04 「後悔なんてしたくなかったのに」


      森の中に、一人のノービスがいた。
      突然降ってきた雨から身を隠すためか、木の下に座り込んで膝を抱えている。
      傍らに置かれた真新しい短剣に、枝の先から雨粒が一滴落ちて、はじけた。


      「……寒い」
      感想を述べてみた所で反応する存在があるはずもなく、ノービスはただ身を縮ませる。
      冒険者として生きていくために誰もが通る職に就いてからたった二日目だった。
      ナイフの振り方は初心者修練所に行く前に必死で練習したし、日頃からランニングは欠かさなかった。
      その辺の一般人よりは戦えるという自負はあったが、やはり実戦は違う。
      彼が冒険者として初めて降り立ったのは港町アルベルタ。
      一日目は町中を見物するのにとどまり、路地の石畳の上で野宿した。
      二日目、つまり今日も、朝は見事に晴れていたのだ。
      何匹かのポリンと格闘し、気づいた時には見たこともないような森の奥で。
      挙げ句の果てにはウルフの群生地に入り込み、命からがら逃げ出してきた先で雨に降られた。
      雨のせいで視界も悪いし、無我夢中で走ったせいで道など覚えていない。
      苛立ち紛れに髪を掴めば、その湿気が気持ち悪かった。
      「あーあ」
      ちらりと空の様子をうかがってみるが、けぶるような雨が変わらず見えるだけだった。
      大きなため息を一つ吐く。
      「……後悔なんてしたくなかったのに」
      家族を振り切るようにして出てきた日を思い出す。
      さして時間は経っていないのに、何故かそれは遠い日のように思えた。
      冒険者になって名を上げたい、とかそんな動機ではない。
      ただ、彼が知る中で一番手っ取り早く金を稼げる手段であり、家にいなくても良いなら好都合だった。
      成長期の息子がいるのといないのとでは食費に大きな差があろう。
      目を閉じれば、自分が生まれ育った家の様子が目に浮かぶ。
      畑仕事をしている父と自分、すぐ下の弟が危なっかしい手つきで薪を割っている。
      妹が転んだ弟を立たせあやしている。母が、どこか疲れた顔をして夕餉を作っている。
      例えば、今ここで家に帰ったらどうだろう。
      冒険者を止めることは意外に簡単で、それぞれの職業ギルドか修練所に申し込めばいい。
      ノービスの服を返して、自分の足であの我が家に戻るのだ。
      未だ雨が降っていたらきっと母が慌てて火をおこしてくれる。そして、良く帰ってきてくれたと泣くだろう。
      弟たちがじゃれついて、妹は笑うだろう。ほら、やっぱり無理だったわ、と。
      父はどうするだろうか。そういえば、父は一度も反対しなかったことに気が付いた。
      暖かな誘惑が胸に染み渡る。
      これが後悔だというならとっくの昔に後悔している。
      それでも。
      こんなところで諦めるわけにはいかない。
      「ちくしょう」
      手のひらに拳をぶつける。
      「冗談じゃないよ、なあ」
      一足先に旅立っていった幼なじみが頭の中で笑う。
      「負けてたまるか」
      自分しか聞く者のいない中、ぎらぎらした目で呟いた。
      この季節の雨ならそう長時間降り続くものではない。雨が止まないうちに動き出して体力を奪われるような真似はすまい。
      伊達にこの大陸で十何年生きてきたわけではない。
      熟練冒険者の知恵がないなら、ノービスはノービスの知恵で勝負するだけだ。
      後悔はしたくない。
      家を出てきたことを今後悔しているなら、今この場でこの道を続けることを選んだことは、後悔しない。


      けぶる視界の向こうを睨み続けるノービスの目に、小降りになっていく雨が映し出された。



      End.




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