信用
こんな事になったのは、ひとえに自分の不注意のせいだと彼はぼんやりと考えていた。
尤も、のんびりと思考にふけっていられる状態ではなかったのだが。
とはいえ、そんなに彼に責任があるわけではない。
ただ単に、ペコペコという名の大きな鳥の群れに踏み込んだあげく、足下にあった卵を気づかずに
蹴っ飛ばしてしまっただけだった。
訂正する。
剣士として、否、冒険者として注意が足りなかったかもしれない。
いつもならそのまま落ち込んでしまう彼だが、今回は悠長に落ち込んでいる暇などなかった。
怒った鳥たちが一斉に襲いかかってきたからである。
元々仲間意識が強い彼らは、仲間が一羽でも攻撃されると助けようと寄ってくる。
卵は砂漠などに放置されていることが多いためそうは反応しないと思っていたが、甘かったらしい。
しかし彼が責任を感じる最たる理由は、自分のパートナーを巻き込んでしまったことだった。
正面に立つ鳥を土に還し、彼は戦況を把握しようと視線を巡らせた。
鳥の数は大分減り、残りは自分の前に数匹。
少し離れた所で、アコライトが二匹を相手にしてくれている。
ヒールがあり、ある程度の戦闘はこなせるとはいえ、やはり心配なものは心配だった。
人が傷つくのを見るくらいなら、自分が傷つく方が何倍もマシだと剣士は思っている。
アコライトに言ったら怒られそうなので、言ったことはないが。
ごすっ、と鈍い音がして、脇腹に痛みが走った。
鳥がそのくちばしでつついてきたのだ。
小さな鳥につつかれてもあまり痛くはないが、ペコペコは騎士の乗り物にも使われる大きな鳥だ。
その威力は、幼鳥とは比べものにならない。
そしてこの鳥の攻撃のやっかいなところは、体の中に影響があることだった。
傷口から肉が見えることはないが、ただの打撲とは違う。
内蔵に影響を与えるのだ、と昔習った記憶がある。
目に見える傷なら応急処置さえすれば何とかなるのだが、
体の中となると回復薬を使用した方が良いだろう。
ちょうど、大分疲れてきた所だった。
左側から突進してきた鳥のくちばしに盾をぶつけてひるませ、右の鳥を斬ってから、
彼は素早く赤ポーションを取り出した。
盾を一旦放し、左手で器用にビンの蓋を開ける。
そのまま一息に赤い液体を飲み干した。
唇の端から、飲みきれなかった赤い雫が顎へと伝っていく。
それを気にすることもなく、ビンを捨てた剣士は次の鳥に向かっていった。
最後の一匹の息の根を止めると、息をつく間もなく剣士はアコライトの方を見る。
彼もちょうど、新たに寄ってきたらしい三匹目にとどめを刺す所だった。
彼の握っている鈍器が鳥の頭に振り下ろされるのを確認しつつ、剣士は彼の近くまで走っていった。
「無事ですか!?」
アコライトは軽く息を乱していたが、これといって目立った外傷もない。
ヒールを併用していたらしく、顔色も悪くないのを見て剣士はほっとした。
「さっきはすいませんでした。この辺りのペコペコには手を出さないようにと思ってたのに……」
深々と頭を下げる。
そんな剣士に、アコライトは笑って手を振った。
「気にしなくて良いよ。二人とも無事だったんだし……。
そうだ、君こそ大丈夫? 怪我とかしてない?」
自分を気遣ってくれるアコライトに軽く笑みを返しながら、彼は言う。
「はい、大丈夫です」
「そう?」
何処かいぶかしげなアコライトの表情には気づかないままで、彼は鳥たちの死骸に向き直った。
手を合わせて目を閉じ、しばし黙祷をささげる。
魔物が忌むべき相手であり、人間の敵だとしても、彼らのために祈ることぐらいは――
せめて、死んでいったものたちのために祈ることぐらいは許されるだろうか。
彼らにも生活があり、家族がある。
その命を絶つことは、決して軽いことではない。
と、突然アコライトが剣士に抱きついてきた。
後ろから覆い被さるように、軽く彼の背中に体重をかけている。
何事かと、剣士は祈りを止め彼を振り仰ごうとした。
アコライトの方が少しばかり背が高いため、どうしてもそうなってしまうのだ。
彼の方が年上であるとはいえ、ちょっぴり複雑な気分がする剣士だった。
「どうし――」
右後方に顔を向けた剣士は、唇の端をなめられて固まった。
我に返って離れようとするが、剣士の体を押さえた彼の腕はぴくとも動かない。
「な、何」
「……薬の味がする」
慌てて聞こうとした言葉は、常にない不機嫌そうな声に阻まれて口の中で消える。
「赤ポ、飲んだんだ?」
その時ようやく剣士は、彼がポーション類を好まないことを思い出していた。
ちなみに赤ポとは、赤ポーションの略称である。
「え、えっと、その」
「私といる時は回復はまかせてね、って言ったでしょ」
普段より少し低い声の、淡々とした口調が恐い。
先程顔を背けてしまったため、彼の表情を確認することもできない。
戦闘でかいた汗がひいて、背中が冷たかった。
「でも、め、迷惑かけちゃ悪いかなって……」
はあ、とため息が聞こえた。
ちょうど首筋にかかる。
「あのねえ」
ぎゅっ、と腕にさらに力がこもる。
「私の職業を何だと思ってる?」
「アコライト、です」
それにしては言ってることとやってることと能力の鍛え方が変ですけど、
という言葉を口にするのはやめておいた。
剣士にもそれくらいの学習能力はあるらしい。
後ろで大きく頷く気配がした。
「私の仕事はね、君が怪我しないようにすることと、傷が残らないように治すことなんだよ。
私の仕事を取り上げたいの?」
剣士は違う、と言いたげに首を横に振った。
「……そんなんじゃありません。
でも、ぼくはそこまでして貰って良いのか、たまに分からなくなります」
「どうして」
少しの間ためらって、無言の重圧に背を押されるように剣士は口を開いた。
「貴方が好きだから」
押し出された声は、少し震えていた。
その答えを意外に思い、アコライトは目を瞬かせた。
「だから……あんまり頼っちゃいけないって。貴方の迷惑になって、嫌われるのが恐いから」
依存しすぎてはいけないのだ、重荷にはなりたくないから。
自分の足で歩いていなければ、いずれ来る別離に耐えきれないから。
相手に顔は見えないと分かっていても、剣士の視線は自然と下を向いていた。
「……ばかだなあ」
少しの沈黙の後、口火を切ったのはアコライトだった。
ばか、とはっきり言われた剣士はますます視線を落とす。
「まあ、そんなところも愛しいんだけど」
その言葉に剣士は目を丸くした。
「私は君を選んだんだよ」
そう言って彼は柔らかく笑う。
「他の誰でもなく、君を。
君が私を好きと思ってくれているのよりももっと、私は君が好きなんだ」
ゆっくり紡がれる愛の言葉を聞いて、剣士は顔を赤く染める。
アコライトは右手で、剣士の前髪を軽く押さえた。
手袋は冷たい彼の体温を伝えてはくれなかったが、それはどこか暖かいように感じた。
「大好きだよ。もっと自信を持っていいんだ。私が好きな君は、世界に一人しかいないんだから」
その優しい声が、剣士は好きだった。
いつも自分を彼の傍らまで引き上げてくれる、その声が。
こみ上げてくる感情は言葉にならず、頷くことで了解の意を伝える。
「だから、もっと私を信用して」
ぽん、ぽん、と一定のリズムで剣士の額を叩く。
「十二分に、信じてますよ」
「それじゃあ足りないなあ」
「な……」
する、と洋服の裾から冷たい手が入ってきた。
とたんに、剣士の体がびくりとはねる。
いつの間に手袋を取ったのか、肌の上を滑る手はいつもと変わらない感触だ。
「や、やめ」
逃れようと身をよじっても、額にあった右手が下におりてきていて動きを阻む。
抗議の声にも耳を貸さず、手は変わらず服と肌の間を動き回っている。
「信じてます! もー力一杯心の底から信用してますから、
……手を……」
「うん」
そうだね、と返事はしたものの、手はだんだん上の方へ上がってきている。
ここが屋外でかつ昼日中であるという状況が、剣士にとんでもない一言を口走らせた。
「っ、後でなんでもしますから、放してくださ……!」
「え」
「あ」
自分の失言に気づいて口を押さえるが、すでに遅かった。
時は戻らず、放った言葉は帰ってこない。
自分の言葉を反芻して剣士が青くなっている横で、アコライトはあっけにとられていた。
が、すぐにその手を放した。
「あ、あのう……」
おそるおそる剣士が口を開くと、彼はにっこりと笑ってこう言った。
「後で、か。今夜、楽しみにしてるね」
耳元でぼそりと呟き、おまけに剣士の耳に軽く息を吹きかけた。
「!!」
一気に赤くなる剣士を余所に、アコライトはぶつぶつと独り言を言っている。
「さっき信じてくれてなかった借りもあるし……何より君から言い出したことだし。
うん、楽しみだなあ」
「ちょ、えと、あの」
「なに?」
振り返った彼と目が合う。
いつもの笑顔で、いつもの目だ。
それでも、それに逆らってはいけないことを剣士は教え込まれていた。
「何でもないです……」
目をそらしてそう言うのが精一杯だった。
上機嫌のアコライトと、非道く落ち込んだ剣士は、深い森の奥に姿を消した。
End.
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