兄と弟の関係


      ここミッドガルドに、たいそう仲がよいと言えなくもない兄弟が住んでいました。
      プロンテラ騎士団に籍を置く兄と、世界各地を飛び回るシーフの弟。
      しかし、兄が持っていて弟が持っていないものが一つありました。
      兄は、素敵な『逆毛』の持ち主だったのです。



      「あっ、ツバキちゃん!」
      ざわざわとした雑踏の中、シーフは少し前を行く剣士に声をかけた。
      声に気づいて彼女が振り返ると、その体より少し遅れて長い藍色の髪が風に揺れる。
      「あら、久しぶり」
      剣士はシーフの姿を認め、口元だけで笑って見せた。
      その顔を見て、シーフの顔がだらしなくほころぶ。
      「やっぱりそうだった。君みたいなキレイな髪の子って滅多にいないから、すぐわかったよ」
      「お上手ね」
      くす、と笑む彼女に満足と言えば満足なのだが、シーフとしてはここは顔を赤らめでもしてほしいところだった。
      数ヶ月前共闘してから幾度か会い、何とか顔見知り程度には持ってこれたのだが、そこからもう一歩進めたいと
      思うのはシーフだけではないだろう。
      それに、彼女はシーフにとって久しぶりの『兄を知らない女の子』なのだ。
      「あーと、ツバキちゃん、今ヒマ?」
      「そうね。今から臨公でも探そうかと思ってたんだけど」
      ここは首都の町中であり、俗に臨公広場と呼ばれる場所は首都の南にある。
      冒険者たちが一時的に手を組む相手を探す場所だ。
      そう。
      ここがプロンテラであるということを失念していたシーフが不幸だったのだ。
      「え、あ、じゃあ俺と――」
      「おお、そこにいるのは我が弟ではないか!?」
      後ろからかかった声に、彼は聞き覚えがあった。
      ないはずはない。生まれた時から聞き飽きた声だった。
      「………………兄貴」
      渋々と。実に嫌そうにシーフが振り向くと、そこにはいつも通りの髪型をした兄がいた。



      「いっやー、久しぶりだな。プロンテラに来る時は連絡しろって言っただろー?」
      「うっさい。」
      騎士の鎧をまとった兄は、上機嫌でお茶を入れながらシーフに話しかけた。
      しかし、騎士団の管理している家に招かれ、テーブルに肘をついて座っているシーフの返事は短かった。
      「あ。そういう言い方は良くないんだー。お兄ちゃん拗ねるぞ」
      「拗ねるな。いい年こいて」
      体全身から『俺の後ろに立つんじゃねえオーラ』を立ち上らせているシーフを、騎士はあくまで子供扱いする。
      「ちっきしょ」
      そんなところもむかついて、シーフは小さく呟いた。
      昔から兄はこうなのだ。
      家にいる時は構ってくれないと泣くぞとか何とか言っておきながら、外面は驚嘆に値するほど良い。
      命令に忠実、常に冷静沈着、品行方正な騎士の鑑をやっているのだ。
      騙された人間は数知れず。
      そして、シーフはこの兄に決して敵わないことがあった。
      ちらりと質素な台所の方を見やると、何を探しているのか棚をごそごそやっている。
      しゃがんでいるためシーフの目線と同じところにある、ぴんと重力に逆らって立った髪。
      人はそれを逆毛と呼ぶ。
      いつもと変わりない角度でそそり立つそれを見て、シーフは軽く嘆息した。
      あれさえなければ、という言葉が頭を回る。
      その向こうに浮かんでくるのは、先程まで一緒にいた女剣士の顔。
      「ツバキちゃん……」
      必死に印象づけて、自然に話が出来るようになるまでがんばったのだ。
      なのに、それを。
      「はーい、お待ち。お兄ちゃん特製、ナイトティーだよん」
      だよんじゃねえうざいやめろ。
      一瞬喉までせり上がってきた言葉を、何とか押さえた。
      彼は実際、この兄はこういう奴なんだとプロンテラ中走り回って教えたい気分だった。
      ――なあツバキちゃん、どうして君まで騙されるのかねえ……?
      「兄貴のせいで、俺の人生真っ暗闇だ」
      ずず、と行儀悪く茶をすすっても騎士は文句一つ言わない。
      それでも、シーフの台詞は気になったようだ。
      「何言ってるんだ、人生まだまだこれからじゃないか。おれなんか、後100年は生きるぞー?」
      この兄なら100年でも200年でも生きそうだとシーフは思った。
      「兄貴に、俺の気持ちなんかわかるかよ」
      「いーや、わかるぞ」
      「……あんで」
      騎士は不必要なまでに胸を張って、言った。
      「おれはお前の兄だからだっ!」
      「あーそう。聞いた俺が馬鹿だったよ」
      ほとんど投げやりになると、彼はとたんに不安そうな顔になった。
      「なあ、今日はなんでそんなに怒ってるんだ?」
      その不用心な言葉は、シーフの堪忍袋の緒を切らすのに十分だった。
      「……っの、無神経男……」
      「はい?」
      シーフがうつむいて発した言葉に、ぽかんとした顔をする騎士。
      彼は顔を上げ、きっと騎士を睨みつけて、叫んだ。

      「兄貴の逆毛ー!!」
      バックステップ! バックステップ! バックステップ!


      「……はい?」
      騎士がようやく正気に戻ったのは、訳のわからない捨てゼリフをはいたシーフの姿が完全に見えなくなってからだった。




      「兄貴の馬鹿、阿呆、間抜け……」
      海が見える。
      適当に手に触れた石を放ってみると、思ったよりいい音がした。
      崖っぷちに座り込んだまま、彼はひたすらに騎士の悪口を言っていた。
      その中で、言い捨ててきた台詞を思い出す。
      逆毛。
      それは兄の最大の特徴であり、シーフの憧れであった。
      そう、彼は逆毛になりたかったのだ。
      しかし悲しいかな、髪質だけは持って生まれたもので、どんなに努力してもあの髪型を作るには至らなかった。
      (だいたいが不公平だ)
      あの兄の髪は、ほとんど天然なのだった。
      寝癖というか、朝起きるとあの頭が大体出来ている。後は水を軽くつけ、クシを通せば完成だ。
      世のセットしている方々に申し訳ないと思わないのだろうかとはシーフの言だ。
      そして、何故かシーフが好きになる女の子は逆毛が好きな子が多い。
      さっきだって、あのツバキが頬をちょっと染めて『あの人、お名前は…?』とシーフに聞いてきたのだった。
      兄のおかげで駄目になった恋は一つや二つではすまされない。
      「兄貴なんて、ハゲちまえばいいんだ」
      「それはちょっと嫌だな」
      突然かけられた声に驚いて、反射的に振り向いてしまう。
      「っ、あに――ぶはあっ!?」
      兄貴、と呼びかけようとした言葉は最後まで発せられることなく、かわりに彼は思いっきり吹き出した。
      「あー…やっぱり変か?」
      ぽりぽりと頬を掻く仕草さえ目に入っているかは怪しい。
      「…っ、あんたの頭は剣山か!?」
      笑いすぎて目に涙まで浮かべているシーフが指さした先には、騎士の頭がある。
      より正確に記すなら、逆立った毛の間にちょこんと刺さっている花が。
      装飾用の花ではないらしく、力尽きたのかくたっと毛に寄りかかるように倒れてしまった。
      それを見て、シーフの笑い声がさらに高まる。
      「そんなに変かー?」
      ぶつぶつ言いながら花を直そうとする彼は、自分の感覚が人とずれていることにさっぱり気が付いていないらしい。
      ようやくシーフの笑いが収まったのは、彼が花を外してしばらくたってからだった。


      「……ああ、そりゃお前が悪いよ」
      ぽつぽつと事の次第を語ったシーフに対して騎士が発した第一声がこれだった。
      「はあ?! なんでだよ、どっから見ても兄貴のせいだろ」
      「そういう問題じゃなくて、お前自分と趣味が合う子選んじゃってるんだよ」
      「なに、それ」
      騎士は笑顔で身を乗り出し、シーフの眼前に指を突きつけて言った。
      「逆毛好き」
      「…………」
      予想外だったのか図星だったのか、彼は黙り込んだ。
      「お、図星? 昔っからおれのこと好きだったもんなあ」
      「な、なに言ってんだよ! んなことあるか」
      そっぽを向いてはいるが、顔がうっすら赤く染まっている。
      「あー、そういうこというんなら、思い出させてやるよ。お前が6歳のころ…」
      「うわーっ! うるさい、言うな!」
      年齢だけでなんのことかわかったらしく、がばっと立ち上がって話しを遮ろうとする。
      「認めれば楽になれるぜー?」
      「俺は認めない、ぜってー認めない」
      「素直になれよ、兄弟」
      いつのまにか立ち上がった騎士にぽんと肩を叩かれて、シーフは海にむかって絶叫した。
      「俺は違うんだーっ!!」



      End.



      深い意味はありません。普通の兄弟です。逆毛ラブ。



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