりと似たようなことをした覚えがあるのですが、いつだったかな…?






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