協奏曲


「こんばんは」
月の無い夜のことだ。
今日も適当に狩りを終え、宿への道を歩いていたロードナイトは、行く手に佇む人影を見つけて足を止めた。ぼんやりとしたシルエットが白いのは、相手がクラウンの装束を身につけているからだけではない。
白々と輝く到達者の証、オーラが身の内からほとばしっていたからだ。
「……こんばんは」
警戒しながらも、ロードナイトは大人しく挨拶を返した。
はっきり言って知らない相手であるし、まっとうな人間にも見えなかったが、なるべく火種に油を注ぐような真似はしたくないのだ。器用に人とのぶつかり合いを避けて、今までも生きてきた。
「突然ですが、私の英雄になってくださいませんか?」
「……はあ?」
突然どころの話ではない。
優雅なお辞儀をしたクラウンは、目を丸くしたロードナイトを見ても張り付いたような笑みを崩しはしなかった。
「サーガを聞いたことはおありで?」
どこから取り出したのか、あるいは初めから持っていたのか、クラウンはバイオリンを構えた。
「あるけど」
きゅい、と弦の上を弓が滑った。
ここで演奏するのは近所迷惑になることをわかっているのか、それ以上はクラウンも弓を進めない。
「物語というのは……自然にできるものではなく、我々が作り出していくものなのですよ」
「さいでっか」
妙な奴に捕まったな、としかロードナイトは思わなかった。
春先になると変な人が増えると言い出したのは誰だったか知らないが、なかなか言い得て妙だと思わせる。ロードナイトとて、伊達に転生までして生きているわけではないから、人生経験は足りない方ではない。
「ところが、昨今はみな自分だけの物語を持っていて、私の求める英雄はいない」
すっと弓を振り上げる。その動作の一つ一つ、指先からつま先に至るまで神経が張り巡らされている。人に見られることに慣れている人間だ、とロードナイトは気がついていた。
「そこで……選ばれた素材が、貴方というわけですよ」
流石に弓で指すような真似はしなかったが、そう言われて良い気分はしなかった。
「俺は素材か」
「その通り」
少々むっとして言ったことにも、クラウンは飄々と言葉を返す。
文字通り、歌うように。
「恋人もおらず、さしたる目標もなく、守るべきものもなく……ここまで無気力に転生した人間は、そうはいませんよ」
放っておいてくれ、と口の中だけでロードナイトは呟いた。
しかし、クラウンの言った通りなあたりがまた腹立たしい。
ギルドに所属することもなく、ただ適当に流されて生きてきたら、いつの間にか転生していた。いや、転生という事実には確たる自分の意思が混在していたのだから、そこまで適当というわけでもないのだろうが。
「一から教え込むというのはいささか手間がかかります。貴方が最も私の理想に相応しい」
手放しで誉められても、全く誉められている気がしないのはロードナイトの気のせいではあるまい。
だが、どうせここまで流されて生きてきたのだ。
ここで新しい流れに乗ったところで、誰が彼を責められるだろう。
何故乗りたくなったのかと聞かれれば、この濃密な夜にあてられたとしかいえないが。
「……俺は何をするんだ?」
心の動きを垣間見たのか、クラウンは口元の笑みを深くした。
「なにも。ただ、そのままで」
後は私が物語を作ります、となんでもないことのようにクラウンは言う。
「あんたは、俺に何をしてくれる?」
その言葉を聞いて、ふっとクラウンはロードナイトの足下に跪いた。バイオリンは、今度こそクラウンの両手から姿を消していた。どうやったのかと聞く気にもなれず、ただロードナイトは彼を見下ろした。
「歌えと言われれば、この喉が枯れるまで。
 戦えと言われれば、この腕が折れるまで。
 ……お望みならば、伽の相手でも」
そう、クラウンは謳った。
そのどれもが偽りで、そのどれもが真であるかのような、食えない抑揚で。
如何ですか、とクラウンがロードナイトを見上げる。
――貴方の奴隷になりましょう。
その瞳は、そう語っているように彼には思えた。
「……一つだけ」
断る気力がないのは、良かったのか悪かったのか。
もしくはこの夜そのものが夢なのか、最早ロードナイトにはわからなかった。
ただただ、このクラウンに飲み込まれていた。
「何故そこまでして、英雄を望む?」
本当は、それならばもっといい素材はいくらでも転がっているはずだ。
クラウンの本音の一端を覗いてみたかった。
弾かれたように、クラウンは立ち上がった。
瞬間消えた笑みを、瞬く間に取り戻して。
「私よりも、ずっと芸術の神に愛された男がいます」
その目に深い淵を見つけて、ロードナイトは初めて笑みを浮かべた。
クラウンも歪んでいるが、それはロードナイトとて同じことなのだ。
「二回、冒険者の到達点に達しても……依然、私は彼には勝てない」
淡い燐光が立ち上る。
「それが、理由の一つですよ」
そう言って、クラウンはそのほっそりとした指を自らの唇に当てた。
これ以上は言わない、のサインなのか、内緒ですよ、というニュアンスだったのか、ロードナイトにはわからない。
何の変哲もない夜が、忘れられない夜へと変化した瞬間だった。



End.



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