貴方に祈りを


      彼には主人が二人いる。
      一人は、彼を救ってくれた剣士らしからぬ剣士。
      一人は、彼の実質的な主人であるアコライト。
      彼の名はぽち、由緒正しきデザートウルフの子である。

      「ぽちー、ご飯だよー」
      肌寒くなり、野宿がきつくなってきた季節だったが、昼飯は外でとることにしたらしい。
      といっても火をおこすわけではなく、剣士とアコライトは今朝宿で包んでもらった弁当を開こうとしている。
      ぽちの前には丁寧に割かれたペットフードが置かれた。
      子どもとはいえデザートウルフの端くれである彼の牙と爪は鋭く、そのような心遣いは無用のものと思えるのだが
      剣士はそうは思わないらしい。
      よほど急いでいる時でもない限りこうして小さくした餌を彼に与えてくれる。
      そのたびに『甘やかすな』とアコライトから小言をもらっているのだが。
      はふはふと餌を食べながらも、彼は二人の会話に耳を澄ませ、横目でその様子をうかがう。
      「そういえば、もうすぐクリスマスですね」
      「ああ、もうそんな時期だっけ」
      甘辛く煮付けたピッキの肉を挟んだサンドイッチを食べていた剣士の口元に飴色のたれが付いている。
      彼が口からサンドイッチを離した隙に、アコライトの指先がそれをぬぐい取った。
      剣士は驚きに少々赤面しつつも、ありがとうございますと小さな声で言った。
      風は冷たいはずだった。
      だのに、ここだけ妙に暑い気がするのは彼の勘違いだろうか?
      いや、口でやられなかっただけマシだと犬には似合わぬ遠い目で彼は虚空を眺めた。
      彼らに拾われて早数ヶ月、二人のそーいう行動は見慣れてはいたが、直視したいものではない。
      大体、見ていることがばれるとアコライトの無言の圧力がかかってくるのだから恐ろしい。
      人の恋路を邪魔する者はなんとやら、だ。
      「雪とか降らないんですかねえ」
      「見たかったらルティエにでも行く?」
      この大陸で雪が降るところは少ない。
      少ないというか、目下ルティエ近辺でしか降らない。
      その辺りのことは様々な学者が研究しているらしいが、そのようなことに興味がない一般人からすれば
      『ルティエに行けば雪が見える』で終わっている。
      「そういうんじゃなくて……大体、寒いの嫌いじゃないですか」
      くすりと笑ってミルクを口に含む。
      誰が、と言う必要はなかったようだ。
      「嫌いってほどでもないよ、君が暖めてくれれば」
      「ぶっ!」
      ごく自然に言われて、剣士はミルクを吹き出しそうになった。
      しかしそうすまいとこらえたため喉の奥に液体が入ってしまったのだろう、激しく咳き込み出す。
      「ちょっと、大丈夫!?」
      素早く弁当を地面に置いて彼の横に座る姿は流石だ、とぽちは変なところで感心していた。
      優しく背中をさすっていたアコライトの手が、咳が収まってきた所でぴたりと止まった。
      よほど苦しかったのか両目にはうっすら涙が浮かび、口の端からは嚥下しきれなかった白い液体が一筋流れ落ちる。
      ぐいとそれを拭う仕草さえ、そういう目で見ればそういう風に見えるものだ。
      「はあ、びっくりした……って、どうかしました?」
      背中を丸めていたために下からのぞきこむように見つめられて、アコライトはためらうことなくその唇に口付けた。
      「…………!」
      頭と背中を固定されて逃げ出せず、せめてもの抵抗にと腕をばたつかせるが全く意味を成していない。
      次第に深くなるそれに思考も抵抗も何もかも奪われそうになって。
      いつの間にか地面に押し倒されていたことにも気づかなかった。
      唇が離れた瞬間に大きく息をする剣士を見下ろす格好でアコライトは小さく、
      「ミルクの味がする」
      とおっしゃった。
      「なっ」
      頬が面白いように赤く染まる。
      何も言えずに口だけを動かしていると、楽しくてたまらないという口調で耳元にささやきかける。
      「君は本当に私を誘うのが上手いよ」
      わざとトーンを落とした声で言えば相手が何も返せなくなるのはわかっている。
      耳の少し上の髪をいじくれば小さく体がはねた。
      「さ、誘ってなんかいません」
      とりあえず落とされた言葉に反応するだけの余力は残っていたのか、目をそらして剣士が言う。
      はっきり言って逆効果だと彼は気づいているだろうか。
      いいや気づいていない、と本日二度目の反語を用いながらぽちは立ち上がった。
      ああなったアコライトに手がつけられないのは嫌と言うほど熟知している。
      剣士が本気で泣いて嫌がれば五回に一回ぐらいは止めることもあるのだが。
      幸いにもこの辺りの魔物は闘争本能も低く、最近巷を騒がせている偽サンタや帽子をかぶったポリンの姿も見あたらない。
      人が来ることはまず無いだろうと判断して、二人から離れた位置まで移動する。
      背後から聞こえてくる声は聞こえない、というように丸くなる。
      ごめんよと心の中で剣士に謝罪しつつも、アコライトに逆らえないのはもはや本能だ。
      後は二人が風邪を引かないのを願うばかり。



      一眠りしたぽちが目を覚ましてみると、二人は元の位置に座っていた。
      とことこと近寄ると、剣士にどこか恨めしそうな、それでいて気の毒そうな目で見られた。
      頬の赤みは引いていないが、さほど時間も経っていないことから本番は夜、になったのだろう。
      その割にはアコライトが妙にご機嫌なのが気になるが。
      「で、どうするの? ルティエに行きたいんならそれでもいいよ」
      「いえ、結構です……」
      それに、今行っても混んでますよとため息混じりに付け足す。
      声に疲労がにじんでいるのは気のせいだと思いたい。
      「そういう、普段から雪がある所じゃなくて」
      「うん」
      「こことか首都とかの場所に雪が降って積もったら、いつもと全く違った場所みたいに思えるかなって」

      ――それがクリスマスだったら、尚更。

      そう言った彼の笑みは、まるで淡雪のようだった。
      それに気づかないふりをしたままアコライトも答える。
      「そうだね。クリスマスは恋人達にとって大切なものだし」
      「え? なんで恋人なんです?」
      剣士は、今の時期ルティエに人がたくさん訪れることは知っていてもその中に圧倒的にカップルが多いことは知らないらしい。
      「なんでって」
      アコライトは自信たっぷりに講釈した。
      「クリスマスは恋人達が楽しく過ごした後、ベッドの中で親睦を深める日でしょう」
      あんた、どっか間違ってる。
      口に出すことはしなかったがぽちはそう思った。
      世間一般でクリスマスがそういうものとしても受け入れられているのは確かだが、あまりにもあからさますぎる。
      いくらなんでもそれに頷くのは人間としてどうかと思うが。
      「え、違いますよ」
      あっさりと剣士が否定してくれて彼は嬉しかった。
      しかし、ベッドの中で云々に反応しなかったのは慣れているからか気づいていないのか。
      確実に後者だ。
      「クリスマスは家族で過ごした後、寝静まってから訪れるサンタクロースの格好をした人を縛って枕元に吊す日ですよ」
      あんたも間違ってる。
      そんな猟奇的なクリスマスがあってたまるか。
      二人共に、一応合っている箇所もあるのだ。
      しかしながら、根本的に一般のクリスマスと違うのでは無かろうか。
      彼は、すっかり人間じみて考え方が擦れてしまった彼は、二人の議論を聞きながら大きく鼻から息を吐いた。



      End.





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