寝床の中で


しくじったなあ、と天井の木目を見上げながらバードは呟いた。
愛用のウェスタングレイスも流石にベッドの中で被るわけにはいかず、サイドテーブルの上でどこか寂しそうだ。代わりに額に乗っかっているのはひんやりとした濡れタオル。
どうにもだるくて動かせない体は、そのタオルのせいで寝返りすら打てない。
ごほごほ、と掠れた咳が出る。
何のことはない、ただ単に風邪をひいているのだった。
今回バードがかかった風邪は、熱が一気に上がるわけではないのだがとにかく咳と喉の痛みが酷い。
知り合いのバードなら嘆くところだろうが、彼はそんなに歌にウェイトを置いていないので、せいぜい話しにくいことを厭うぐらいだった。
関節があちこち痛い。無造作に伸ばしていた髪の毛が首筋にからみつくのを鬱陶しいと思ったのは久しぶりだった。それどころか、素肌に触れる部屋着やシーツの感覚までうざったいときた。
「だりい……」
小さく小さく囁いてみた。それで症状が改善されるわけでもない。むしろ喉の痛みを助長する結果になった。
バードは寝込んでいる今の状況が嫌いだった。
昨夜風邪が発覚してから夜遊びなど以ての外、と異様に早く寝かしつけられてしまったし、今日は今日で今朝からずっと寝ていたのだから最早眠気はしない。
かといって起きあがって何かするほどの元気は湧いてこない。
昨日から何かとうるさい事を言ってバードをベッドに縛り付けていた騎士は、寝ている間にどこかに行ってしまったらしい。退屈しのぎがいないと暇だ、とバードは額の上にあったタオルを目の上に移動させた。裏返すとまだひんやりしていて気持ちが良い。
無理矢理目を閉じて、それに耐えられなくなって目を開いて、を六回ほど繰り返したところで、騎士が帰ってきた。今回はちょっとリッチだったので、普段より少し豪華な宿に泊まっていたのだ。
故に二人部屋は広く、洗面所まで付いている。騎士は先にそちらに行って買ってきた物を置いている。
左手には厨房から借りてきたものも持っていた。
「……生きてるかー」
そーっとベッドに近づいて、起きているかどうかわからないのか小さく声をかける。
「今んとこはな」
バードが唐突に返事をしたので、騎士は驚いたようだった。
ひょいと目の上のタオルを取ると、代わりに額に手を当てる。
「なんだ、あんま熱ないじゃん」
「……だからなあ、喉とだるいのが主なんだって」
さびが浮いた声がやはり鬱陶しい、とバードは思考力が低下した頭で思う。
その間にも騎士はタオルをゆすぎに行っている。
酒さえ入っていなければ基本的にお人好しの良い奴なんだなあとしみじみ思った。
その分酒が入ると自分の理想を追い求める迷惑な直進野郎へと姿を変えるが。
騎士が戻ってきて、バードの額にタオルを乗せてくれた。
「看病……慣れてんな」
喋るのは面倒だったが、せっかく退屈しのぎがいるのだから使わなければ損だ。
あー、と唸って頬を軽く掻いた騎士は立ったまま答えた。
「妹がしょっちゅう風邪引いてたかんな」
「なるほどな」
かといって、今バードの頭の中はだるいとか喉痛いとかが半分以上を占めている。
なかなか話題が見つからず、しまいには何で自分が話題を考えないといけないのかと八つ当たりに似た思考まで浮かんできた。軽い病人はそういうものである。
「腹減ったか?」
難しい顔で黙り込んでしまったバードに何を思ったのか、騎士から話しかける。
タオルがなければ眉間に険しく寄りまくったしわが見えたはずだ。
「ふつー」
「まあ待ってろ、今持ってきてやっから」
「聞いてねえし……」
酒が入っていなくとも人の話を聞かないこともあるらしい。
騎士はさっさと洗面所の方へ行ってしまった。
人がいない時に限って咳が出る、と一人で咳をしながら、頭の隅で知り合いのバードの話を思い浮かべる。
数ヶ月ぱたりと連絡を絶った後で、ようやくたまに姿を見せるようになった歌好きの男だ。
確か、連れが風邪の看病の仕方すら知らないとか愚痴っていたなと。
「お待ちっ」
ぼうっとした頭でぼーっとした男の顔を思い浮かべている間に準備をしたらしく、騎士が戻ってきた。
手には小さな深皿を持っている。
「ああ?」
辛うじて体を持ち上げてその皿の中身を見ると、うす黄色のすり身が入っていた。
ほれ、と器とスプーンを差し出される。
反射的に受け取ると、皿はほんのり冷たかった。
「リンゴのすったやつ。新鮮で冷たいの買ってきたんだぞー」
ということは、彼は少なくともリンゴの皮は剥けるらしい。
弓矢に関してはさっぱりだが、刃物の扱いはそう馬鹿にしたものでもない。
バードが口を付けたそれは、冷たくて抵抗もなく喉を滑り降りていった。
「……美味いな」
「あったりまえじゃんか」
えっへんと胸を張る姿を見ていると、本当に同い年かと思わされる。
ぬるくならないうちに食べてしまおうとせっせとスプーンを動かしつつ、今度あのバードに会ったら、うちの相棒はおろしリンゴが作れるんだぞ、と自慢しようかとバードは思った。
騎士は騎士で、相手が何を考えているかはわからないなりに嬉しそうであった。



End.



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