05 「何とかとハサミは使いよう、ってね」


      さんさんと照りつける日光が痛いぐらいの季節。
      夏真っ盛りのこの時期に、夏と言えば海だろうと燃えている男が一人いた。
      しかし、彼の野望はあっさりと崩れ去ることになる。



      「海に行かない!?」
      何故かドアからではなく、換気のために開け放っていた窓から顔を出したアサシンにウィザードは一瞬
      目をぱちくりさせた。
      あー今の表情良いなあとアサシンが悦に入っていると、ウィザードは手にしていた魔導書全二千三百五十八ページを
      窓めがけてぶん投げた。(注:危険ですので真似をしないでください)
      「ぶっ!」
      ジャストミートで顔面を直撃されたアサシンは、物体の法則には逆らえず手を放して窓の外に消えていった。
      ちなみにここは三階である。
      部屋に残ったウィザードは椅子から立ち上がりもせず、腰に付けていた懐中時計の鎖に手を絡ませた。
      針を細めた目で追いながら、遠くから聞こえる地響きのような音に耳を澄ませる。
      その音はどんどん近づいてくると、最後にウィザードがいる部屋のドアを力いっぱい開けた。
      「――只今の記録、48秒」
      額と後頭部と足から出血しているアサシンに彼が最初にかけた言葉はそれだった。
      驚異の精神力でこの場に立っているアサシンは半ば泣きそうな顔で泣き言を言う。
      「それはないよ! ていうかこの扱い何!?」
      俺何かした!? とわめくアサシンの手にきちんとウィザードが投げた魔導書があるのが笑い……涙を誘う。
      ちろりとそちらに視線を流して、彼は冷たい声で言い放つ。
      「少なくとも窓から不法侵入したな」
      正論にアサシンはぐっと言葉に詰まる。途端に勢いをなくした言葉が口から漏れた。
      「だって……意表が突けるかなって思って……」
      「無理矢理上目遣いをするな、うざったい」
      その言葉にとどめを刺されたアサシンは、その場でしゃがみ込んで本格的にいじけだした。
      ドアを開けたまま、部屋に入ってすぐのところで、である。
      通りがかった有閑マダムたちが『ああらまたやってらっしゃるのねヲホホホ』『いつも愉快ですこと』などと
      言いながらお目当てのカフェに向かっていく。
      何故宿のど真ん中に飲食店があるんだと支配人に怒鳴り込みたい気持ちにかられたが、それは大人げないと思い直す。
      とりあえずこの男をどうにかしようとウィザードは彼に声をかけた。
      「で、用件はなんだったんだ」
      少しは優しさを込めた、つもりである。本人にとっては。
      その声色にびくっと顔を上げたアサシンは、微笑さえ浮かべたウィザードの顔に寒気を覚えていた。
      しかしそんなことを言っては今度こそ命が危ないと思い、慌てて本題を口にする。
      「あの、あのね、一緒に海に行きたいなあーって……」
      「却下」
      「えええええ!」
      コンマ5秒で切り捨てた台詞に異常に反応するアサシン。彼の声がうるさいと耳をふさいだウィザードは、
      もう少し彼で遊べると気が付いた。
      「そうだな、この私が指定した海になら一緒に行ってやってもいいが」
      「えっ!」
      きらりんとアサシンの目が光る。ウィザードは確かに、犬のしっぱがはたはたと振れる幻覚を見た。
      「バイラン島」
      ざっぱーん、と荒波が砕ける音をウィザードの背後に聞いたのはアサシンだけだった。



      イズルードから快速船に乗って約二十分。
      ドクロの形をした、断崖絶壁に囲まれた島がある。
      そこには海底神殿へと続く洞窟があり、一次職から二次職まで訪れる冒険者は後を絶たない。
      勿論、砂浜などという気の利いたものがあるはずもない。
      アサシンの行きたかった『海』とは、全く違う。
      日の照る甲板の上、船室の壁に寄りかかって座ったままアサシンは深くため息を吐いた。
      海に浮かんだ島なので、例え崖から飛び込んでみても泳ぐのに快適とはいかないだろう。人食い魚やら何やらが
      繁殖していてもおかしくない。二度と浮かび上がって来られないのではなかろうか。
      そもそも彼は、あふれる日光の元で健康的なバカンスとやらをやってみたかったのだ。
      普段からガードが硬い彼のマントを取り払って、波打ち際でばしゃばしゃと遊んでみたりしたかったのだ。
      青少年の甘い夢である。
      「だって俺まだ若いのにー……」
      日が差さず湿気が多い洞窟は、彼にとってそう長居したい場所ではないらしい。
      それも、昔シーフ時代情けないことにヒドラに絡まれて死にそうになったことに由来しているらしいが。
      ぼーっとしていた彼は、アサシンにあるまじきことだが人の気配に気づかなかった。
      ほんの少しだけ肩に柔らかいものが触れた気がして横を向くと、同じ壁に寄りかかったウィザードが目を閉じたまま
      そこに座っていた。それを理解して、アサシンはしばし硬直した。
      確か彼は先程まで甲板の手すりで風を受けていたはずだ。
      疲れたのか暑くなったのか、ちゃっかりひさしとアサシンの影に入るような位置に入り込んでいる。
      (ね、寝てんのかなー?)
      ウィザードはまっすぐ前を向いて目を閉じたまま微動だにしない。軽く船体が揺れると同時に、少しだけ
      肩にマントが触れる力が強まったような気さえした。
      肩が触れ合う(実際触れているのは肩当てとマントであるが)という経験が初めてのアサシンは年頃の青年らしく
      どきどきしながらウィザードの様子を窺っている。直情的行動と反して、やたらと純情な男である。
      (か、髪……とか触っちゃったりなんかして?)
      珍しく太陽の光を浴びてきた髪は暖かいだろうかとゆっくりと手を伸ばす。
      そこで、一つの可能性について思い当たり一瞬固まる。
      すなわち、彼は本当に寝ているのか? ということである。
      よくよく見てみれば目は閉じているものの首はまっすぐ伸ばされているし、姿勢も良い。
      普通居眠りする時は首が傾いたりしないかと考える。
      そこまで考えが至ったのは奇跡だとウィザードなら言うであろう。
      彼の言動がだんだん読めるようになってきた自分に、アサシンはへらりと笑う。
      例え想像の中でさえ優しい言葉をかけてくれないウィザードでも満足らしい。
      しばらく空中に手を止めて考えていたが、結局諦めることにしたらしく、自らも目を閉じる。
      船員の大声に叩き起こされるのは三分後のお話。



      先程とはうってかわって上機嫌に駆けていくアサシンを見て、ウィザードは首を傾げた。
      ぶつぶつと文句を言っていたり突然思い出したようにため息を吐いたりでうざったかったのは確かなのだが、
      あまりの急転ぶりは少し気になるところだ。
      自分がしたことといえば、甲板にいた彼を日よけ代わりに使ったぐらいである。
      役に立つなと思いながら何かことわざを思い出したような気がするが、何だっただろうか。
      少し考えて、ウィザードはぽんと手を打った。
      「何とかとハサミは使いよう、ってか」



      End.




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