理想と現実
ほどよく賑やかな酒場の一角で、半分自棄になって酒をあおる騎士の姿がある。
向かいに座ったバードはその姿を呆れたように見つつ、ちびちびとかなり濃い酒を舐めていた。
室内だというのにウェスタングレイスを被りっぱなしだったがそれがよく似合う。
一見整った顔立ちに、無精髭が浮いていた。
「俺はっ、さあ、昔っから憧れてたってのにい!」
騎士は半分涙声でバードに絡んでいるが、彼は聞いているのかいないのか、通りがかったウェイターにつまみの追加を注文している。
「それがさあ……絶対詐欺だよ! この似非バード!」
「そこまで言うか」
だんっ! と騎士がテーブルに拳をたたきつけると、ナッツ類が盛られた皿が跳ね上がった。
バードはそちらの方は気にしないが、流石にその一言が気に障ったのか眉をひそめる。
目の前の男が酔って似たようなことを叫び出すのは今に始まったことではないので、
何回も聞いた台詞ではあるのだが。
「俺は! 小さい頃からずーっと吟遊詩人ってやつに夢を見てたんだよう」
一方、騎士はバードの反応など全く気にすることなく蕩々と話し続けている。
酔っぱらいなんてそんなものだ、とバードはさりげなく目を逸らしながらグラスの中の液体を口に含んだ。
「とーこーろーが! 冒険者になってフタ開けてみれば……これだ!」
酒を飲むと気が大きくなるタイプらしく、派手に両手を広げるポーズまで披露する。
右手に握られたままのグラスに、すでに氷しか残っていないのが救いだった。
「飲む打つ食う寝る! どうして俺が出会ったバードはこんなオヤジだったんだ!」
「酒飲んで博打して食って寝るののどこがわりーんだ。普通じゃねえか」
そもそも年はお前とそう変わんねえ、とバードは運ばれてきたサベージの煮込みに手を出しながらぼやいた。
趣味がオヤジなんだあっとすでに目が据わった騎士もそれに箸をのばす。
何だかんだ言っても食事の好みは似通っているらしい。
「大体だな」
ひっそりと騎士のグラスに水を注いで、バードが騎士を見た。
くいっとウェスタングレイスの縁を持ち上げてみせる。
「そんなに言うなら、お前さんが理想のバードとやらになりゃよかっただろうが」
「ううっ」
ほとんど初めて、騎士がバードの言葉をまともに聞いた。
この会話も何回かしているので、バードにはこの次に返ってくる言葉まで見当が付く。
それでも同じ言葉を投げかけるのは、この話題なら静かになるとわかっているからだ。
「……しょーがねーじゃんかよう、人には向き不向きってもんがさあ」
途端に口をへの字にして、うつむき加減でグラスの中身を飲みこむ。気分が落ち込んだからか軽く酒の風味が残っているからか、それが水であることには気が付かないようだった。
「そうさ、あれは忘れもしないノービスの時さ」
はいはいと心の中で相槌を打ちつつ、自分のグラスを傾けた。
ここまで来れば、適当に相手をしてやって酒場から出て行くまでのプランは順調に進んでいるといえる。
「俺はもちろんバードに憧れていた! それで、こっそりアーチャーの人に弓を引かせてもらったことがある」
ふーっと酒臭い息を吐いて、片手で顔を覆う。意外ときっちり調えられた銀髪がその手に触れる。
「……矢は真っ直ぐ飛ばなかった。どころか! 何故か俺の背後に突き刺さった」
「ある意味才能だなー」
それはこの話を聞く度にバードが抱く感想だった。
要するに先天的に不器用というか、絶望的に弓手に向かないのだ。
剣を振っても剣がすっぽ抜けることはないのだから、剣士が適職だったのかも知れない。
そういえば、彼は職業適性検査でも剣士が向いていると言われたと言っていたなとぼんやり思い出す。
「その時に悟ったんだ。そうかあ、俺はバードにはなれないんだなあって」
短剣で戦う弓手になってもよかったんではないか、とはバードが今でも言えない台詞だ。
「まあそれはいいんだよう、もとから俺はそういうタイプじゃないしさああ」
おや、とバードは思った。
これはいつもと少し違うパターンだなと。
「だから……だからこそバードの人に期待してたのにいっ」
「ま、まあ、とりあえず……」
雲行きが怪しいと思ってバードが制止の言葉をかけようとした時だった。
かっ! と暗かった窓の向こうがフラッシュし、店内が一瞬白く染まる。
そして合間を置かず、腹の底まで響くような音がとどろいた。
酒場に居合わせた客も驚いたようで、泥酔している一角以外は首を伸ばして窓の外を見やる。
程なく、激しい雨音を伴って窓に水滴がたたきつけられる。
「おいおいー……」
「こりゃあれだな、今日は飲みあかせってこったな!」
「おっまえ適当だなー」
ぎゃはははは、となにが楽しいのか笑いが巻き起こる。
対してバードは、この雨の中酔っぱらいを引きずる元気などなく、口の端を引きつらせていた。
「なんだあー…雷い……?」
騎士がぼーっと窓の向こうに目をやる。雷の音は間隔を置いて鳴り続けていたが、客の大半は酔っぱらっているためかもうほとんど気にしていない。また一つ、雲間から白い筋が落ちた。
「んなことよりい! どーしてあんたはそんなにバードっぽくないんだあ!」
話題が元に戻ってしまった。
びしりと指を突きつけられてはあっとバードがため息を漏らす。
これはかわしきれそうもないな、と普段から大量の酒を摂取しているためちょっとやそっとでは酔わない自分を少しだけ恨んだ。
そもそもバードっぽいとはなんだろう。
少なくとも彼が知る中では、騎士が言うような昔話に出てくるバードっぽい人などいやしない。
特に決まったギルドもないバードという職業だが、その分横の繋がりが強い。バード仲間の集まりなども自主的に行われていたりするのだ。
あそこにこいつを連れて行ったら現実逃避するだろうな、とバードは口の端を歪めた。
歌うたいとしての才能は誰もが一目おくようなバードだって性格はただの面倒くさがりで事なかれ主義だしそのくせ頑固だし、丁寧なのはいいがネジが二三本抜けてるようなバードだって、短剣こそ我が命いぃぃぃぃ! なお前何でバードなんだ、みたいなバードだっているのだ。
それに比べれば熱気も才能もないがなんでもそこそこにこなす自分はマシじゃないか、と心の中だけで思う。類は友を呼ぶ、と言う言葉は彼の辞書にはない。
「……だからだなあ、バードってのはいきなり殴り合いするようなものじゃなくってえ……おい、聞いてるか!」
「あーはいはい、聞いてる聞いてる」
端のテーブルで始まったポーカーに目を向けながらおざなりに返す。
あの時殴り合いさえしなければこの騎士とつるむこともなかったのか、
と思うと目が遠くなるのを押さえられない。
騎士の愚痴だかなんだかを聞き流しつつ、雷と共にやってきた雨が早く上がればいいと思った。
End.
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