15 「舐めてると、痛い目見るぞ」


      ある町の、ある家。
      ごくごく普通の家庭の夕食の席についているのは鎧を脱いだクルセイダーだった。
      配給されたアンダーウェアで座っていても、何故か剣だけは腰にさげたままだ。
      彼の向かいには小柄な女性が座り、彼が夕飯を咀嚼する様子を眺めている。
      ごくりと食べ物を飲み込むと、動きに乏しい彼の表情が緩む。
      「美味しい、かしら?」
      女性がおずおずと聞くと、満面の笑み(彼の頭の中では)を浮かべてクルセイダーは答える。
      「ああ、とても美味い」
      そう言うと女性のことなど忘れたかのように食事に集中し出す。
      女性は少しばかり表情を曇らせた。
      「食べないのか?」
      ふと目を上げて彼女の食が進んでいないことに気が付いたのか、クルセイダーは手に持っていたスプーンで
      彼女の前に置かれた皿を指す。少々行儀が悪いが、本人は無意識の行動である。
      「いいえ、食べるけれど……どんな風に美味しい?」
      「どんな風に?」
      聞かれた言葉に、本人としてはきょとんとした顔をして考える。
      「いや、美味いものは美味いし……君は料理上手だからな」
      あまり表情を変えないまま、真顔で彼女の目を見つめながら臆面もなくこの台詞を吐く。
      「そう……」
      しかし喜ばしい言葉を言われたはずの女性は沈んだ口調でそう呟くと、ふいと彼から目をそらした。
      「ごちそうさま」
      無理矢理作ったとわかるような笑顔を小さく浮かべ、自分の食事を片付けてしまった。
      クルセイダーはそれを疑問に思いながらも、とりあえず食べることに専念したのだった。



      「……その後も寝室に籠もったまま口をきいてくれないんだ。何だと思う?」
      クルセイダーの話を聞き終わって、騎士は深いため息を吐いた。
      「んじゃあナニか、お前は夫婦喧嘩の愚痴を聞いてもらいたいがために、たった今狭いながらも楽しい我が家に
       帰ってきたばかりの俺をわざわざ訪ねたわけか」
      騎士の言葉には明らかな疲れが混じっている。
      騎士が借りている官舎(家賃月50k)に帰ってきて騎士装束を解いて一息つこうかと思ったちょうどその時に
      クルセイダーの訪問があったのだ。おかげで彼はまだ鎧を取ってすらいない。
      つけ加えるなら、現在は俗に真夜中と呼ばれる時間帯である。
      「……夫婦喧嘩だったのか? しかし、別に皿を投げつけられたわけではないし」
      小さな丸テーブルの向かいに座ったクルセイダーの相手をしていると、なんだか泣きたくなってくる騎士である。
      「そもそも昨日までは普通だったのだし、今朝とて『いってらっしゃいのきす』とやらもしたし、
       彼女が怒る理由がさっぱりわからない」
      「お前、愚痴るんだか惚気るんだかどっちかにしろ」
      クルセイダーが手みやげにと持ってきた上等の蒸留酒をグラスの底に注ぎ、冷たい水を注ぎながら騎士は言う。
      ガラス細工のマドラーでかき混ぜると、からからと氷のぶつかり合う音がした。
      「おれがいつ惚気たんだ?」
      そう言うクルセイダーの表情はいつものごとく無愛想のままだったが、いい加減つきあいが長い騎士にはわかる。
      彼は本気でそう言っている、と。
      どうして俺が新婚家庭の尻ぬぐいをしなきゃいけないんだと騎士は内心頭を抱えた。
      クルセイダーはよくわからないという顔をしたままとぽとぽと蒸留酒を自分のグラスに注いでいる。
      氷は入っているが、水で薄めもせずに彼はそれをそのまま飲み干した。
      その様子を止めるともなしに眺めながら、こっちが胃を悪くしそうだと騎士は口の中で呟く。
      二杯目を注ぐ前に彼のグラスを引き寄せ、水の代わりに細かく砕いた氷を入れてやる。
      「とりあえず、あれだ――なんか明確なコメントが欲しかったんじゃねえの?」
      「美味い、と言った」
      「そうじゃなくて、女の子ってのはどんなとこがどう美味いかとかこの料理が一番好きだ、とか言ってほしいわけだ」
      「全体的に美味い、では駄目なのか」
      むう、と考え込むクルセイダーを見ながら、よくこいつ結婚できたなと何十回も思ってきたことを再び思った。
      この『世界小器用ランキング』があったら絶対に下から数えた方が早いような、見た目とは裏腹に世間ずれした
      友人を騎士は密かに心配していたのだ。尤も、先を越されたわけだが。
      クルセイダーの伴侶は冒険者ではなく、彼らが良く行く料理屋の看板娘だった。
      繊細そうな指先が好みだなーと騎士が思っていたところ、ある日突然結婚するとクルセイダーから聞かされた。
      おとなしめだが芯のしっかりした女性で、まあおおぼけなこいつにはぴったりかと思った記憶がある。
      しかし朴念仁の相手をするのは大変そうだと心の底から彼は同情した。
      「ったく……頼むからもーちょっと言葉を付け足そうぜ、なんでもいいから」
      彼女に振られてもいいのか?と問えば、真顔で否定してきた。
      「そんなことはない」
      「じゃあもっと気を遣え。いいか、相手は女の子だ。女の子は強いからな……」
      半身をテーブルにのりだして、一言。
      「舐めてると、痛い目見るぞ」
      クルセイダーはじっと騎士の顔を見返して――おもむろに、騎士の手元にあったマドラーを取り上げた。
      「おおい……?」
      聞いてんのか、とジト目で睨む騎士を余所に、クルセイダーはしげしげとマドラーを見つめる。
      「いい細工だな」
      「ああさいですか、それはどーもありがとう」
      棒読みである。
      酔ってんのかこの野郎と半分怒鳴り出しそうになりながら形ばかりは彼を睨みつける。
      と、つるりと彼の手からマドラーが滑った。
      「あ」
      「あ」
      二人が『あ』の形のまま口を開けていると、意外に軽い音が響いた。
      慌てて床を見る騎士だが、幸いにも割れてはいないようだった。
      クルセイダーがすまないと言いながら拾おうと身をかがめる。
      「頼むぜ、知り合いのコモド土産なんだから……っ」
      半ば呆れた口調で注意して、手を伸ばせば届きそうな位置に見える白いうなじに言葉を切った。
      普段無骨な鎧で隠されているせいか、彼の肌はたまに驚くほど白い。
      夜の室内、ランプの光で見ればそれは尚更だった。
      拾ったマドラーを手渡されるまで、騎士はしばし硬直していた。
      「どうした?」
      クルセイダーに声をかけられて、はっと現実の世界に立ち返る。
      目の前をよぎったあらぬ妄想を首を振ることで忘れる。
      「いや……酔ったみたいだな」
      「お前らしくもない」
      クルセイダーは微かに笑いながら騎士のグラスに酒を追加する。
      実際は酔いも何もかも吹っ飛んだような気さえするのだが、忘れようと一気に酒をあおった。
      ――友人に欲情したなんて、覚えていても得にはならないだろう。



      End.




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