24 「アンタの負けだ」


      どっ、と黒い壁に背を預けて、血塗れのバードは息を吐いた。
      そのままずるずるとへたりこみたくなる体を何とか押さえて、空を見やる。
      黒い幕を纏ったそこは薄黒のショールもかかっていて、星の一つも見えなかった。
      (だりい……)
      穴が空いた左腕はほとんど動かない。血止めもしていない脇腹からははらはらと血が流れ落ちている。
      避けきれなかった隕石の欠片が当たった頭からも血が流れて顔を濡らしている。
      「俺が何をしたってんだ」
      一人ごちてみても聞く者はなく、視界に動くものの姿も見えない。
      どう客観的に見ても自分は被害者だろう、というバードの認識はあながち間違ってはいない。
      恨みを買うなら彼ではなく、不本意ながら彼の連れだった。
      闇より少し明るい髪をしたアサシンは襲撃を受けるが早いか相手を追っていった。置いて行かれたバードに
      文句はなく、部屋に戻って寝ているかと思った矢先に鋭い矢が飛んできた。洒落ではなく。
      ここ数ヶ月バードの生殺与奪権を一手に握っているアサシンが傭兵をやったりしていることは知っていたが、
      普通に飯屋の帰りに歩いていただけで殺されかけるとはどういうことか。町中でドンパチやらかしたら
      逮捕されるぞお前ら、というバードの心の底からの叫びは届かなかったらしい。
      流石に威力は押さえてあったが、町中でメテオストームをかまされた日には泣くしかないではないか。
      幸いにも必死で逃げた結果件のウィザードは途中で脱落したらしい。全速力でモロクの町中走り回っても
      平気な顔をしているウィザードの友人を持っているバードは自分の世界の広さを知った。
      今追いかけてきているのは(多分)ハンターが一人、と見当は付いていた。
      「平和な日々よ、カムバック……」
      空しい独り言を漏らしながら、とりあえずアサシンに謝らせようと心に決めていた。
      ひゅっ、と空気を裂いて飛来した矢が、とっさに身をかわしたバードの体すれすれの壁に刺さる。
      ここまで来たら誤解だ、で相手が引いてくれるわけもないとわかっていたし、少々――腹が立ってもいた。
      元アーチャーを甘く見んなよな、と低く呟いて、彼は滑るように動いた。
      間髪おかず飛んでくる二本の矢を金属強化した楽器の腹で受け、その辺の塀に手をかけて屋根の上に飛び乗る。
      矢の角度から相手が高いところにいるのはわかっていた。こちらがわかっていても構わなかったのかも知れないが、
      彼とて冒険者の端くれだ。
      驚いたのか慌てて煙突の影に身を隠す相手の影を確認すると、バードはおもむろに楽器に手をかけた。
      左腕は動かないが、指先ぐらいは動かせる。楽器を固定するぐらいは造作もなかった。
      近所の皆さんごめんなさい、と人気のない港町の皆様に心の中で謝ってから、バードは思いっきり弦を弾いた。
      何とも言い難い不協和音が夜空に響いた。
      その音の中心にいながらも、彼は影が手に持っていた物を落とした音を聞いた。
      この音を聞いて一瞬でもびびらないような無神経な者は少ないだろう。
      だん、と屋根を蹴って、バードは影の目の前まで駆ける。その勢いに乗ったまま、弓を持ち直す時間を与えずに
      そのハンターの側頭部を力いっぱい楽器で殴り飛ばした。
      ついでに弓を拾われないように足で踏む。
      唖然とこちらを見上げてくるハンターに、バードは一つ息を吐いてから言ってやった。
      「アンタの負けだ」
      八つ当たりに近いのはわかっているが、ただアサシンと一緒に歩いていたからという理由で殺されかけてはたまらない。
      「な、なんで――」
      ハンターが何かを言いかけ、そして絶句する。
      それを訝しげに見たバードは、ハンターの視線が自分の後ろに行っていることに気が付いて振り返った。
      最早彼が後ろに立っても気にならないぐらい気配に慣らされてしまった自分が空しい。
      元凶が笑顔を湛えてそこに佇んでいた。
      何というタイミングか、雲が風に煽られて飛び去り、星の光が地上から見えるようになる。
      「遅い」
      「ごめんねー、ちょっと捨ててくるのに時間がかかって」
      血を流しているバードに微笑みながら物騒な台詞を言うのを、とりあえず彼は黙殺した。
      「あんた、厄介事は俺と関係のないところで片付けろよ」
      二人称のイントネーションが違うのは偶然か、故意か。
      「違うよ、僕にも関係ないみたいだ」
      「は?」
      「人違いだってさ」
      迷惑な話だねえと笑うアサシンに、何かを言う気力も奪われたバードは肩を下ろす。
      いい加減に血が足りなくて倒れそうだ。
      「俺の血を返せー……」
      「本当だよね、もったいない」
      したり顔で頷くアサシンをとりあえず睨んで、後は任せるとばかりに手を振って屋根をおりかける。
      アサシンはそれを止めないまま、落っこちないようにと声をかけた。
      はた迷惑な襲撃者の残党がいないのは確認済みだ。
      さて、とハンターに目をやったアサシンの顔に、すでに笑みは残っていなかった。
      「殺すと怒られるから……生き地獄コース?」
      語尾を上げられても、無論言葉を返すことなど出来なかった。



      なんだか声にならない悲鳴が聞こえてきたような気もするが、それを無視してバードは宿への道を歩く。
      とりあえず風呂にでも入ってのんびりと寝たかった。いや、その前に怪我の手当か、とつらつら考えていると
      珍しい知り合いの顔が目に入った。向こうも予想外だったらしく、目を丸くした後手を振ってくる。
      こちらが怪我をしているのも見えているはずなのに駆け寄ってこないのは、彼女がこんな場所で露店を開いているせいだ。
      「どうしたのさ、アルベルタなんて珍しい」
      旧知のブラックスミスは、パイプタバコをふかしながら笑みを刻んだ。
      快活な笑顔に、やはりこれこそが笑顔ってものだとバードは心の中で頷く。
      「ちょっと馬鹿ガキどもがアマツに行ったまま帰ってこないんでね、ここまで迎えに来てやったわけ」
      「へえ……」
      話にだけ聞いた、漫才二人組のことだろうかとは思ったが、詳しい話を聞くには体力がなかった。
      「で、それどうしたの」
      頭と腹と腕の三箇所をぴしぴしとパイプタバコで指摘される。
      説明するのも馬鹿馬鹿しいとバードは思ったが、美人の友だちを適当にはぐらかせる技術は持ち合わせていない。
      「……連れが人違いされて闘争に巻き込まれた」
      「あらま、間抜け」
      「それ言わないでほしい」
      自分でもわかっていることだが、他人に言われるとどうしようもなく情けない。
      「知り合いのプリースト呼んであげよっか?」
      「え、本当?」
      らっきー、と思ったのを隠さずに表情に出す。ヒールで傷口をふさいでもらえれば大助かりだ。
      「その代わり、アマツ行ってきてよ」
      「……なして?」
      「さっき言ったでしょ、馬鹿ガキの話。なんかいないと物足りなくてね」
      「ちなみに、行ったのいつ?」
      「昨日。」
      それは果たして『行ったきり帰ってこない』と言えるのだろうか。案外一緒に行くのが面倒で断ったものの、
      置いて行かれたのが悔しかったのかも知れない。
      しかしそれでも目を逸らすまでもなくきっぱりと言い切るブラックスミスを、何故か神々しいとすらバードは思った。
      「親馬鹿って呼んでいい?」
      「却下」
      可愛い後輩が気になるというよりは、気に入りの玩具が手元になくてつまらない、と言った方が良さそうだったが。
      「別に良いけどさ」
      「商談成立ね」
      ぐっと親指を立てた拳を突き出されたので、バードもそれに応えてみた。
      今呼び出すから、と耳打ちを送り始めた彼女の隣に座ったバードは、戻ったらアサシンに相談しようと
      眠気が忍び寄ってきた頭で考えていた。



      End.




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