アマツへ行こう!
「なーなー、アマツ行こうぜ!」
しばらく姿を見せなかったシーフの第一声はそれだった。
「……は?」
昼食の邪魔をされた逆毛の剣士は、眉根を寄せてそれだけを返した。
「いやだからさあ、アマツへの航路が解放されただろ? 観光行こうぜ、観光」
断りもなく向かいの席に座ると、テーブルに並べられた料理に手をつけようとする。
「自分で食うもんは自分で頼め」
ずりずりと剣士が皿を自分の方へ寄せると、彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「えー、いいじゃん」
「よくないって……」
呆れた顔で手を振る剣士に、シーフはぐっと顔を近づけた。
「アマツへの旅費は俺が持つからさ!」
言葉と同時に、じゃりっと音を立てて小袋が置かれる。
剣士が中を確認してみると、小銭ばかりだか確かに大金が入っていた。
「どうしたんだ、こんな金」
「だから、旅費。一人10kだっつーから、20k貯めた」
「そうか、じゃあこれはありがたく」
懐に入れようとするのをシーフに慌てて止められた。
「くれるんだろ?」
掴まれた腕をそのままに、小袋も返さず問うと、案の定シーフは顔を真っ赤にして反論してきた。
「ちーがーうっ! これは船賃なの、お前にやるもんじゃない!」
「何だ残念」
ぱっと手を放すと、小袋はテーブルの上にくずれ落ちた。
それを慌てて拾い上げ、しっかりと抱えながらシーフは恨めしそうな目で剣士を見た。
「……やっぱりお前に現金見せるんじゃなかった」
「わかってるならやるなよ」
至極もっともなことをいいながらも、彼はシーフの方に皿を一枚押しやってやった。
たちまち顔を輝かせるシーフには、それがはずれでまずい料理だったことは教えてやらなかったが。
「つーか、観光なら姐さん誘うもんじゃないのか?」
自分は後から注文した温かく且つ美味い料理を食いながら尋ねると、幸せそうに料理に手をつけていたシーフの顔が曇った。
特に料理に文句を言わない所から見て、よっぽど腹が減っていたのだろうか。
さほど味オンチというわけでもなかったはずだが。
「最初はそのつもりだった。でも姐さんさあ、『客につきあって飽きるほど行った』って……。
露店の客と行くぐらいなら俺と行ってくれたっていいのに」
せっかく金貯めたのにとぐちぐち言いながら、器用にも手は口に食べ物を運んでいる。
アマツの航路が一般にも開放されてからしばらくたち、今では神秘の国とまで噂された『泉水の国アマツ』の
過大評価はなくなっている。船旅に少々危険が伴うため運賃は高かったが、聖職者達が赴いた際にその場所を記憶し、
俗にポタ屋と呼ばれる者たちに送ってもらう者も多かったため、異国の地に降り立った人間は結構な数に上る。
ぼちぼち観光の熱も落ち着き、彼の地も静けさを取り戻しているころではなかろうか。
「じゃあ一人で行ったらどうだ?」
付け合わせの揚げられた芋をかじりながら言うと、シーフにじっとりと睨まれた。
「一人で観光に行って何が楽しいんだよお……」
そういうものらしい。
実際剣士も、一人ではあまり行く気が起きないのは確かだと認めてはいたが。
「大体、確かに最初は姉御誘ったけど、今俺が一緒に行きたいのはお前なの」
「はいはい、つきあってやるよ」
いい加減にからかうのも飽きたのかおざなりに返事しただけだったが、それでもシーフは喜んだ。
「マジ!? よっしゃあ、これで蛍ちゃんに会える!」
小さくガッツポーズなどをとっている所からして、よっぽど嬉しかったのだろうか。
しかし剣士の耳に引っかかったのは、『蛍ちゃん』という名前だった。
「誰だ、それ」
「え? 蛍ちゃんのこと知らねーの?」
しかたねーなー全く、と言いながら懐を探るシーフの顔はだらしなくやにさがっている。
「この子! ミス・アマツらしいんだけど、このキモノとか髪型がいいんだなー」
にやにや笑いながら差し出したブロマイドには、控えめに笑みを浮かべている可愛らしい女性の姿があった。
「……かわいいな」
「だろだろー? 早く本物に会ってみたいなー」
わくわくと明後日の方向に思いを巡らすシーフを見るとはなしに眺めていたのだが、ふとあることに気が付いた。
シワが寄らないように丁寧に持っていたブロマイドをもう一度見てからシーフに話しかける。
「なあ、なんでこんな絵が出回ってるんだ?」
「需要があれば供給もあるんだってさー」
「……誰から買った」
「姉御」
あっさりと答えたシーフに、剣士はがっくりと肩を落とした。
何から何まで見透かされているようなシーフが哀れになったのもある。
馬鹿な子ほどかわいい、とはよく言ったものである。
食事を終え、約束通り剣士の払いで店を出て二三歩歩くと、シーフが途端に暗い顔になった。
「……言っちゃ悪いけどあの料理、まずかった」
どよーんと黒い雲を背負っているように言った彼の姿にこらえきれず、剣士は大きな声で笑った。
元々冒険者という職業柄、行こうと思えばいつでも何処へでも行けてしまう。
思い立ったが吉日の言葉通り、彼らがアマツの地へ降り立ったのはその日の午後だった。
魔術と船大工の技術の粋を集めて作られた船は海の荒れにも耐えられ、素早く運行できるようになっている。
まさしく快速、という早さで到着したことにシーフは大満足だった。
剣士の顔色が少々青いことなど気にも止めていないように見える。
客は自分たちだけだったようで、周りに人の姿はあまりない。
地元の住人が着物やそれに類する物を身につけて歩いているので、彼らの服装は素敵に浮いていた。
「アマツへようこそいらっしゃいました」
穏やかな、それでいて張りがある声にそちらを向くと、そこには着物に草履を身につけ、髪を一つにまとめた女性が立っていた。
「こちらが地図となっておりますので、どうぞお使い下さい」
「あっ、ありがとうございます! ところで失礼ですが、あなたはもしかして蛍さんですか?」
地図をシーフと剣士に渡した女性は、一瞬驚いたように目を見開いてから柔らかく笑った。
「はい、私13代目ミス・アマツに選ばれました蛍と申します。皆様方の案内をさせていただいております」
何かわからないことがあったらお申し付け下さい、と言われてシーフもまた嬉しそうに笑った。
決して、先程ブロマイドを見ていた時の笑顔ではない。
「早速ですが、道具屋がどこにあるか尋ねても?」
「道具屋はこちらになります。赤い垂れ幕が目印ですよ」
「ご丁寧にどうも」
普段の彼を知る者なら、誰もがこの変わりように目を見張っただろう。
しかし、彼は根本的に女性に弱く、特に丁寧な言動をされれば丁寧で返してしまう癖があった。
そのことを知っている剣士は動揺した様子もなくシーフの横に並んだ。
「それでは、あなたご推薦の観光スポットはありますか?」
こちらもたいした変わりっぷりである。
「そうですね……北の池や桜もすばらしいですが、やはり一度はご城主様に挨拶された方がよろしいかと」
「城主様?」
「この里をこんなに立派にしてくださった恩人です。お城の様子も、異国の方は面白く拝見されるようですが」
「では、後で挨拶に伺うとします」
ふっと剣士が表情をゆるめて笑うと、つられたように彼女の笑顔が深くなる。
ほんのりと頬にのせられた紅も、これこそが桜色という薄いピンクの口紅も、控えめな仕草や口調も普段接しないものだった。
「長々とすいません、せめてものお詫びにこれを」
そう言ってシーフが彼女に渡したのは、赤と白の包み紙に包まれたキャンディだった。
二つ三つと、彼女の白く華奢な手にのせる。
「そんな、こんな事をしていただくわけには」
「お礼ですから、お気になさらずに」
「もらってやってください、そうでもないとこいつが浮かばれませんから」
こん、と軽く肘で小突いた裏側には、お前ばっかりずるいという感情がなかったとは言えない。
浮かばれないってなんだよ、と冗談のように返した目に、早い者勝ちだという思いがこもっていないとは言い切れない。
二人の様子と手の上の菓子とを困った顔で見つめていた彼女はおずおずと口を開いた。
「その……本当に頂いてもよろしいんですか?」
『もちろんです』
二人揃って力を込めて言われて、彼女は思わず少しだけ後ずさった。
「では、ありがたく頂戴します……あ、そうそう、お城では冒険者の方のための部屋も用意されてますから、
そちらにお泊まりになられては?」
「そうしますよ」
「重ね重ねありがとうございます」
軽く頭を下げると、彼女の方でも会釈を返した。
彼らは渡された地図を見るふりをしながら、彼女から遠ざかっていった。
「……かわいかったな」
「ああ、声もよかったし……ゾウリ? あの履き物が楚々としてていい」
「変態って呼んでいいか」
「うるさいこの猫かぶり」
「お前にだけは言われたくない」
いつものように半ば漫才のようなやりとりをしながらも、二人の目は笑っていた。
単純に女の子と話して心が潤っただけという説もあるが。
「んじゃ俺、その辺一回りしてくっから。また後で会おうぜ」
ちゃきっと手を上げながらシーフが言った言葉に、剣士は少し目を丸くした。
「一人で観光は嫌だったんじゃないのか?」
「見たいとことか違うだろ。あ、城は一緒に見に行こうな。んで、夕飯前に道具屋の前で集合」
「まあ、いいけど」
珍しくてきぱきと段取りを決めるシーフに驚いて気の抜けた返事をする。
と、いきなり彼の目が鋭くなった。
「美味いもんとかかわいい子いたら連絡くれよ!」
「……ぜってーしない。一人で楽しむ」
呆れたように返してやれば、シーフは快活に笑った。
「また後でなー」
言って手を振るが早いか、すぐに彼は走り出していた。
取り残された格好になる剣士は頬を軽く掻いて地面を見つめている。
「慣れない事しやがって」
一人で気ままに見て回りたい、というのももちろんあっただろうが、微妙に具合が悪そうにしていた剣士を
彼なりに気づかったのだろう。
とりあえず緑ポーションでも飲んでみるかと、彼は近くの道具屋へと入っていった。
つづく
もうしばらくお待ち下さい。
小説へ