11 「結果オーライでしょ」


      どこか重苦しい、春の夜のことだった。
      中天には真円に近い月が浮かんでいて、星座の観察には向かないだろう。
      夕方からふらりと出かけていったアサシンが帰ってこないのをいいことに、俺は久しぶりに読書にいそしんでいた。
      本が似合わないとは昔からさんざん言われているが、一応趣味の一つだ。
      本を持ち歩いて冒険するわけにもいかないので、大抵図書館からの借り物だが。
      本日のお供はD博士の冒険記、虹の化石捜索な話。
      飯を食ってからずっとベッドに腰掛けて読んでいたんだが、流石に目が疲れてきた。
      今日はもう寝るか、とランプの灯を消した、その時だった。
      開け放しておいた窓から床に影が落ちた。
      あからさまな人影に、俺は慌てて右手にある窓を確認する。
      見覚えのあるアサシンの装束に身を包んではいたが、月の光を受けて光る髪は薄い金色だった。
      逆光で顔ははっきりしないが、少なくともこの宿の部屋に一緒に泊まっているアサシンではないだろう。
      奴ならもう少し奇抜な登場方法を思いつくはずだ。
      服も着慣れているようでいて、よくよく見れば右襟が中に折りこまれている。
      「ここに泊まっているアサシンの連れか?」
      くぐもった声は口元を布で覆っているからだろう。ここまで本格的にしているアサシンを俺は初めて見たぞ。
      「まあそうなんだろうだけど、あんたどちらさん?」
      全く良い予感がしない。
      ここで酒の宅配便です、とか言われたらちゃぶ台ひっくり返すぞ俺。
      「名乗れない」
      「さいでっか。で、何の用?」
      同居人(が一番適切だろう、嫌だけど)絡みなのは間違いないが、頼むから本人がいる時に来てくれと思う。
      「お前は今の生活に満足しているか?」
      「はい?」
      思わず聞き返してしまった。藪から棒に何だ、生活アンケートでもとってるのか。
      少なくとも、俺の現状に満足できる奴ってのは果てしなく少ないと思うが。
      謎のアサシンは質問を繰り返す気はないらしく、じっとこちらの様子を窺っている。
      どうでもいいが、窓枠にしゃがんだままで疲れないのだろうか。
      「満足する人間がいたら見てみたいが」
      お近づきにはなりたくないけど。
      「そうか。単刀直入に聞くが、奴のことが好きか?」
      「…………」
      思わず沈黙した。
      アサシンってのは無神経な奴が揃ってるのか? いや、まともなアサシンに失礼か。
      答えを先延ばしするようにランプに手を伸ばしかけたが、相手の視線が手を追っているのに気が付いて断念する。
      確実に、まっとうなアサシンではないんだろうな。
      「好きじゃないけど」
      好きじゃない。……嫌いってわけでもないが。
      相手は満足げに頷いた。
      「ならば、手を貸してはくれまいか」
      ひゅん、と細長いものを投げつけられて、とっさに目の前まで迫ったものをはたき落とす。
      乾いた音がして床に落ちたそれを見ると、鞘に収まった短剣のようだった。
      抜き身じゃなくて良かったが、一歩間違えば大怪我だぞ。
      「反射神経は良好か」
      ふむふむと頷かれても全く嬉しくない。やっぱり喧嘩売ってるんじゃないかこいつ。
      「何すんだよ、あんた……」
      「それで奴を殺して欲しい」

      瞬間、思考が固まった。

      「……は?」
      もの凄く俺に合わないことを言われた気がする。
      空耳かとの期待を持ったが、アサシンは微動だにせずこちらを見ていた。
      「…………は」
      言おうとした言葉が霧散して、気の抜けた息だけが漏れた。
      色々とふざけんなって気分がわき上がってくる。
      「あんた、横着せずに自分でやれば」
      どうせ奴がどっかで恨み言を買ってきたんだろうが、それが何故に俺への暗殺依頼に繋がるんだ。
      「残念ながら、隙が見られないものでな。寝てる時にやってくれれば良い」
      あっさりと言ってくれるが、こいつにプライドとかいうものは存在しないのか。
      殺人は犯罪だと誰かから教わらなかったのか?
      「あんたに無理なら俺にも無理だよ。俺はしがないバードだし?」
      「お前が、調べた中で最も奴に接近できる人間だった」
      ということは、しばらく調べられてたってことだろう。
      「あのな……普通の人間があっさり人殺せるかよ。俺は冒険者なの、魔物しか殺したことねーよ」
      それは確かに、件の奴に殺意を抱いたことは数え切れないほどあるが、実行に移したことはない。
      そもそも俺ごときに殺されてくれるような実力の持ち主じゃないだろう。
      「しかし、ここで断られても困るのだが」
      あんたが困ろうが知ったこっちゃない、という台詞を飲み込んだ。
      こういうタイプの人間は、口封じに人を殺すことを厭わない。
      流石に、まだ死にたくないからな。
      「いやあ、無理なものは無理だしな、そもそも」
      この期に及んでも、相手はまだ窓枠にしゃがんだままである。
      逃げる時は楽かも知れないが、外から見えるんじゃなかろうか。
      「まだ調べが足りないみてーだし」
      む、と眉を寄せるような気配がした。憮然とした声音で問うてくる。
      「何故に言い切れる」
      「……というか、あいつの性格を掴み切れてないんだよな」
      俺も正確に知ってる訳じゃないが。つーか知りたくないが。
      「こういう状況になってさあ」
      首筋をかりかりとかく。
      「――あいつが出てこないと思ってるわけ?」
      「っ!?」
      俺がそう言った途端、部屋の片隅から気配が生まれた。
      相変わらずの化け物っぷりである。
      慌てて気配の方向に首を向けたアサシンも、そのまま動けない。
      「ただいま、楽しそうだね」
      「俺はちっとも楽しくないけど」
      いつからいた、と問えば、しがないバード辺り、と言って、そのアサシンは微笑んだ。
      黒い髪のアサシンが、笑顔を張り付かせたまま金髪のアサシンと向かい合う。
      つまり俺と変なアサシンが会話している間に帰ってきてこっそりドアから進入して窓から丸見えの位置にいたにも
      かかわらず気配すら欠片も感じさせなかった、と。
      ますます人外じみてきているような気がするのは俺の気のせいか?
      「さて、弁解はあるかな?」
      こいつが言った瞬間、アサシンは窓から飛んでいた。
      しかし、空中でいったんおかしな体勢で停止したかと思うと、バランスを崩したまま落ちていった。
      ちなみにここは二階であるから死にはしない、と思うが着地音がしないのは何故だ。
      奴が窓からにこやかに手を振っていたので半歩下がったところから見てみたのだが、そこにはすでに誰もいなかった。
      ホラーだ。
      「な、あいつどうなったの」
      「ああ、知り合いに頼んでおいたから、別のところに運ばれたんでしょ」
      「へー」
      こいつは意外に知り合いが多い。
      「ごめんね、ちょっとまとわりついてたのは知ってたんだけど、どうせなら泳がせておこうと思ってたら……
       大丈夫? 何かされてない?」
      ぺたぺたと体中触られる。見ただけでわからんのかこいつは。
      「平気だ……っ、て、やめんかい!」
      妙なところに伸びた手を慌ててはたき落とす。
      俺に何かするのはあんたぐらいしかいねーよ。
      窓の下に興味が失せたので、部屋の中央辺りまで下がる。
      窓をきっちり閉めたアサシンが後を追ってきた。
      えらくむかつくことに、そのままベッドに押し倒された。
      「……あのさあ、俺もう寝たいんですが」
      言っても無駄だと半ば理解していながら、一応言うだけ言ってみる。
      「あのね、今日はプレゼントがあるんだ」
      綺麗に無視された。
      人生なんてそんなもんだよな。
      ポケットから取り出したのは細い金細工の何かで、先の方に小さく削られた宝石がついている。
      「ピアス……?」
      形状と二つあることからして、耳に直接刺して飾るあれだろう。
      「って、俺穴開けてねーよ」
      あまり飾り物には興味がなかったし、第一こいつだって開けてないじゃないか。
      そう言うと、にこにこ笑いながら別のものを取り出した。
      細く、鋭そうな針に似た刃物。
      嫌な予感に体をずらそうとしたが、あっさり抑え込まれてしまった。
      「うん、だから開けてあげる」
      「……遠慮します」
      嫌だ、なんつーか絶対痛そうだ!
      「いいじゃない、減るもんじゃなし」
      「いやほら、親からもらった体に穴開けるのもどうかなーと」
      師匠代わりのお祖母ちゃんに怒られそうだし。痛そうだし。
      てか、減るとかそういう問題じゃない気がする。
      「大丈夫だよ、痛くしないから。僕が上手いの知ってるでしょ?」
      あんたの刃物の腕前はよく知ってるが、痛くしないと言われて痛くなかった試しがないんだが。
      「き、気持ちだけ受け取っておく」
      「どうしても駄目?」
      二回ほど頷くと、つまらなそうな顔になった。
      それから、ベッドの上に小さなピアスを落とす。小さな鎖が突いているようで、涼やかな音がした。
      ピアスを持っていた方の手を静かに俺の胸に当ててくる。
      それから、一気に顔が耳元に近づいてきた。
      「……耳と乳首とどっちが良い?」
      ぼそっと言われ、俺は完全に固まった。
      囁いた状態から耳朶を甘噛みされ、服の上から器用に乳首を探り当てられた。
      得体の知れない恐怖が背筋を駆け上る。
      「それとも」
      続けて耳に吹き込まれた言葉に、思考までも止まった。
      そ、それは、それだけは嫌だと思うと同時に首を横に振る。
      「どれがいいの?」
      最後に聞かれた時には、自動的に耳と答えていた。



      多少血が出て痛かったが、いつもに比べればマシだった。
      短い鎖はいっそ職人芸と言えるほど細かく、宝石も綺麗だったし、きれいなものは嫌いじゃない。
      開いてしまったものはもう取り返しがつかないしな、と天井を眺める。
      「ところで、何でいきなりプレゼント?」
      隣で満足げに寝転がる男に尋ねてみる。結局開けた後に色々あったので、聞く機会を逃したのだ。
      「うん? あのね」
      いつにも増して嬉しそうな笑顔で、それが何に似ているのかを思い出した。
      ホタルブクロの花に似ている。
      薄紫色のきれいな花なのだが、どこかぼんやりとした色合いを持つあれ。そっくりだ。
      「今日で一年なんだよ」
      「何が?」
      何の気なしに聞き返したのを、俺は激しく後悔した。
      「君と僕が初めて話した日から」
      「!」
      ……衝撃的だった。
      それはすなわち、初対面から一年。
      初対面ってことは、こういうことをするようになってから一年。
      俺は一年もこんな生活を続けていたのか……!
      「記念日だからねー」
      奴の言葉がぐるぐると頭の中で回る。
      やべ、ちょっと泣きたい。
      俺はこの話題を続けたくなくて、少し気になっていたことを聞くことにした。
      くそー、一年かよ。
      「あ、あのさあ、さっきの変なアサシンだけど」
      「うん、あの変な人」
      普通に話してる時は話題変えても乗ってくれるんだがなー。
      「あれ、俺が承諾したらどうする気だった?」
      そう、俺がこいつを殺すことに同意していたら。
      やっぱり殺られる前に殺るんだろうか、とちょっとだけ気になっていたのだ。
      「ああ……別に、何も考えてなかったかな」
      「……呑気だな」
      「結果オーライでしょ」
      君は頷かなかったし、と言われる。確かに事実だが、変なところで呑気な奴。
      「まあ、君がそういうの嫌いだって知ってたし」
      言葉と共に髪を梳かれる。その髪が耳元に落ちてくると、ピアスの感触がはっきりと感じられた。
      「君が僕を殺すなら、きっちり殺し返してあげるから」
      「へ?」
      「言ったでしょ? 君を殺すのは僕だって」
      「いや聞いてませんが」
      「そうだっけ」
      そもそも殺し返すって何だろう。実際こいつならやりかねないところが怖いが。
      「……俺、60ぐらいまでは生きたいんだけどな」
      「つきあってあげる」
      「あんたと一緒にかよ……」
      それだとちょっと考えるな、うん。
      確かに思い出したが、出会ったのは去年の春の終わりだった。
      二年目になる春はもうすぐ終わり、初夏の季節がやってくる。
      約40年後はどうかは知らないが来年もこいつの顔見てそうだな、という嫌な考えが頭をよぎり、
      俺は慌てて目を閉じた。
      少なくとも、明日も隣にこいつがいることは確かだ。



      End.




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