酒
その夜、剣士は剣の手入れをしていた。
食事もすませて部屋に戻り、アコライトは風呂に行っている。
剣士はいつもその時間を利用して剣や防具の手入れをしているのだ。
よく働いてくれている己の武具を、実に嬉しそうに扱っている。
手入れといっても精錬された剣は軽く布で拭くだけで鋼の光沢を取り戻す。
留め金の部分や鍔の状態、刃こぼれはないかなどを点検していく。
それを一通りすませると防具の点検に移る。
緩みはないか、切れている所はないかなどをじっくりと見ていく。
剣士には普段からの装備の点検も戦いの一種なのだ。
全ての作業を終えた剣士は満足そうに息を吐いた。
明日つけられるよう、部屋の脇に並べて置いておく。
ただし剣だけは何があっても対応できるようにと枕元に立てかけておいた。
やることが無くなってしまった剣士は、ベッドの上に座った。
彼は結構長風呂で、一度入ったらしばらくは出てこない。
鎧を取り払った部屋着だけでぼうっとしていたものの、すぐに飽きてしまった。
もう一度剣の手入れでもしようかと手を伸ばした時、剣士はベッド脇のテーブルの上に見慣れないものを見つけた。
「……?」
不思議に思い、手にとって眺めてみる。
首のところが細く長い素焼きの瓶で、胴体は丸くなっている。
耳元で軽く振ってみると、ちゃぷ、と水音がした。
「なんだろう」
剣士のものでないのなら、アコライトのものなのだろう。
興味がわいてきて、コルクの栓を抜いた。
匂いをかいでみると、かすかに甘い。
「一口ぐらいなら、いいかな」
部屋に誰もいないのは分かっているが、何となく辺りをきょろきょろと見渡す。
どきどきしながら、彼はその瓶に口を付けた。
「ただいまー、遅くなってご……!?」
ドアを開けたとたん誰かに押し倒されて、アコライトはしりもちをついた。
全く予想していなかったことであり、思いっきり尻を打ってしまった。
「いたた……って、どうしたの?」
「わーい、お帰りなさい」
アコライトに抱きついてきたのは剣士だった。
その姿を確認して彼は眉をひそめる。
常の彼ならば、こんな事は絶対にしてこないだろう。
そういえば、いつもよりずいぶんと顔が紅潮している。
その疑問は剣士の手に握られているものを見て氷解した。
「ちょっと、それ渡してくれない?」
「うん、どーぞ」
はい、と元気に渡してくる姿は普段より幼く、無邪気だ。
アコライトはどうにか自分を抑え込むと、その瓶を確認した。
見覚えのある瓶だが、中には何も入っていない。
「やっぱり」
思わず漏れたため息まで押さえることはできなかった。
宿に帰ってくる前にこっそり買った上級の果実酒で、風呂上がりにでも飲もうと思っていたものだ。
「ちょっと楽しみにしてたんだけどな……」
なんとなく寂しげに彼が呟くと、目の前の剣士の顔が泣き出しそうに歪んだ。
「ごめんなさい、怒った?」
ぎゅっと抱きついてくる。
「怒ってないよ。ほら、泣かないで」
涙声になった言葉に、アコライトは優しく返してやった。
その言葉を聞いて剣士が顔を上げる。
目の端からこぼれ落ちた涙を、アコライトはそっと拭う。
みるみるうちに剣士の顔に笑いが戻った。
「えへへ、だいすき」
「……もう一回言って?」
「大好き!」
いつもなら滅多に口にしてくれない言葉を、強要せずとも聞けるというのは気分がいい。
このまま押し倒してやろうかと思ったが、あまりにも犯罪行為のようで気が引ける。
嫌がってはいなくとも子供のような言動の彼に触れるのは少々勇気がいった。
アコライトが黙ってしまったのに気が付いて、剣士が小首を傾げる。
子供のころはこんな感じだったのかと少しばかり彼の子供時代に思いを馳せてみる。
理性を保つための行動だったのだが、剣士は無視されていると思ったらしくアコライトのそばからどいてしまった。
そのまま部屋の奥へと進もうとしたが、いかんせん酒は平衡感覚を失わせる。
ぐらりと上体が傾いたかと思うと、そのまま床に倒れ込んでしまった。
「大丈夫!?」
慌ててアコライトが駆け寄ると、剣士は寝ていた。
「…………」
半分安心して半分呆れ、彼は剣士を抱き上げた。
剣士にしては少々細身の彼を運ぶことぐらいアコライトにとってはたやすいことだ。
ベッドに横たえると、自らもその横に滑り込んだ。
自分が移動したことにも気づかずに剣士は眠りこけている。
酒を飲ませたことはなかったが、予想以上に弱いようだ。
ならば、近頃開発された身体能力を引き出すポーションを飲ませたらどうなるだろうとアコライトに悪戯心が沸いてくる。
しばらくたったら試してみようと考え、眠るために目をつぶった。
剣士がなにやら身じろぎしているのを感じてうっすら目を開けると、どんな夢を見ているのか楽しそうに微笑んでいる。
彼が小さく寝言を漏らした。
それを聞いて、アコライトも笑みを深くする。
夢の中でも囁かれる自分の名前に満足して、アコライトは眠りについた。
剣士は目が覚めた後、しばらく呆然としていた。
昨日の夜の記憶が、いっさい無いのだ。
覚えているのは武具の手入れをしたところまでだし、理不尽な頭の痛みにも悩まされていた。
原因不明の頭痛は、いつものそれとは少し違っている気がする。
悩んでいたところに、井戸へ行っていたアコライトが帰ってきた。
「おはよう、調子はどう?」
「……頭がものすごく痛いんですけど」
「そりゃあそうかもね」
その口調に、剣士は彼なら正しい答えを教えてくれると確信した。
というか、彼が知らなくて誰が知っているというのだろう。
「あ、あの」
「ん?」
「昨日、ぼく何をしました……?」
おそるおそる聞いてみると、彼はわずかに頬を染めた。
あり得ない反応を見て、剣士が固まる。
「君があんなに積極的だったなんて知らなかったよ……。本当に覚えてないの?」
全く覚えてませんというか本当に何したんですか自分。
頭の中を言葉の羅列だけが過ぎていく。
「今晩、おさらいしてみようか?」
ね、と問いかけられても、迂闊には答えられない。
本当に。
「本当に、何があったんですかーっ!?」
剣士の問いを、アコライトは笑顔でかわす。
こうして、剣士の初めての飲酒体験は一応の終わりを迎えたのだった。
End.
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