14 「名言だ。覚えておこう」


      どう、と音を立ててオークが地に伏す。
      ウィザードが短剣を鞘に収めた時には、その姿は空気にとけて消えていた。
      ぱちぱちぱち、と実に場違いな拍手の音がその場に響く。
      彼が振り返ると、そこには重そうなカートを引いたブラックスミスが立っていた。
      「いやー、おにーさん強いねえ」
      緊張感のない笑みを浮かべながら賞賛する。
      言葉から察するに、ウィザードとオークの攻防を黙って眺めていたらしい。
      奇異の目を向けられるのは珍しくないから、ウィザードは何の表情も浮かべない。
      しかしちょうど良いか、と口の中で呟いてウィザードはブラックスミスに向き直る。
      「つかぬ事を聞くが」
      「はいはい何でしょかー」
      あくまでもブラックスミスのノリは軽い。カートの重みでかろうじて地上にいるのでは、とウィザードは
      一瞬くだらないことを考えた。まだ成り立てなのだろうか、腰には使い込まれたチェインが下がっている。
      「アルベルタはどっちにあるだろうか」
      「へ」
      この時ばかりはブラックスミスもおどけなかった。
      どの町から行くにしても、ここオーク村はアルベルタへの道とかすりもしない。グラストヘイムやゲフェンからなら
      酔狂な人間が通るかも知れないが、面倒な道をわざわざ通るのだろうか。
      「……普通にあっちに行って、プロンテラに出た先だと思うけど」
      「ああそうか、感謝する」
      そう言ったウィザードは、すたすたと迷いない足取りで――ブラックスミスが指した方から90度ほどずれた方角に歩き出した。
      「わっ、ちょ、ちょっと待っておにーさん!」
      「なんだ」
      案外素直に立ち止まったウィザードに、ブラックスミスは再び方向を示す。
      「あのね、プロはあっち」
      「ああ……また間違えたか」
      今度こそすいと彼は正しい方向に向かって歩き出した。
      何だったんだとブラックスミスが胸をなで下ろした瞬間、視界から消えるウィザードの姿。
      思いっきり違う方向に曲がっていくところが垣間見えた。
      「何なんだあのにーさん」
      ともあれ放っておくわけにも行かず、少し早足で追いかける。
      ウィザードの姿をとらえておにーさん、と大きな声で呼んだとき、振り向いた彼の後ろに魔物の影が差した。
      手に持ったドスのような鉈、長い毛髪。オークレディ、通称おかんがその凶器を振り上げる。
      危ないと声を上げるより先に、ウィザードはその攻撃を回避していた。
      鉈の先が地面に穴を穿つ。
      目にもとまらぬ早業で短剣を引き抜いたウィザードは、正確にオークレディの喉元を突いた。
      噴き出すような血と滅茶苦茶に振り回される刃物からひらりと身をかわし、心臓の辺りを切り裂く。
      たまらずオークレディは倒れた。
      一切の慈悲もないかのように計算尽くされた動きだったでひどく合理的なのに、何故か見とれる。
      少しでも苦しみが長引かないように素早く、というような意思の表れであるように感じて、ブラックスミスは立ちつくす。
      正気に返ったのは、何やら青い物が飛んできてからだった。
      「……?」
      反射的に受け取って、それを眺める。サイファー、オークレディが落とす透き通った鉱石だ。
      「道を教えてくれた礼だ」
      ウィザードはそう言って、さっきまで歩いていた道を再び歩き出す。
      今度こそ、ブラックスミスはそのマントの先を掴んで歩みを止めた。
      「なんだ?」
      「あのですねー、プロまで一緒に行きませんか」
      つきあっていたら自分の心臓が保たないと思いつつもこのまま放っておくのも寝覚めが悪い。
      「構わないが」
      あっさりと頷いて、彼は自信満々に同じ道を歩こうとする。
      再びマントの端を手にしたブラックスミスは、無言で正しい道を指し示したのだった。


      「おにーさんなんでウィザードになったん?」
      オーク村を抜け、余計な戦闘をしなくても通り過ぎることができるところまで来て、のんびりとブラックスミスは聞いた。
      「ちょっと真理を究めたくてな」
      「へい?」
      どこのセンセイの言葉ですか、と茶化してみれば、冗談だと変わらぬ口調で返ってきた。
      「理由なんて、あってないようなものだ……強いて言えば」
      ふ、とその口元に笑みが浮かぶ。昔の自分を懐かしむような。
      「負けず嫌いだったから、だろうか」
      「ふーん」
      柔らかな笑顔に驚いたことが知られたくなくて、適当に相づちを打つ振りをする。
      「アルベルタまでは何しに?」
      「約束を果たしに」
      質問には答えを、過不足無しに返してくる。時たま訪れる沈黙も、気分の悪いものではなかった。
      早足のウィザードに合わせて歩いていると、普段より早くプロンテラの城壁が見えてきた。
      果たして合わせて歩いていたからだけだろうかと浮かんだ自らの疑問をこっそり胸の内でもみ消す。
      城壁に辿り着いて、ひらりとウィザードは手を上げた。マメが潰れて硬くなった手、剣士のそれに似た手を、何故か尊いと思う。
      「では、ここでな」
      礼を言う、とだけ残してウィザードは去ろうとする。
      こんな時に限って、正しい道を通って。
      「おにーさーん!」
      どうせなら彼の記憶に残っておきたくて、ガラにもなく声を張り上げる。
      ウィザードが振り返った。思い返せば、自分が呼んで彼が振り向かないことはなかった。
      なかなかに律儀な性格をしている、と分析してブラックスミスは叫んだ。
      「俺のじーさんが言ってたんだけどねー、いつでも明日が良い日であるように願えってー!」
      いきなり言い出したブラックスミスの言葉を、ウィザードはその場に立ったまま黙って聞いている。
      「そしたらー、いつでも良い日になるってさー!」
      明日、は一日経てば今日になる。またその明日が良い日になれば、その次もずっと良い日になる。
      というようなことを言いたいらしい。多分。
      振り返った姿勢のまま、ウィザードが笑う。
      背に負った夕日が眩しかった。
      「名言だ。覚えておこう」
      祖父殿によろしく、ともう一回手を上げて、ウィザードの背中は見えなくなった。
      ブラックスミスはしばらくそこに突っ立っていたが、ぱんと音を立てて両頬を叩いた。
      「俺には似合わないやねー」
      どこかふわふわした足取りで、ブラックスミスは夕闇の町の中に消えていった。



      End.




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