悩める青少年


「……え? 一部屋しか開いてないんですか?」
夜も更けた頃に宿の戸を叩いたクルセイダーは、カウンターについていた女性の言葉を反芻した。
申し訳ありませんが、と女性は同じ言葉を口にする。
「本日はいつもよりお客様が多くいらっしゃって、二部屋はご用意出来ないのです」
いつもより客が来ているのはこの宿だけではなく、この近辺は軒並みそうだと言うことをクルセイダーは知っていた。ついでに、そうなるに至った事情も知っている。

ここは空中都市ジュノー、シュバルツバルト共和国の首都にして、イズルードからの空の玄関でもある都市である。そのままシュバルツバルト共和国の各都市に行ける飛行船が発着していることもあり、ルーンミッドガッツから冒険者が多数訪れることでも知られている。
その国内飛行船に異常が発生したのが、今日の昼過ぎだった。
イズルードからジュノー、またその逆の国際線では距離が長いのが災いしてか、魔物の襲撃を受けることは珍しくない。そのおかげで飛行船の乗組員はすっかり修理・運行調整に慣れている。
しかし、国内線ではそうはいかない。
飛び立つ前に異常を発見出来たのは良かったものの、その修理に時間がかかったのだ。しかも、どのくらい時間がかかるかさっぱり見当の付かなかった飛行船職員は、すぐですからと言って乗客を待たせておいた。そしてとうとう最終便の時間が近づくにあたって、本日は停止との発表がされたのだった。
おかげで乗客になるはずだった者たちは、ジュノーで足止めを余儀なくされたのである。
さっさと見切りをつけて宿を取った者たちはともかく、その場に残っていた者たちは慌てて空港周辺から宿を当たり始め、当然部屋が埋まったら次の宿に標的を変える。
とりあえず夕飯でも、と呑気に酒場で食事を取っていたクルセイダーと、一緒にジュノーまで来ていたプリーストは、宿を当たってはたらい回しにされるというはめになったのだった。

宿の女性を前に、さてとクルセイダーは考える。少し色あせたマントや、細かな傷が付いた聖騎士の装束から見ると、駆け出しの域は出ているようだった。
一部屋といっても自分は問題ない。ベッドが足りなければ自分が床で眠るだけの話であるし、何よりこれから余所の宿を回るにも時間がかかる。腹はほどよく満たされていたし、周りの客より気がせっていなかったとはいえ数時間も空港で足止めされていれば疲れてもいる。
しかしプリーストはどう思うだろうか、とちらりと斜め後ろにいる彼の顔を見やる。
やはり疲れているのか、普段の表情より少し険を増した顔をしてはいるが背筋はぴんと伸びている。クルセイダーが見ているのに気が付くと、小さく頷いて見せた。
「では、それでお願いします」
「はい、お二人様料金は前払いでお願いします」
しばらくカウンターを占領していたことに気が付いたクルセイダーは、慌てて二人分の料金を財布から引っ張り出した。とりあえず払っても、後で必ずプリーストは返してくれることを知っているのだ。
「確かに。では、部屋は2階の端、8号室になります」
番号のついた鍵を受け取って、クルセイダーは会釈した。女性に笑顔で送られ、二人は玄関ホールから階段を上がった。
「しかし……今日は疲れました」
「災難だったな」
部屋の中の客に迷惑がかからないように、極力声を潜めて会話をする。
程なく、廊下の端についた。
部屋にかかっている番号札と鍵の番号を見比べて、クルセイダーがドアを開ける。
そして二歩部屋の中に踏み出して、小さなうめき声と共に立ち止まった。
「どうした?」
後ろからプリーストに声をかけられて、クルセイダーは口ごもりながらも足を進める。
「ええと……その」
部屋の全景が見渡せるようになって、プリーストは納得した。
部屋のど真ん中に、ダブルベッドが一つ置いてあった。
他に開いていないのはわかるが、男の冒険者二人にダブル部屋というのはいかがなものだろうか。
「あ、えっと、ベッド使ってくださいね」
部屋の隅に荷物を下ろしていたクルセイダーは、先手を打って切り出した。
「どうする気だ?」
「床でもいいかと思ってたんですけど、ソファがあるので助かりました」
そう言われてみれば、ベッドとは逆の反対側の壁にソファが備え付けてある。少々窮屈だろうが、床よりはマシであろう。実際、厳つい装束をといてしまえばクルセイダーの体躯はそんなに大きくもない。プリーストに身長でもかなり負けているのが本当のところだった。
「……そうか」
自分でそう言うならいいか、とプリーストはそれ以上何も言わず、先程立て替えられた宿代をクルセイダーに渡した。受け取りながらクルセイダーは見ていた備え付けの紙をプリーストに差し出す。
「お風呂、まだ開いてるみたいです」
お先にどうぞ、と言ってクルセイダーは長いマントを下ろした。これから全ての鎧を取るには、少々時間がかかる。対して、プリーストはそんなに時間はかからない。理には適っていた。
「行ってくる」
「はーい、いってらっしゃい」
軽く声をかけてプリーストが部屋を出ていくと、後ろから声がかかる。
昔に比べれば大分あの格好も様になってきた、とぼんやりと考えながらプリーストは風呂に向かった。


風呂から戻ってくると、クルセイダーはすでに部屋着のみの格好で待っていた。入れ違うように彼が風呂に向かうと、プリーストはすぐにベッドに潜り込んでしまった。
待っていても良かったのだが、疲れていることに変わりはないし、そもそもクルセイダーはお休みなさいと言って出ていったのだからわかっていることだろう。そういえばクルセイダーと一部屋で泊まるのは初めてだったかも知れないな、とプリーストはちらりと思ったが、目を閉じるとそんなことは忘れてしまって眠りに落ちていった。


クルセイダーが戻ってくると、予想通りにプリーストは眠っていた。
まっすぐ、非常に姿勢の良い格好で眠っているものだから、一瞬死んでいるのではないかと不吉な予感が胸をよぎったほどだ。注意深く胸元を観察して、掛け布団が盛り上がるのを見てほっとする。
安堵したところで、そういえば寝顔を初めて見たことに気がついてクルセイダーは真っ赤になった。
寝ている人の顔をまじまじと見るものじゃない、と慌ててソファに座り込む。
装備を解いてもこればかりは手放さない、胸から揺れるロザリーを握りしめて心を落ち着かせた。風呂上がりで、普段は一つにまとめている髪を下ろしっぱなしにしているのが少々鬱陶しい。昔から髪を伸ばしてはいたが、こればかりは慣れないのだ。
胸元からロザリーを引っ張り出すと、ちりちりと鎖のこすれる音がした。
これはクルセイダーへの転職試験の時にプリーストから借りて、結局そのまま借りっぱなしのロザリーだ。すぐに返そうとはしたのだが、何故かどうしても受け取って貰えなかった。一人前になったら返せ、と言われても一体どの辺りが一人前なのか分からずにクルセイダーは困っている。
転職はしたし、剣士の頃とは比べものにならないほど必死で修練を積んではいるが、まだまだプリーストの背中は見えない状態だ。今回彼を誘ったのだって、狩りにではなく観光の誘いなのだからその差は如何ともしがたい。
ついでに、非常に静かではあるがベッドからは寝息が聞こえてくるわけであって、クルセイダーは頭を抱えた。
同じ部屋で安心して眠ってもらえたことに喜ぶべきか、全く意識されていないという現実に悲しむべきかさっぱりわからなかった、というのもある。どうもこのままでは心安らかに眠れそうにもなくて、クルセイダーは剣を持って立ち上がった。いっそのこと素振りでもして疲れ果てて寝てしまえ、と考えたからである。
安眠を妨げないように、極力音を立てないように気遣いながら彼はそっと部屋を抜け出した。


ジュノーはプロンテラよりずっと北に位置する。その上、空中都市の異名通りエルメスプレートの上に浮かんでいるのだから、夜ともなればそれなりに冷える。宿の裏庭は、時折犬の遠吠えが聞こえてくるぐらいで静かだった。
きんと音がしそうな空気の中で、まだ湿っている髪を後ろで一つにくくった。先に風呂に入るのは止めておいた方が良かったかと思ったが、構わずに剣を抜いた。
静かに呼吸を整えて、クルセイダーになって最初に教え込まれる構えを取る。切っ先を地面に向けて、半身がぱっと見がら空きとも思われる待機の構えだ。この時点で、より実戦を意識するなら盾も持ってくるべきだったか、と後悔した。
クルセイダーの主な武器は、片手剣と盾、または槍だ。ペコペコに乗って槍を操るクルセイダーももちろんいるが、彼は片手剣を主体に盾を補助に戦うタイプのクルセイダーだった。
普段なら、片手には常に盾を持っているのだが、持っていないとやはり重心に問題がないわけではない。しかし、盾を失った時の備えもしておけという先輩の言葉を思い出してこのままでいいかと考え直す。
最初は型どおりに、下から上へ上から下へと振り続ける。横薙ぎ、斜め、各種を数十回ずつ行って、体捌きもやっておこうと眼前に架空の敵を思い浮かべる。
左へ踏み込んでそのまま避けて、としばらく繰り返したところで、自然背中に誰かいるような動きになっていて苦笑した。いつかは、と考えている夢だった。あのプリーストと、背中合わせで戦うこと。
敵に対峙した時の慌てない心意気、結界と退魔の術を使いこなすあの姿に、クルセイダーは憧れを持っていた。
憧れのままだったなら、と思わないことはない。
彼に対する感情が憧れのままだったなら、同じ部屋で寝ることに緊張はしないだろうし、会う時にいちいち理由を考えることもない。不純な思いを抱いているなどと知れたら、あの人はどうするだろうと考えただけでも恐かった。
そもそも初めて会った時から――と、ここまで考えてクルセイダーは唐突に動きを止めた。
初めて会った時に見た姿が、彼の戦っている姿なわけは、ない。
剣士の頃にすでに熟練の退魔プリーストだった彼の狩り場になど行けるはずもないし、よしんばパーティーを組んで行けたとしても自分のやるべきことに精一杯で、人のことなど見ている暇はないではないか。
「ああ……」
誰もいない空間に、ぽつりと呟いたクルセイダーの声が落ちた。
「……ああ、そうだったのか」
初めて彼を見たのは、狩り場でも何でもなかった。
剣士の駆け出し時代から世話になっている友人に連れられてやってきた酒場で、彼を見つけたのだ。
明るい室内の中で、わざわざ明かりが届きにくい店の隅で座っていたプリーストの、グラスを寄せるその指と、俯き気味のその横顔に興味を抱いた。
最初から、憧れではなかったのだ。
最初から、あの人に恋をしていた。
「まいったなあ……」
クルセイダーは力が抜けて地面に座り込んだ。
少なくとも憧れだけを感じていた時期があったと思っていたのに、最初から好きだったとは。もちろん彼の力量に対する憧れが無くなったわけではないが、クルセイダーは多少複雑な気持ちだった。
しかし、自覚してしまったものを今さら忘れられるほどクルセイダーは器用でもない。
とりあえず今度こそ寝よう、とふらふらと立ち上がった。
夜の闇に紛れて見えないが、その頬には運動によるものだけではない赤みが差している。
明日の朝、果たしてどもらずにおはようございます、と挨拶できるかどうか、が彼の新しい悩みになった。



End.

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