闇の中で、またたく星を数えていたことがあった。
      あのとき横にいたのは、母親だった気がする。

      剣士は町の外まで出てくると、少し高い丘の上に登った。
      辺りは暗く、人影どころか魔物の姿もない。
      月がない晩は、星を見るにはちょうど良い夜だった。
      ぺたんと地面に座り、空を見上げる。
      いくつもの星々が彼の頭上で輝いていた。
      彼は一つ息をつくと、ゆっくりその場に横たわった。
      そのまま星を見ることに意識を集中させる。
      今まで考えていたことを全て忘れて、冴えた目で星を見ている。
      ふと幼い頃の光景を思い出し、少し童心に返ってみることにした。
      「一つ、二つ、三つ……」
      見える限りのはじから、のんびり星の数を数えていく。
      途中、あの星の並びは盾に似ているとか、あれはパンのようだとか考えながら。
      「五十一、五十二、五十三、五十四」
      その時すぐ後ろまで人が来ていたのを彼は全く気が付かなかった。
      『五十五』
      声が重なったのに驚いて、剣士は跳ね起きた。
      目の前に、よく見知った人物が立っている。
      「こら」
      「うわあっ!?」
      突如として目の前に現れたアコライトを見て、剣士は座り込んだまま後ずさりした。
      よく見れば彼には珍しく額に汗をかいていることに気が付いたはずなのだが、夜の闇のせいもあって
      半分パニック状態に陥っている剣士は全く気が付いていない。
      「……なんでそんなに驚くかな」
      呆れたようにため息を一つ吐く。
      「だ、だって」
      誰もいないと思ってたんです、と言い訳がましく口にすると、アコライトは年長者の顔つきになった。
      「あのね。私だったから良かったけど、他の人だったり魔物だったりしたらどうするつもりだったの?
       だいたい夜に出歩くのは危ないよ。ただでさえ疲れてるんだから」
      説教されて、剣士がしゅんと落ち込んだ様子を見せる。
      「……ごめんなさい。でも、他の人とか魔物だったら気づいてました」
      それでも一応一言ぐらい言い返すようだ。
      「何で私だと気づかないの?」
      「それは、その、貴方の気配にはもう慣れちゃったからです」
      「……?」
      いぶかしげに眉を寄せる彼の姿を見て、剣士が慌てて付け足す。
      「えっと、何というか…家族と同じ感じなんです。
       いたら安心するしいないと変な感じだけど、そこにいても気にならないって言うか」
      顔を見るとどきどきしますけど、と無邪気に言う剣士。
      アコライトはうっすらと赤くなった頬が闇に紛れて見えないのに安堵した。
      むろん、剣士は自分の言っている意味に気が付いていないのだろうが。
      「それって、プロポーズ?」
      「はっ、え、ええっ?!」
      アコライトが言うと、とたんにわたわたと慌てだす。
      そんな剣士を見て、アコライトの顔に笑みが戻った。
      いつもと同じ、安心するような笑顔だった。

      「で、なんでこんな所で星を数えてたの?」
      二人並んで丘のはじに座り空を見上げて、アコライトは疑問を口にした。
      「なんか、眠れなくって。それとちょっと昔のことを思い出したんです」
      髪もまだ濡れてるのに、と彼はしっとりしている青髪に触れた。
      アコライトのものより幾分か明るいそれは、闇の中で紺色にも見えた。
      「昔って?」
      アコライトに髪を触られながら、剣士は話し出す。
      「昔小さい頃、お母さんと一緒にゲフェンまで行ったことがあるんです。星を見に行こうって」
      彼が昔の話、ましてや母親の話をするのは珍しかった。
      冒険者をしていたが、彼が幼い頃に亡くなったとだけ聞いたことがある。
      「その時に教えてくれたんです。あの星の光は何万年も昔に発せられた光なんだ、って。
      ずうっと前に、いつか誰かに見られるように願って光ったものなんだって」
      その星空の向こうに何かを見るような目をして、彼は夜空を眺めた。
      ゲフェンには星の研究所もあるから、その時見た星は子供心にも美しかっただろう。
      「だから、どれだけ時間がかかっても自分ががんばったことは誰かに見てもらえるんだって。
       誰かに見つけてもらえるように、もっとがんばるのよって言われたんです」
      そして、剣士はアコライトに視線を戻した。
      「……見つけてもらった、って思って良いですか?」
      はにかんだような笑みは星の光のせいか、いつもより輝いて見えた。
      「見つけるのが私でも良いの?」
      からかうように言うと、剣士は珍しくむきになったように言い返した。
      「貴方じゃなきゃ駄目なんです」
      まっすぐな目でじっと見つめてくる。
      アコライトは、その目を見つめ返すことしかできなかった。
      剣士が表情を崩す。
      「だって、貴方はぼくの星ですから!」
      顔いっぱいで笑ってそう言うとは。
      全く予測していなかったアコライトは、少々間抜けな顔をさらしてしまう。
      「……あれ、嫌ですか?」
      「え? ああ、嫌ってわけじゃ……うん、ちょっとびっくりして」
      不意打ちの言葉と、自分を映した瞳が凄く嬉しかった。
      ただ、それを素直に相手に伝えるのも何となくしゃくで、何よりもまだ彼に弱みを見せたくはなかった。
      その代わりに、彼も笑った。
      星空の下で、二人笑いあっている空間があたたかくて。
      しばらくは何も言わずに、座り込んでお互いを見ていた。
      どちらともなく手を繋ぎながら。




      「ところで、さっき私のことを家族みたいだって言ったよね?」
      「はい」
      ぼちぼち宿に帰って寝ようかとしていた時、唐突にアコライトが掘り返した。
      「じゃあ何で、私の顔を見てあーんなに驚いたのかな?」
      「えっ」
      質の変わった笑顔を見て剣士は絶句した。
      ここで特に理由はないとか、いきなり現れたから驚いたと言っても納得はしてくれなさそうだ。
      「あれははっきり私だと確認して驚いてたよね。
       ああ悲しいなあ、私ってそんなに驚かれるような顔なのか」
      「そんなこと、ない、ですよ」
      全く言い訳を思いつかなかった剣士はしどろもどろ答える。
      「そう、ありがとう。で、何で?」
      「ええっと……」
      必死で頭を働かすが、普段使い慣れていないそこは素早く動いてくれない。
      「考えもしなかったので、驚いて」
      「私じゃなかったら気が付いてた、とも言ってたよね」
      「う」
      二の句が継げず、空気を求めるように口をぱくぱくと動かす。
      普通いきなり後ろに人がいれば誰でも驚くだろうに、剣士は気づく気配もない。
      そんな剣士の様子を見て、アコライトは満足げに笑みを深めた。
      「まあ、まだ夜は明けないから」
      「どういう意味ですかあ……」
      がっくりと肩を落とす剣士をのぞき込んで、彼はさわやかに言う。
      「明日は一日のんびりしてようか、って意味だよ」
      「?」
      彼の言葉の意味がよく分からずに首をかしげる。
      「宿屋に戻ったら教えてあげる」
      「はあ」
      わかっていない剣士は未だ首をひねりながらも、アコライトの後について立ち上がった。
      その場を去る前に、剣士は一度だけ後ろを振り返った。
      昔見た星の並びと似たような空が見える。
      剣士がついてきていないことに気が付いて、アコライトが後ろを向く。
      それに気が付いた剣士は彼に駆け寄った。
      アコライトの頭上にも、星々がちりばめられている。
      それは、今までで一番綺麗な星空に思えた。

      彼はまだ、自らの身に降りかかる受難を知らない。


      End.






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