告げるための道中





その日二人は、プロンテラの通りを歩いていた。
珍しく昼前に遭遇したので、じゃあ昼飯でも、と小料理屋に向かっている最中である。人混みが二人ともあまり得意ではなかったので、大通りから外れた通りをのんびりと歩いていた。
「あ、ここにも露店が出てますよ」
クルセイダーの視線の先では、スーパーノービスがかわいらしいポリンカートいっぱいにミルクを積んで露店を出している。
「そうだな」
心持ちどうでもよさそうにプリーストは応じた。
クルセイダーの笑顔にはなんとなく緊張感が漂っていたが、プリーストは知ってか知らずか全くいつも通りだ。
「桜の季節ももうすぐですね」
「……花見酒か」
「それも楽しみの一つですかねー…」
呟いたクルセイダーの口調に微かに苦いものが混じったのは、いつだったか潰れてしまった時のことを思い出したからだろうか。
「あ」
歩きながら、クルセイダーがプリーストのことを指さした。正確には、頭頂部よりやや下を指している。
「……なんだ」
「頭にゴミ、ついてます」
この辺に、と今度は自分の頭を指さす。流石に頭頂部はクルセイダーからは見えないので、やはりやや下あたりだ。
ぽふ、と自分の頭に手を置いたプリーストだが、自分では見えない分目標の場所がわからないようだった。
「えっと、その逆で……あ、もっと下です」
クルセイダーの誘導も上手いとはいえず、そちらとしてももどかしいものではあった。
じれったくなって手を出してしまったのは、無意識としか言いようがない。
何も考えずに軽く、羽毛のようなゴミを拾い上げるつもりだった指先が、少々目算を誤って髪の毛に触れたのだ。
さらりとした感触に、見た目よりも細いのかと感想を抱いたクルセイダーは、一瞬後に我に返った。
「あ、わ、失礼しました……っ」
瞬時に顔が赤くなってくる。プリーストの方は不思議そうにクルセイダーを見ている。
「……いや」
そうは言われたものの、プリーストはじっとクルセイダーを見たままだ。なんだか居たたまれない気分になって、クルセイダーは慌ててまくし立てた。
「あ、あの、えっと、そのっ! よ、呼ばれたので失礼します……! 申し訳ありません! 埋め合わせは必ずっ」
言うが早いか、脱兎のごとく走り去ってしまった。通りに残ったのは、クルセイダーが落としていった羽毛と、目を瞬かせるプリーストのみである。
どこから呼ばれたんだ、とつっこみたいところではあったが、この場にいないのに言っても仕方がない。
プリーストは軽くため息を吐いたが、それに憂いが含まれていたことを、クルセイダーは知らない。










目の前の青年を紹介するなら、ほとんど一言で足りる。
お人好し、だ。
クルセイダーの青年と差し向かいに座りながら、剣士はそんなことを考えていた。

元から困ったような顔が地顔なのだが、今は本気で困っているようだ。
少年の域をやっと脱したような青年は、浮かない顔で目の前の料理を突っついている。海の幸のパスタは好物だったはずだが、相談の内容が内容なのだろうと、剣士はそれを見ていた。自分は威勢良くにっぱの辛炒めをぱくついている。
イズルードの食堂は、ざわざわと潮騒のようにざわめきに満ちている。
「告白しちゃえばー?」
さらりと剣士が発した言葉に、クルセイダーはぎょっとして彼を見つめた。手には、麺を絡めたままのフォークを持ったままだ。
「ど、どうしてっ」
途端に慌てるクルセイダーを余所に、剣士はことさらゆっくりとパンをちぎって口の中に放り込んだ。どうしてもなにも。
相談があるんですが、とわざわざ昼時を狙ってきただろうクルセイダーは、食堂について食事が運ばれてきても尚、相談を切り出そうとはしなかった。雰囲気から恋愛関係のものではないかと適当にかまをかけたのだが、見事に引っかかったようだ。
「君が俺に相談するようなことって、それぐらいだろ」
職業に関する悩みだとか、戦い方に関することだとかでクルセイダーが人に相談するようなことはない。たまたま剣士転職場で一緒になった時からのつきあいだが、それぐらいは把握していた。
ううー、と左手で水をあおってから、クルセイダーは剣士に向き直った。右手に未だフォークを持っているのを、剣士は見ないふりをしてやる。
「はい……確かに、そういうことで悩んでるんです」
「うんうん」
彼は正直者だ。ついでに少々融通が利かないところがある。
「その、ですね。あの人のことがす……好き、だとは思うんです。しかし、こんなことを言われたら迷惑なのではないかと」
実に彼らしい。剣士は行儀悪くくるくるとフォークを回した。
「でもなあ、君が取る道はそんなにないぜ?」
ぴしりとフォークの先を向けると、それに文句を言うでもなくクルセイダーは目を瞬かせた。
「告白して玉砕するか、その感情を押し隠して元通りに接するか」
「はあ……」
「まあ俺は後者はオススメしないけど? 君、考えてることが態度に出るからなあ」
偉そうに一人頷くと、そうでしょうかとしょんぼりしたクルセイダーの姿が目に映る。顔は大抵困ったような笑顔か焦った顔か真顔なのだが、態度がとにかくわかりやすいのだ。
「告白しちゃえよ、当たって砕けてこいっ」
他人事であるからか、剣士は無責任に煽った。
「あの、一つ聞きたいんですが」
「んー?」
「……失敗が前提なんでしょうか?」
そして困ったように苦笑するクルセイダーの顔を見て、剣士は遠慮無く笑い飛ばしたのだった。

「ごちそうさん」
結局おごってもらった剣士は、少し遅れて出てきたクルセイダーにそう声をかけた。どういたしまして、とやはり礼儀正しい言葉が返ってくる。
「そう難しく考えることでもないぜ?」
「え?」
「恋心、ってのは結局単純なもんなんだからな」
そう言われて、ああ相談のことだったかとクルセイダーはようやく思い当たったらしい。ゆっくりと襟元を押さえるように手を添える。
そこにさがっているものを剣士は知っていたが、何も言わなかった。
「俺は応援してるぜ、一応な」
に、と笑顔を見せると、それじゃあなと片手を上げて剣士は歩き出した。
その背を声が追いかけてくる。
「ありがとうございましたっ」
果たしてクルセイダーの恋は実るのだろうかと剣士は考える。
まあ無理だろうなあと思ったのは、彼にはずっと内緒だ。










クルセイダーは途方に暮れていた。
スタージュエルのかけらを譲り受けに来ただけのはずが、何故かその持ち主にダンスの試験場に放り出されてしまった。試験官だという女性に詳しく話を聞けば、号令と音楽に合わせてパネルを踏むだけだ、という。
そうでもしなければ彼は納得しないのか、とはあとため息を吐いて中央に立つ。リズム感には全く自信がないが、身のこなしだけならそう遅くはない自負がある。
「はい、スタート!」
明るい声が聞こえて、クルセイダーは一歩目を踏み出す。右下、右上、……と指示通りに足を運び、最後の一つ、と思った矢先だった。
急に、指示の声が早口になった。
一体どうやってこんな指示をノンブレスで!?と思うほど、素早くたくさんの指示を飛ばしてくる。一度では聞き取れず、かといって繰り返してくれるわけでもない。完全に頭は混乱していた。
「え、右、ええ?」
混乱は焦りを呼び、焦りは動きのもたつきを連れてくる。
中央から慌てて方向変換した、のがいけなかった。
「っ!?」
足になにか絡まった、と認識する間もなく、クルセイダーはばったりと倒れた。振り返って見てみれば、そこにはくっきりと自分の足跡がついたマントの裾が。
「……う」
慌てて立ち上がる気力もなく、気がつけばどこまでも明るい声が終了の合図を告げていた。


「……ふぅん? なるほどね」
しょぼくれたクルセイダーの前には、健康的に焼けた素足を組んだ姿勢で椅子に座るダンサーがいた。
結局クルセイダーは点数を聞くまでもなく不合格で、このままでは何回やっても変わらないと肩を落としていたところ、友人のローグからこのダンサーを紹介してやる、と持ちかけられたのである。
「少しでいいんです、俺にダンスのコツを教えてください!」
事情を聞いたダンサーに、クルセイダーは頭を下げた。
「コツって一言でいったって、こっちにとっては一大事なのよねぇ……わかる?」
爪先まで美しく整えられた指先が、クルセイダーの髪に触れた。
頭を上げたクルセイダーは、どこまでも真摯に語る。
「……わかってる、つもりです。あなた方が踊りということに誇りを持っていることも。それでも、俺はこのままでは……あまりに、情けなくて」
ぎゅっと拳を握る姿に、褐色のダンサーはそんなに真剣にならなくていいのに、と目を細めた。
「そんな顔しなくたって、教えてあげるわよ、あいつの頼みだし」
「え?」
あまりにあっけなく下された承諾の言葉に、クルセイダーは間の抜けた声を返した。悪戯っぽくウインクしたダンサーの指先は、そのままクルセイダーの額を弾いた。
いっ、と体ごと引いたクルセイダーを追いかけるわけでもなく、ダンサーは静かに立ち上がった。足首に飾られた鈴が、しゃらんと鳴る。
「コツ、というのがあるわけじゃあないのよ」
しゃらん、しゃらん、と二、三ステップを踏む。椅子と最低限の家具しかない、どちらかといえば質素な部屋がステージにすら思えて、クルセイダーは目を瞬かせた。
「あのテストはねぇ、パネルの場所を覚えて、体に動きを覚えさせるのが一番早い」
「……はあ」
「上半身の振り付けがないんだから、楽なもんよ」
ダンサーたる彼女にとってはそうなのだろうが、如何せんクルセイダーは今の段階であの指示の半分も覚えていない。後半など、ほとんどが耳に入っていなかった。
「まあその点は……」
机に向かって歩く彼女の足下からは、鈴の音は止んでいた。自分の意思で鳴らすか鳴らさないかを調節しているのかと、クルセイダーはまた驚きに目を見張る。
戻ってきた彼女の手にある紙を差し出されて、反射的に受け取る。
「あんちょこがあるから、それで覚えてねぇ」
「……ええっ!? い、いいんですかっ」
たった何行かの文章だが、確かにステップの指示だ。これはカンニングかなにかに近いものなのではないだろうかと、クルセイダーは慌てる。
「ダンサーならみんな知ってるわ、初歩的なものだもの」
「はあ……」
今さら突っ返すわけにもいかず、クルセイダーはその紙をじっと見た。覚えられない量ではない、はずだ。たぶん。
「で、その鎧とマントはどう見ても不向きなんだけどー…」
当然だが、クルセイダーの鎧は簡略されているとはいえ重い。おまけに盾は背中にしょっているし、剣は二本も腰にさがっている。そしてマントは、否応なしに体にまとわりついて動きを制限する。
それでも戦いの際には気にもしないでさばいているのだから、いかにクルセイダーにとって今回のダンスという試練が規格外であるかを思わせる。
「みんなそれでやってるわけだし、がんばんなさーい」
「はい……」
ここで預かって貰える、などという都合の良い展開にはならず、クルセイダーは仕方がないかと返事をしたのだった。



さくさく、と砂を踏む音。
たまに躓きそうになると、ざしゅっという音に変わる。
クルセイダーは、砂浜の方が足取られるから練習にはいいわ、とダンサーに追い出されたまま、ここで練習に励んでいたのだった。
まだ右手にあんちょこを持ったままなのは、覚え切れていないからではなく、体を動かしているとどうも次の場所が出てこないからだ。普段戦闘中にどれだけ自分がものを考えていないかを思い知らされる。
人に見られたら恥ずかしいということで、あまり人が通らないような、コモドの隅っこで練習して、一時間ほど経っただろうか。
さくさく、と自分以外の足音が聞こえて、クルセイダーは動きを止めた。慣れないことをしているからか、額には汗が浮かんでいる。
「……何をしている」
「え、わっ!」
聞き慣れた声は後方から聞こえてきて、それに驚いたクルセイダーは急いで振り返ろうとして――綺麗に転んだ。
今度はマントではなく砂に気を取られたのだが、情けないことには代わりはない。
「……何をしている?」
少し呆れを含んだ声で話しかけられ、クルセイダーは心底慌てて立ち上がった。いつの間にか目の前に、密かに焦がれているプリーストが立っていた。
「え、えーと、転びました」
言ってからしまった、と思ったのだが、案の定プリーストは何だそれは、と言わんばかりの目をしている。
「でなくて、その……ダンスの練習、を」
「そうか」
何故、とも転んで情けない、とも言わず、プリーストはじっとクルセイダーを見ている。クルセイダーはなんだかいたたまれなくなって、体の砂を軽く振り払った。
「そちらも、コモドなんて珍しいですね」
「ああ……ウンバラにな」
ポタのメモが消えたりしたんだろうか、とクルセイダーは頭の中で考えて、きっとそうだろうと結論づけた。退魔の術を操るプリーストにとって、ウンバラからしか行けないニブルヘイムは重要な狩り場だ。
「そうですか、気をつけてくださいね」
一緒に行きましょうか、と言いかけたが、ここからウンバラに行くならテレポートを繰り返した方が早いだろう。それに、教えてもらった以上早く試験をクリアしなくては、という気持ちもある。クルセイダーはプリーストの身を案じる言葉をかけるに留まった。
ところが、プリーストはその場から動こうとせず、クルセイダーを見ていた。クルセイダーも動くに動けず、困惑をもってその目を見返す。
「貴様は……」
プリーストが何かを言いかけた、ちょうどその時だった。
ドー…ン……と腹を振るわせる音がして、一際大輪の花火が咲いて、散った。年中花火が上がっているコモドでは有り難みも珍しさもないが、せっかくいいかけた言葉は、そのままプリーストに飲み込まれてしまった。
「え、と」
なんでしょう、と言いかけた、これもまさにその時だ。
「ちょっとー、マシになった?」
これもクルセイダーの後方から、さくさくしゃらしゃらと歩いてくる人が声をかけてきた。クルセイダーが教えを請うた、ダンサーその人だった。
「……あらぁ、ごめんなさい」
困った顔で振り向いたクルセイダーと、その後ろのプリーストを見て、ダンサーは呑気にお邪魔だったかしら、と呟いた。
「いや」
真っ先に否定したプリーストは、ではな、とクルセイダーに一言残すと、また砂の上を歩いてあっという間に去っていってしまった。
クルセイダーは、はい、と辛うじて返したものの、その後ろ姿を呆然と見送るしかできない。
あらあら?と、ダンサーはどこか楽しそうだった。
「もしかして、振られちゃったの?」
それは事実ではなかったから、クルセイダーは首を振った。
「いいえ……そういうのじゃ、ないです」
「そう」
ダンサーはそれ以上は突っ込んでこなかった。
プリーストが何を言いたかったのかと考えると、今まで覚えたステップが全部抜けていきそうで、クルセイダーは考えるのを止めた。
試験が終わったら、それこそこのことで頭がいっぱいになるのだろうな、と半ば自嘲的に確信はしていたが。




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