道
フェイヨンに、テコンの二人組が立っていた。
「よっし! 次はコモドだったな!」
黒髪のテコンは、そう言ってカプラ嬢に話しかけようとする。
だが、淡い緑の髪をしたテコンはそれを止めた。
「僕、忘れ物をしてしまったよ。先に行っていて?」
「えー? 待っててやるって」
「いや、先に進めていて欲しいんだ」
拳聖への道のりは楽じゃないだろう、と諭すと、しばらく唇を尖らせていた黒髪のテコンは、渋々承知した。
「わーったよ、じゃあ後でな!」
相手の言葉に疑いを持たないテコンを、緑髪のテコンは少々の胸の痛みと共に送り出した。
己の師匠に自分の考えを打ち明けるには、あの同輩がいない方が良かったのだ。
幻想の島、コモド――洞窟内部の都市である故に、常に夜の町として知られている。
その中心にはかつて活火山だった山があり、その頂上付近では、修道者が道を究めるテコンの訪れを待っている。
太陽と月と星の戦士、それが拳聖だ。
テコンドーを更に極め、人では計り知れない力を我がものとする決闘者。
今、晴れて試練を終え、拳聖となったあの黒髪のテコンは、同輩を探して町をうろついていた。
遅れてくると言ったテコンとは、テコンになった時からの付き合いだ。同じ師匠につき、同じように技を競い合って強くなってきた。当然、拳聖になるのも同じだと、ずっと思いこんでいた。
「やあ、転職おめでとう」
後ろから聞き慣れた声で声をかけられ、拳聖は嬉しげに振り向いた。
試練なんてどうってことなかったぜ、とか、お前も早く拳聖に、とかの言葉をかけようとして、しかし彼は絶句した。
涼やかな声も、穏やかに笑む顔も変わらないのに、道だけが違ってしまっていた。
その装束は、最早テコンのものではなく、かといって拳聖のものでもない。
ソウルリンカーと呼ばれる、テコンドーと引き替えに霊魂の力を得るものだった。
「な……」
何が言いたいのかもわからないまま開いた口からは、明確な言葉はやはり出てこなかった。
それをなんで、だと取ったのか、ソウルリンカーとなった淡い緑の髪の少年は、少し沈んだ表情になった。
「黙っていて、悪かったね。でも、決めていたんだ」
その言葉が脳に染み渡るに至って、ようやく拳聖の体は動いた。
かっと頭に上った血の赴くままにソウルリンカーの胸倉に掴みかかったのだ。
「なんだよ、それっ! テコンドーを捨てるっていうのか!?」
掴まれたまま、ソウルリンカーは静かに拳聖を見た。
それに対する未練が、ないといえば嘘になる。
「……そうだよ。僕は、違ったところに力を求めた」
偽りを言うことは許されない。激昂する拳聖と対照的に、ソウルリンカーの瞳はどこまでも冷めていた。
心構えがあるかないかの違いであった。
ソウルリンカーは、もう幾度もこの時が来るだろうことを予測し、答えを用意していた。
「じゃあ、俺たちが一緒にやってきたことは何だって言うんだ!?」
「無駄になるわけじゃない、それはずっと僕の中に残っている」
「でもお前は……!」
拳聖の瞳はあまりにもまっすぐで、それが時にソウルリンカーには痛かった。
ずっと同じ道を行くんじゃなかったのか、とその瞳は訴えている。
拳聖にはわからないのだ。例え職の道が分かれようとも、ソウルリンカーがテコンドーから外れても、人と人の繋がりが断ち切れるわけではないということが。
こうなることがわかっていてあえてソウルリンカーを選んだのは、訴えかけてくる霊魂を捨てきれなかったからであり、彼とは別の力を手に入れたかったからだ。
いつかきっとわかってくれるというのは、自分の甘えだっただろうか。
「少し前から、僕には空中を漂う人が見えるようになってた」
未練を残して死した人々。テコンであったころには声は聞こえなかったが、こうしてソウルリンカーになった今、その声すらはっきりと実感を持って迫ってくる。
太陽でも月でも星でもなく、人の力をソウルリンカーは欲したのだ。
「彼らのために……そして何より僕のために。それではいけないのかい?」
「別に……他の力なんかっ」
「なら、何故君は拳聖になったんだ」
その言葉に、撲たれたように拳聖ははっとなった。胸倉を掴んでいた手から力が抜ける。
「師匠のようにテコンのままでいることもできた。何故だ?」
彼らの師匠はずっとテコンキッドのままだ。キッドという年ではないと笑っていたが、彼こそが永遠の求道者なのだろう。
「そ……れは」
「強くなりたかったからじゃないのか? 別の力を手に入れて、より高みへ行きたかったからじゃないのか?」
糾弾するソウルリンカーの目は強かった。
拳聖は彼から手を離し、うなだれる。反論が何一つ思いつかなかったからだ。
「責めているわけじゃないんだ……ただ、君にもわかってほしかった」
ゆっくりと、ソウルリンカーは拳聖の黒髪に指を絡めた。
「道は違っても、僕は僕で、君は君であることをね」
包み込むようにその頭を抱き、こつんと頭頂部に額をぶつけた。
「君に、太陽と月と星の輝きがいつまでもありますように」
それは祈りだ。拳聖は、自分が何か暖かいものに包まれるのを感じていた。
手を見れば、微かに薄紫の光に覆われている。見える世界が、ほんの少し違っていた。
「これが……」
お前の手に入れた力か、と問えば、彼はこくりと頷いた。
手を離して、ソウルリンカーは二、三歩後ろに下がった。
「またね」
そう言って、ソウルリンカーは後ろを向いてしまった。そのまま歩き出してしまうから、後ろ姿になにか決別に似た意識を見つけて、拳聖は思わず怒鳴った。
「俺……! 俺、まだよくわっかんないけど!」
ぴたりとソウルリンカーは立ち止まる。振り返ることはしなかった。
「そのうち、絶対わかるようになるから! そしたら……そしたら!」
なんだかわからない感情に突き動かされて話すのは、たやすいことではなかった。
あふれ出しそうな焦燥感とは裏腹に、口は思った以上に動いてくれない。
「そんときは、祝わせてくれよな!」
やっと口にした言葉にも、ソウルリンカーは振り返らなかった。
だから、拳聖は彼がどんな表情をしていたかは知らない。
ソウルリンカーは、拳聖を見ないまま片手を上げて、去っていってしまった。
彼らがまた隣りあって歩く日は、そう遠くはないだろう。
End.
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